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第二章 39 『託される条件』



 第一分霊石から広がった九色の光が、封印区画にいる全員の足元を巡った。


 赤、青、黄、緑、紫、白、黒、銀、金。九つの色は混ざり合わず、それぞれ異なる速度で揺れながら、床へ刻まれた正規線、黒い解除線、春の創造物、騎士たちが補強した保守用魔導具を順に照らしていく。


 光は卓斗たちだけを選んではいなかった。


 千佳とナーヴァの剣をなぞり、補強作業を続ける騎士たちの手元へ移り、さらに石橋の上に立つ春、七星、双葉、三冥精霊の足元まで伸びている。


「これ、もう俺らに決まったってことでいいのか?」


 卓斗は右手首を左手で支えたまま、足元へ集まる九色を見下ろした。


「まだです」


 恵依は即座に否定した。


「私たちへの反応が強いのは事実ですが、接続は確定していません。全員の行動を確認している段階だと思います」


「選考面接みたいな感じ?」


「面接なら、あなたはもう少し真面目にしてください」


「負傷者に圧強くない?」


 卓斗の軽口へ返しながらも、恵依は九色の流れから目を離さなかった。


 光は魔素の強さだけを見ていない。契約紋に触れた後、何を守っているのか、どの線へ力を向けているのかを確かめるように動いている。


 第一分霊石が、単純に最も強い者を選んでいるのなら、ティナやナーヴァへ光が集中するはずだった。


 だが、実際には違う。


「分霊石は、血筋や出力だけで託す相手を決めるものではないわ」


 ティナは九色の光を踏まないよう、卓斗の半歩前へ降りた。


「少なくとも、今の反応はそう見える」


「じゃあ何で決めるんだ?」


「それを見ている途中でしょうね」


「石側も迷ってんのかよ」


「あなたたちを見れば、迷うのも当然だわ」


「さらっと失礼だな」


 九色の光が、春の足元へ集まった。


 春は退かなかった。


 カラドボルグを床へ下ろし、光が剣身をなぞるのを黙って見ている。蒼黒の創造線から黒い解除線へ向かう部分へ触れた時だけ、九色のうち白と金が薄く濁った。


「春さんも拒絶されていません」


 恵依は光の変化を観察した。


「少なくとも、存在そのものを敵と判断しているわけではないようです」


「敵だから即アウトってわけじゃないのか」


 卓斗の表情から、わずかに軽さが消える。


 第一分霊石は、春が何をしようとしているのかも見ている。


 アシェラを復活させるために必要だと考え、旧街道結界や外縁集落への被害まで計算したうえで、それでも奪おうとしていることを。


「奪うために来たことは否定しない」


 春は九色の光へ向かって、低く告げた。


「必要だから持っていく」


 迷いのない声だった。


 九色の光は消えない。


 ただ、黒い解除線へ続く部分だけがさらに濁り、第一分霊石へ近づこうとする創造線を押し返した。


「目的までは否定していない」


 千佳は七星との間合いを測りながら、春へ視線を向けた。


「ですが、その方法は受け入れていないようですね」


「石の判断を、人間の都合で解釈するな」


「あなたも都合よく利用しようとしています」


 春と千佳の視線がぶつかる。


 その間で、双葉が天井に残る金色の秩序線へ指を伸ばした。


「困りましたねぇ」


 甘い声とともに、金色の糸が九色の光の外側へ絡み始める。


「石が自分で考え始めるなんて、双葉たちの予定にはなかったんですよぉ」


「予定どおりにいってないの、ざまあって感じだな」


「成瀬さん、そういう言い方は良くないですよぉ」


「この状況作った側が礼儀指導すんな」


 双葉は卓斗の返答を笑顔で受け流し、両手を胸元で合わせた。


 天井の金色の円が縮まり、第一分霊石の上空へ降りてくる。


「選択肢が多いと、石だって困りますよねぇ」


 金色の線が卓斗、恵依、絵麻の足元へ分かれた。


「ですから、少し分かりやすくしてあげます」


 双葉の指先が閉じる。


「第一分霊石に触れられるのは、一つの目的だけを持つ者」


 封印区画の空気が硬くなった。


 金色の秩序が九色の光へ食い込み、それぞれの足元にある色を細かく分けていく。


 卓斗の足元では、黒と銀の間に二本の線が生まれた。


 一方は日本へ帰るための光。


 もう一方は、第一分霊石を奪わせないための光だった。


「は?」


 卓斗が片足を引く。


 だが、二本の光は離れず、別々の方向へ引っ張り始めた。


 恵依の足元では、青と白の線が分かれる。状況を理解したいという判断と、被害が出る方法を止めたいという判断が別の目的として切り離されていく。


 絵麻の周囲では、赤と紫の光が対立するように揺れた。


 春を止める。


 春を助ける。


 二つの願いは反対方向へ伸び、絵麻の契約紋を引いた。


「っ……何よ、これ」


 右脇腹の痛みとは別の負荷が身体へかかり、絵麻は石壁へ手をついた。


「皆さん、結局何がしたいんですかぁ?」


 双葉は石足場の上から、困ったように首を傾けた。


「帰りたいんですか? 石を守りたいんですか? 春さんを助けたいんですか? 全部を持ったままなんて、石も選びにくいと思いますよぉ」


「一個しか理由持っちゃ駄目って、誰が決めたんだよ」


「今、双葉が決めました」


「堂々と言うな!」


 卓斗の声が封印区画へ響く。


 その直後、モルティナの群青の魔素が金色の秩序へ重なった。


「決められない選択は、先に閉じた方が負担は減ります」


 淡々とした敬語とともに、卓斗の足元にある二本の光のうち、日本へ帰る方が薄くなる。


 絵麻の足元では、春を助けたいという赤い光が細くなった。


 恵依の周囲では、今すぐ結論を出さずに状況を理解するという青い線へ群青が絡む。


「迷いは、判断を遅らせます」


 モルティナは感情を交えず、弱い選択肢から順に閉じようとした。


「戦場で不要なものから終わらせます」


「不要かどうかを、あなたが決めないで」


 ティナの白銀が卓斗の足元へ広がる。


 帰還へ向かう光を押し返すのではなく、群青の線との間に硬化した空間を作り、閉じられるまでの時間を延ばした。


「迷っていることと、捨てていいことは同じではないわ」


「残すほど、苦しみは増えます」


「それでも選ぶのは本人よ」


 レクイナの黒銀の魔素が、モルティナの群青へ重なる。


「今すぐかなわない願いは、眠らせてもいいのよ」


 卓斗の帰還。


 絵麻が春を助けたいという願い。


 恵依がまだ答えを固定しないという判断。


 戦場ですぐには実現できないものへ、葬送の魔素が静かに広がった。


「手放せば、迷わず進めるわ」


 絵麻は春を見た。


 九色の光の向こうで、春はレクイナを止めない。


 その姿に、胸の奥へ溜めていた苛立ちが熱を持った。


「あんたも、そうやって全部捨てたの?」


 春の視線が絵麻へ向く。


「残したままでは進めなかった」


「それ、進んだんじゃないでしょ」


 絵麻は脇腹を押さえたまま、一歩前へ出た。


「戻れなくなっただけじゃない」


 春は答えなかった。


 代わりにカラドボルグから黒い解除線へ魔素を流し、細くなった九色の光の隙間を押し広げる。


 第一分霊石の反応が揺らいだことで、台座から押し離されていた黒線が再び前へ進み始めた。


「黒線、接近しています」


 恵依は自分の足元で分裂する光に耐えながら、解析を切らなかった。


「まだ一メートル以上ありますが、選定反応が弱まるほど進行速度が上がっています」


「七星」


 春の声に応じ、七星が前へ出る。


 混沌の魔素が千佳とナーヴァの間へ広がり、二人の距離感を再び狂わせた。


 七星は千佳へ右拳を放ち、剣で受けられる直前に身体を沈める。拳は囮で、左肩を千佳の胸元へ当て、そのまま押し込む狙いだった。


 千佳は剣の腹を下げ、肩へ当たる前に柄頭を七星の鎖骨下へ差し込んだ。


 衝撃がぶつかり、二人の足元で石が砕ける。


「ナーヴァ団長、黒線をお願いします」


「分かった」


 ナーヴァが台座側へ向こうとする。


 七星は左足で床を蹴り、混沌の距離を縮めてその進路へ入った。ナーヴァのデュランダルが横から伸びるが、拳ではなく、七星の踏み込みを支える混沌だけを狙う。


 七星は直前で魔素を切り、純粋な脚力で右へ跳んだ。


「また役割だけ斬る気かよ」


「斬っていいものしか斬らない」


「面倒くせぇな!」


 七星がナーヴァへ拳を振り下ろす。


 ナーヴァは小柄な身体を左へずらし、拳を肩の横へ通した。デュランダルの柄で七星の脇腹を押し、台座から外側へ進路を変える。


 人間側の攻防が続く間にも、卓斗たちの九色の光は薄くなっていた。


 卓斗は第一分霊石へ向かって、何か一つを示そうとした。


「俺は……」


 守る。


 そう言えば、日本へ帰りたい気持ちが切り捨てられる気がした。


 帰る。


 そう言えば、この場の被害を知りながら見捨てることになる。


 右手首の痛みが脈打ち、言葉が止まる。


 九色の光が卓斗の足元から離れかけた。


「目的を一つにする必要はありません」


 恵依の声が、その迷いを止めた。


 彼女の足元でも、青と白の光が別々の方向へ引かれている。それでも、恵依は目の前の床から手を離していなかった。


「双葉さんの秩序が対象にしているのは、私たちが持つ目的です」


「それが一個じゃないから困ってんだけど」


「未来すべての目的を、今ここで決める必要がありますか?」


 卓斗が恵依を見る。


「目的ではなく、現在の行動を示せばいいのではないでしょうか」


 恵依は黒い解除線へ視線を戻した。


「帰るか、残るか。フィオラさんの復活へ最後まで協力するか。それはまだ決めていません」


「今決まってることだけでいいってこと?」


「はい」


 恵依は足元に分かれた二本の光を見た。


「少なくとも、第一分霊石を被害が出る方法で奪わせない。その行動は、三人とも同じです」


 絵麻が息を吐く。


 春を助けたい。


 春を止めたい。


 二つは矛盾しているように見える。


 それでも、今この場で春を第一分霊石へ通さないという判断は変わらない。


「なるほどな」


 卓斗は離れかけた九色の光へ、痺れる右手を伸ばした。


「帰りたい」


 言葉にすると、モルティナの群青がその選択へ強く絡む。


「でも、奪ったせいで誰かが困るなら、そのまま帰る気はない」


 閉じかけていた帰還の光が止まった。


 守るために帰還を捨てたのではない。


 帰りたい気持ちを残したまま、今は奪わせないと選んだ。


「私は、分からないことを今すぐ一つの答えに固定しません」


 恵依の青い光が細く伸びる。


「ただし、被害が出る方法は止めます」


 判断を保留することは、何も選ばないことではない。


 分からないまま奪わせないという、現在の行動へつながっている。


「春を助けたい」


 絵麻は石橋の上にいる春を真っ直ぐ見た。


「でも、だからって春のやることを通す気はない」


 赤と紫の光が、互いを引き裂くのをやめた。


 三人の目的は一つにならない。


 帰りたい。


 理解したい。


 春を助けたい。


 第一分霊石を守りたい。


 それぞれ違う願いを抱えたまま、今この瞬間の行動だけが同じ方向へ揃った。


「ゲブ」


 恵依が隣へ手を伸ばす。


「三人の魔素から、共通する現在の選択だけを拾えますか?」


「試します」


 ゲブは広域へ共鳴を広げず、卓斗、恵依、絵麻の足元にある光だけへ白銅を伸ばした。


 目的や感情を同じ形へ変えない。


 異なる波形の中から、黒い解除線を第一分霊石へ届かせないという向きだけを抽出する。


「一致ではありません」


 ゲブの白銅が三本の線を浮かび上がらせた。


「ですが、進行方向は同じです」


 ティナが卓斗の黒い魔素へ白銀を重ねる。


 ラールも絵麻の空間の縁へ白鋼を流した。


 三竜精霊は契約者の魔素を同一化せず、ずれたまま並べていく。


 三本の異なる線が、第一分霊石の前で一つの方向を向いた。


 双葉の金色の秩序が反応する。


 複数の目的を持つ者を拒もうとし、卓斗たちの足元で火花を散らした。


 だが、今ここで選んだ行動は一つだった。


「目的が複数でも、行動が一つなら触れられる」


 恵依は金色の秩序線の揺らぎを捉えた。


「条件の解釈が分かれています」


「言葉遊びみたいで、ちょっと嫌ですねぇ」


 双葉の笑みがわずかに固くなる。


「そっちが言葉でルール作ってんだろ」


 卓斗は九色の光へ手を伸ばしたまま言い返した。


「抜け方に文句言うなよ」


 第一分霊石が強く脈打った。


 離れかけていた九色の光が、再び三人の足元へ戻る。


 卓斗は黒と銀。


 恵依は青と白。


 絵麻は赤と紫。


 同じ色には染まらない。


 それぞれ異なる混ざり方を保ったまま、三本の光が台座へつながった。


「選択肢の閉鎖が成立しません」


 モルティナが双葉へ告げる。


 群青の魔素が卓斗たちの願いへ触れても、先ほどのようには閉じられない。


 迷いながらも本人たちが手放していない以上、終わった選択として固定できなかった。


 レクイナの葬送も、帰還や救援の願いを眠らせられない。


「まだ続けるのね」


 レクイナは黒銀の魔素を引いた。


「苦しむと分かっていても」


「苦しむからって勝手に終わらされるよりマシよ」


 絵麻の返答に、春の視線がわずかに揺れる。


 九色の光は春の足元にも残っていた。


 だが、黒い解除線へ向かう創造線に触れる部分だけは濁り続けている。


 第一分霊石が拒んでいるのは、春の目的そのものではない。


 奪い、外部の被害を受け入れ、本人の選択を待たずに持ち去る手段だった。


「迷いを残せば、いずれ判断が遅れる」


 春はカラドボルグを握り直した。


「迷わない奴が正しいなら、今ここで一番正しいの春ってことになるだろ」


 卓斗は痛む右手を下げず、春を見た。


「それ、普通に嫌なんだが」


「嫌かどうかで決めるのか」


「少なくとも、迷わず人の未来決める奴よりはマシだと思ってる」


 千佳が七星の拳を剣の腹で外へ流す。


「迷いをなくす必要はありません」


 衝撃を受けた右腕を引きながら、春へ声を向けた。


「迷いがあっても、本人のいない場所で未来を決めない。その手順を守ることはできます」


「手順に時間を使えば、救えないものが出る」


「だからといって、奪うことを救いとは呼びません」


 九色の光が台座から大きく広がった。


 黒い解除線の先端が押し戻され、床の溝へ叩きつけられる。春の追加創造線にも白い亀裂が入り、第一分霊石へ続く道が途中で途切れた。


 天井に残っていた金色の秩序線も揺らぐ。


 距離を制限する条件。


 強い相手への干渉を無効にする条件。


 一つの目的だけを認める条件。


 外部から戻った正規流と、第一分霊石自身の選定反応に押され、複数の線へ亀裂が走った。


「これ、まずいんじゃないですかぁ?」


 双葉は笑みを保ったまま、金色の線を引き戻そうとした。


「崩れます」


 モルティナの返答は簡潔だった。


「今の条件では、第一分霊石の選択を閉じられません」


 九色の光が一点へ集まる。


 台座の上ではない。


 卓斗、恵依、絵麻の三人が、同時に手を伸ばせる高さだった。


 光の中から、小さな結晶片が浮かび上がる。


 親指の先ほどの大きさで、内部には九色が輪のように巡っている。第一分霊石本体から切り離されたように見えるが、台座との間には細い光が残っていた。


「分霊石が外れたの?」


 絵麻が息を呑む。


「本体ではないわ」


 ティナは結晶片の周囲へ広がる波形を見た。


「意思を外へ示すための一部。分霊片に近いものね」


「触っていいのか?」


「それを確かめるために出したのでしょう」


「急に責任デカいな」


 卓斗は右手ではなく、まだ動く左手を伸ばした。


 恵依と絵麻も、それぞれ結晶片へ手を向ける。


 三人の指先が届くまで、残り数十センチ。


 その瞬間、春が石橋を蹴った。


 高さ二メートルの足場から飛び降り、カラドボルグを後方へ引く。剣で結晶片を斬るのではない。左手を伸ばし、卓斗たちより先に触れる軌道だった。


「春!」


 絵麻の声が封印区画へ響く。


 九色の分霊片を挟み、卓斗たち三人と春の手が同時に迫る。


 第一分霊石が示した選択へ、奪う側も自ら踏み込もうとしていた。




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