第二章 28 『第六騎士団の扉』
閉ざされた中継所の周囲に、第四騎士団の監視線が敷かれてから二時間が過ぎた。青白い結界灯は消えたまま戻らず、正門の鎖にも新しい動きはない。
谷へ入る東の街道から、二台の小型馬車が姿を現した。先頭には第一騎士団の旗、後ろには剣を縦に割った第六騎士団の印が掲げられている。
「応援来た。よかった、玄関前待機だけで終わるかと思った」
卓斗は外壁から七十メートル離れた臨時陣地で立ち上がった。右手首を軽く回しても、地下に引かれた時の熱は戻ってこない。
ティナは追及せず、馬車から降りた二人へ視線を向けた。先に地面へ降りた千佳は記録鞄を抱え、その後ろからナーヴァが身の丈に合わない長剣を携えて現れる。
七歳の少女を団長として知らない者が見れば、騎士団に紛れ込んだ子供にしか見えない。だが、第六騎士団員は全員がナーヴァの合図を待ち、彼女より先に正門へ近づこうとはしなかった。
「——報告」
ナーヴァは挨拶を省き、ミネルヴァの前で足を止めた。短い一言を受け、第四騎士団の団員が地図と回収記録を載せた机を運んでくる。
「盗難された魔導核は損傷なく回収し、第二騎士団の護送班へ引き渡しました。運搬用魔導人形も停止させ、制御核と行先記録を確保しています」
ミネルヴァは王都から水路、旧街道へ続く経路を指で示した。偽反応と罠の位置を説明し、最後に閉鎖中継所の地下へ集まる線をなぞる。
「三竜精霊がフィオラ様に近い魔素を感知。成瀬さんの契約紋も共鳴しました。中継所の結界は一度だけ起動し、地下から地上へ魔素が上昇しています」
「人は?」
「出入りした足跡は確認できません。外から視認できる範囲にも、人影はありません」
「敵は?」
「確認できていません。ただし、外壁内側の草と二階窓に不自然な痕跡があります」
ナーヴァは地図から顔を上げ、閉ざされた正門を見た。鎖、門柱、崩れた見張り台を順に確認し、最後に卓斗たち三人へ視線を移す。
「中へ入る。嫌なら残る。途中でも止まれる」
「俺らも行く前提?」
「反応したのは、三人と三柱。必要。でも、試さない。触らせない」
ナーヴァの言葉はぶつ切りだったが、何を求め、何をしないかは明確だった。能力を見せるためではなく、現地で起きる反応を確認するために同行してほしいということらしい。
「七歳に安全確認される十六歳、立場どうなってんの?」
「危なっかしいから」
「即答やめてもらっていい?」
卓斗は千佳を見たが、助け舟は出なかった。彼女は困ったような笑みを浮かべながらも、ナーヴァの判断を訂正する気はないらしい。
「私も、成瀬さんには事前確認が必要だと考えています」
「第一と第六の団長から信用ないんだけど」
「信用と警戒は両立します。皆さんを同行者として扱うからこそ、危険を曖昧にしません」
「真面目な正論で逃げ道塞ぐの、騎士団で流行ってる?」
恵依は卓斗の軽口を聞き流し、ナーヴァへ確認を向けた。地下の反応を読む場合、解析の範囲をどこまで許可されるか決めておく必要がある。
「私とゲブは、地上から確認できた魔素経路だけを追います。封印内部へ解析を通すことはしません。それでよろしいですか?」
「いい。何か返ってきたら切る」
「絵麻さんとラールは、退路の安定化をお願いします。内部の扉や壁は動かさないでください」
「分かってる。勝手に近道作ったりしないわよ」
絵麻は答えながら、隣のラールへ目を向けた。ラールは勢いで請け負わず、正門から街道までの地面を見渡している。
「戻る道を優先します。床と天井を一緒に固めると逃げにくくなるので、危ない場所だけ別々に支えます」
「それでお願いします」
役割の確認が終わると、ナーヴァは地図の端へ小さな指を置いた。正門から内部へ入る班は、ナーヴァ、千佳、第六騎士団員四人、卓斗たちと三竜精霊に限定される。
ミネルヴァと第四騎士団は外周監視を継続し、異常が起きた場合は三本の街道を封鎖する。退路が塞がれた時だけ外壁を破り、それ以外は内部の術式へ干渉しないと決められた。
「ここから先、調査権限を第六騎士団へ移します」
「受け取る」
ミネルヴァが記録板を差し出し、ナーヴァが受け取った。短いやり取りで、旧街道の追跡任務は第四騎士団から正式に離れる。
「第四騎士団は、皆さんが戻る道を守ります。中で追うべきものが見つかっても、退路を捨てないでください」
「散々やったから、そこは覚えた」
「成瀬さんの場合、覚えたことと守ることが一致するかは別です」
「最後まで評価厳しくない?」
ミネルヴァは返答せず、外壁を見張る位置へ戻った。卓斗は背中を見送りながら、第四騎士団での実地任務が終わったことをようやく実感する。
もっとも、休める様子はなかった。次の団長はすでに正門へ向かって歩き始めている。
千佳は門から十メートル手前で止まり、八年前の閉鎖記録を開いた。正門には太い鎖が二重に巻かれ、中央へ長方形の封印札が掛けられている。
「鎖と封印札は、閉鎖当時の記録と一致します。封印番号も同じです」
「じゃあ、誰も開けてない?」
「少なくとも、この正門の封印は破られていません。ただし、その内側に別の術式があります」
千佳は封印札の右下を示した。古びた紙の縁から、髪の毛より細い黒い線が鎖へ伸び、門柱の裏側へ回り込んでいる。
恵依が解析を向けると、黒い線は正門を開くためのものではなかった。鎖や札へ衝撃が加わった時、その力を地下へ送る構造になっている。
「壊して入れば、地下の結界へ衝撃が流れます。先ほどの結界灯より強い反応が起きる可能性があります」
「罠付き玄関。歓迎する気ゼロだな」
「タク。歓迎されたいなら、もう少し客らしく見える顔をしなさい」
「顔で入場拒否されんの?」
ティナは卓斗の抗議を置き去りにし、門柱の裏へ続く黒い線を見た。白銀で基準を書き換えれば流れを逸らせるが、正規の封印まで変える危険がある。
「あの黒い線だけなら、私が触るより、その剣の方がきれいに外せるわね」
ナーヴァはデュランダルを鞘から抜いた。七歳の身体には長すぎる刀身が地面へ触れそうになるが、握りにも足取りにも揺れはない。
「全員、線から離れる」
千佳と第六騎士団員が左右へ下がり、卓斗たちも十五メートルの距離を取った。ナーヴァだけが正門前へ残り、剣先を黒い線と封印札が重なる一点へ合わせる。
デュランダルが振られても、鎖には傷一つつかなかった。刀身は金属と封印札をすり抜け、その奥にある黒い接続線だけへ届く。
細い断裂音が門柱の内側から響いた。地下へ向かっていた黒い魔素が途中でほどけ、濁った光の粒となって石畳へ落ちる。
「切断。正規封印、無傷」
ナーヴァは剣を戻し、千佳が封印札を再確認した。恵依とゲブも離れた位置から魔素の流れを読み、地下へ衝撃が伝わっていないことを確かめる。
「黒い接続は消えています。門の封印だけが残っています」
「流川様、地下側にも新しい流入はありません。静かな状態へ戻っています」
千佳は閉鎖記録に記された解除手順どおり、封印札へ三つの鍵を重ねた。第一騎士団の記録鍵、第六騎士団の調査鍵、現地封鎖を担う第四騎士団の鍵が順に淡い光を放つ。
最後に鎖が外され、重い正門が内側へ開いた。蝶番の軋む音とともに、冷えた空気が細い隙間から流れ出す。
「空気、普通に残ってるんだ」
「完全密閉ではありません。換気用の魔導路が生きています」
「八年無人で換気だけ現役。設備管理だけは優秀だな」
正門の内側には、幅六メートルほどの石畳が玄関棟まで続いていた。外の草は腰まで伸びているのに、敷地内では足首ほどの高さで揃っている。
卓斗たちは前後へ間隔を取り、千佳を先頭に進んだ。ナーヴァは列の中央で地下の反応を見ながら歩き、第六騎士団員二人が最後尾を守る。
玄関棟の扉は鍵が外され、わずかに開いていた。だが、周囲の埃に足跡はなく、扉を動かした指の跡も残っていない。
「誰かが入った感じ、ないわね」
絵麻は敷居を越えず、室内の床へ目を凝らした。正面には受付台、左右には廊下が伸び、二階へ上がる階段が奥に見える。
床には薄い埃が均等に積もり、人が歩けば必ず跡が残る状態だった。窓を塞ぐ板の隙間から光が差しているが、外で見つけた新しい削れ跡の下にも足跡はない。
「人が通ったのではなく、内側から何かが板へ触れた可能性があります」
千佳は受付台の横から長い確認棒を伸ばし、窓板へ触れた。板は腐っておらず、削れた部分だけが内側へ押し出されている。
「何かって何?」
「まだ分かりません。分からないまま人や魔物を当てはめないことです」
「赤崎さん、その言い方ちょっと王様に似てきたな」
「長く仕えていますから、影響は受けているかもしれません」
千佳は確認棒を戻し、床の埃へ白い粉を少量落とした。空気の流れを受けた粉は廊下へ行かず、床板の隙間へ吸い込まれていく。
人が歩いた痕跡はないのに、建物の下では今も魔導設備が動いている。施設へ侵入せず、外部の街道結界や水路から魔素だけを送り込んだ可能性が強まった。
「恵依。床の下、さっきと同じ線ある?」
「確認します。ゲブ、地上の設備と地下へ向かう線を分けてください」
「流川様は右側をお願いします。私は受付台の下から始めます」
二人は入口から動かず、解析と白銅を床へ広げた。恵依が術式の役割を見分け、ゲブが離れた経路同士を同じ色の光でつないでいく。
受付台の下には三本の魔素路があった。照明、換気、通信に使われる古い設備線のさらに下を、太い青白色の流れが建物の奥へ延びている。
その表面には、魔導人形の運搬枠で見たものと同じ緑色の波形が薄く残っていた。盗まれた魔導核は中継所へ届いていないが、同種の核を接続するための受け口が地下に存在する。
「魔導核を持ち込むだけではありません。地下の設備へ接続しようとしていました」
「何の設備?」
「ここからは読めません。魔素路が途中で複数に分かれ、古い封印へ組み込まれています」
ナーヴァは青白い線を見下ろし、玄関棟の奥へ目を向けた。戦意や怒りのない静かな施設では、彼女の戦禍の魔素に反応するものは少ない。
それでも、地下から上がる魔素には二つの向きがあった。一つは内部を押さえ、もう一つは押さえているものを外へ引き出そうとしている。
「守る線。奪う線。重なってる」
「黒い術式は後から加えられたものです。盗んだ魔導核で、守る側の接続を切り替えるつもりだったのでしょうか」
「あり得る。まだ決めない」
ナーヴァは奥へ進む前に、入口の安全を固めるよう命じた。ラールは玄関扉を閉じ込めない位置へ白鋼の支柱を作り、蝶番が壊れても開口部が残るよう上枠だけを支える。
絵麻は入口と正門の座標を短い線で結んだ。転移には使わず、戻る方向を見失わないための標識として空間へ刻む。
「これなら、廊下が歪んでも入口の方向は分かる」
「絵麻ちゃん、床が動いた時は私が線の周りを固定します。先に固めると、線までずれるかもしれないので待ちますね」
「うん。それでいい」
退路を確保した一行は、右側の廊下へ進んだ。床板を踏む者は千佳が示した位置だけを選び、左右の扉には触れない。
廊下の壁には、かつて使われていた部隊札の跡が並んでいた。札そのものは撤去されているが、第五を示す紋章だけが日焼けせず残っている。
「本当に片づけて閉めた場所なんだな」
「はい。突然放棄された施設ではありません。備品、人員、機密文書は正式な手順で移されています」
「なのに地下だけ置いてった?」
「移せないものだった可能性があります」
千佳は廊下の突き当たりにある扉で止まった。他の部屋より幅が広く、外された表札の周囲に装飾の跡がある。
扉を確認棒で押し開けると、奥に執務室が現れた。大きな机と椅子、空の書棚、壁際の防具掛けだけが残されている。
壁には長剣を横向きに掛けていた二本の金具があり、その下だけ埃の色が違っていた。机の背後には歴代団長名簿があったらしいが、羊皮紙は中央から切り取られている。
「ここ、団長室?」
「旧第五騎士団のものです」
千佳は室内へ入らず、扉の外から配置を見た。備品が正式に撤去されたのなら、団長名簿だけを乱暴に切り取る理由はない。
絵麻は空になった椅子を見た瞬間、足を止めた。胸の奥へ触れていた小さな棘が、先ほどより深く引っかかる。
「絵麻さん?」
「大丈夫。なんか、嫌な感じがしただけ」
恵依が近づこうとしたが、絵麻は自分から一歩下がった。空間の魔素に乱れはなく、室内から精神へ干渉する流れも見つからない。
「この部屋を知っている感じ?」
「知らない。絶対、来たことない。でも、ここに誰かいたって考えると……変に気になる」
ラールは絵麻へ答えを求めず、切り取られた名簿の形を覚えるように見た。第五騎士団という言葉を聞いた時と同じ反応なら、二度目として残しておくと決めている。
ナーヴァは団長室へ入らず、廊下の床へデュランダルの鞘を当てた。地下から届く二つの流れは、この部屋ではなく、さらに奥へ集まっている。
「先。階段がある」
一行は団長室を封鎖し、廊下の終点へ進んだ。そこには地下へ下りるはずの階段口があったが、入口全体を灰色の石壁が塞いでいる。
石壁は後から積まれたものではなく、床、左右の壁、天井と一体化していた。表面には九つの丸い窪みが円を描き、中央だけが空白になっている。
「鍵穴、多くない? 戸締まりに本気出しすぎだろ」
「鍵とは限りません。魔素の種類を識別する紋章にも見えます」
恵依が近づかずに構造を読むと、九つの窪みから別々の線が地下へ伸びていた。どの線も現在は眠っているが、三竜精霊が廊下へ入った時点から微かな振動を始めている。
ティナ、ゲブ、ラールが互いに視線を交わした。誰も石壁へ触れていないのに、白銀、白銅、白鋼の魔素が契約紋を通してわずかに引かれる。
「止まれ」
ナーヴァの命令で、全員がその場に足を止めた。先頭の千佳と石壁の距離は八メートル、卓斗たちはそこからさらに三メートル後方にいる。
右手首の竜紋が白銀に光り、続いて恵依と絵麻の契約紋もそれぞれの竜精霊へ反応した。九つの窪みのうち、左下の一つへ青白い光がともる。
「俺、何もしてないけど?」
「三人とも動かないでください。石壁が契約そのものを読んでいます」
恵依は解析を止め、ゲブも白銅を完全に引いた。それでも青白い光は消えず、窪みから中央の空白へ一本の線が伸びていく。
石壁の向こうで、重い歯車が噛み合った。振動が床を伝い、天井から細かな埃が落ちる。
「ラール。退路」
「入口まで残っています。天井はまだ支えません。崩れた場所だけ止めます」
ラールは振動の強い右壁だけへ白鋼を添え、石壁の動きを妨げない範囲で廊下を保った。絵麻も入口へ刻んだ座標標識が消えていないことを確かめる。
ナーヴァはデュランダルを抜いたが、石壁へ向けなかった。守るための封印と、それを引き抜こうとする黒い術式が向こう側で重なっている以上、切る場所を決められない。
「触るな。切らない。開くのを見る」
九つの窪みを持つ石壁が、床から離れ始めた。最初は指一本分だった隙間がゆっくり広がり、冷たい青白い光が廊下へ流れ出す。
地下から上がってきた魔素は三竜精霊の周囲を巡ったあと、卓斗たちの契約紋へ触れずに戻っていった。侵入者を攻撃するのではなく、扉の前にいる者を確かめているような動きだった。
石壁の向こうには、地下へ続く長い階段が現れた。階段の両側では古い結界灯が一つずつ目を覚まし、その奥深くから、守る力と奪おうとする力が絡み合った魔素が昇ってくる。
誰も扉を開けてはいなかった。それでも、六百年前から閉ざされていた地下は三人と三竜精霊を認め、自ら入口を開き始めていた。




