第一章 30 『危険物扱い』
白い検査室の空気は、通達札一枚で変わった。
さっきまで卓斗たちは、状態確認と魔素測定を終えたばかりだった。隔離ではなく状態観察対象。第六騎士団管理下での一時保護。どれも好きになれる言葉ではなかったが、それでも中継地点で出した条件は、まだぎりぎり守られていた。
だが、王都上層から届いた追加通達は、その足場をさらに不安定にした。
レオンの手にある通達札には、卓斗には読めない文字が並んでいる。読めないはずなのに、そこに書かれている内容がろくでもないものだということだけは、室内にいる全員の反応で分かった。
「成瀬卓斗殿の魔素について、王城外郭での行動制限案を検討する、とある」
レオンが読み上げた瞬間、卓斗は右手首を押さえた。
竜紋は静かに沈んでいる。結界異常へ反応した時のような熱も、引かれるような感覚もない。けれど、通達を聞いた途端、まるで自分の腕ではなく、王都の誰かが勝手に分類した危険物を見せられているような気分になった。
「行動制限案って、要するに自由に動かすなってことだろ」
卓斗の声には、はっきりと苛立ちが混じっていた。
検査官は表情を崩さない。だが、さっきまでより言葉を選んでいるのが分かる。彼自身がその場で決めたことではなく、上層からの通達をどう扱うかを考えているのだろう。
「安全確認が完了するまでの一時措置です」
「その“一時”って言葉、信用できるほど俺まだこの国に詳しくないんだけど」
卓斗は一歩も動かなかった。
ここで感情のままに動けば、相手にとって都合のいい材料になる。未知魔素保持者が反発した。指示に従わなかった。そう書かれれば、行動制限案は簡単に強化される。腹は立つが、暴れるのは効率が悪すぎる。
絵麻が卓斗の横へ半歩寄った。
「さっき隔離じゃないって言ったばかりでこれ?」
彼女の声は低い。
空間魔素の酔いはまだ残っているはずなのに、絵麻の目は検査官から離れない。自分が制限される話ではない。けれど、勝手に連れて来られた側の一人として、卓斗だけが危険物のように扱われる状況を黙って見ている気はなかった。
恵依も一歩前へ出た。
彼女は声を荒げない。だが、問いの形は鋭かった。
「行動制限の理由と範囲を明示してください。検討案であっても、本人を含めずに扱いだけが進むのは不適切です」
レオンは通達札を持ったまま、検査官へ視線を向けた。
「この通達は決定ではない。検討案だ」
「検討されてる時点で嫌なんだけど」
「当然だ。だから、ここで理由を確認する」
レオンは卓斗の不満を否定しなかった。
それだけで、卓斗はわずかに息を吐けた。レオンは王都側の人間だ。けれど、今のところ卓斗たちの条件を守る方向で動いている。上層の通達だからといって、そのまま押し通すつもりではないらしい。
検査官は一度、通達札と測定記録を照合した。
補助官が透明板の記録を開き、卓斗の魔素反応を浮かび上がらせる。黒に近い歪みが、板の上でゆっくりと内側へ沈み、次の瞬間には外側へ押し返すように広がった。引き込みと反発。その両方が同じ反応の中にある。
「成瀬卓斗殿の魔素は、引き込みと反発を同時に含みます。王国の古い封印記録に、同系統の魔素が存在します」
卓斗は眉を寄せた。
「同系統?」
検査官はその言葉を口にする前に、少しだけ間を置いた。
白い検査室の中で、結界柱の光が細く揺れる。ティナの視線が検査官へ向いた。ゲブも、ラールも、そこで空気の変化に気づいた。王都側がただ未知だから怖がっているわけではない。何か、古い記録に触れている。
「六百年前、フィオラ様が自身ごと封じた相手。名を、アシェラ」
室内の温度が下がったように感じた。
卓斗には、その名に直接の記憶はない。日本で暮らしていた高校生に、六百年前の異世界の封印相手など知るはずがない。だが、レオンの表情、検査官の声、ティナの沈黙が、その名前の重さを勝手に教えてくる。
「いや待て。俺、今、封印された何かと同じ系統って言われた?」
「同一ではありません。規模も、反応も、完全一致ではない」
検査官はすぐに否定した。
しかし、否定だけでは足りない。現に、王都上層から行動制限案が来ている。完全一致でなくても、危険視するだけの理由があると判断されたのだ。
「でも行動制限案が出るくらいにはヤバい扱いなんだろ」
「王都防衛上、無視できない照合です」
卓斗は右手首を見た。
昨日まで、この腕はただ契約紋が刻まれた不気味な腕だった。魔獣戦で引力と斥力らしき力が出た時も、怖かったが、まだ自分の制御できない未知の力という認識だった。だが今は違う。王都の古い記録にある災厄と、方向だけでも重なるかもしれないと言われている。
ティナが、低く呟いた。
「……アシェラ」
卓斗はすぐに彼女を見た。
「知ってるのか?」
「当然よ。フィオラが自身ごと封じた相手よ」
「それを先に言え?」
卓斗の反射的なツッコミに、ティナは珍しくすぐには毒を返さなかった。
彼女は透明板に映る卓斗の魔素反応を見ている。白銀の瞳が細くなり、遠い記憶と今の反応を重ねようとしているようだった。だが、その表情には納得よりも、違和感の方が強い。
「あなたの魔素と結びつけるには、規模が違いすぎたわ。アシェラの引力と斥力は、土地、結界、空間、魔素流ごと動かすものだった。今のあなたの反応とは、比べる基準が違う」
「それ、俺が小物でよかったって話?」
「今は、ね」
「今は、って言うな。怖いわ」
卓斗は思わず言い返したが、笑えなかった。
小石が寄る。砂利が弾ける。魔獣の巨体を外へ押し返す。それだけでも卓斗にとっては十分すぎるほど危険だった。けれど、アシェラという相手は、同じ方向の力をもっと巨大な規模で扱っていたのだという。
ゲブが静かに補足した。
「確認できた範囲では、成瀬様の魔素とアシェラの記録は完全一致ではありません。ただ、引力・斥力という方向性が近い可能性があります」
恵依は検査官へ向き直った。
「方向性が近いだけで、本人を危険物扱いするのは飛躍です」
検査官は表情を変えずに答えた。
「本人の意思と魔素の危険性は別です」
「別だからこそ、本人の意思を記録してください。危険性だけを切り出して扱えば、判断を誤ります」
恵依の声は冷静だった。
だが、そこには明確な怒りがあった。卓斗を無条件に安全だと言っているわけではない。魔素の危険性を無視しろとも言っていない。けれど、危険性だけを抜き出せば、卓斗という本人が消える。何を考え、どう動き、何を守ろうとしたのかが消えてしまう。
恵依は続けた。
「成瀬くんは中継地点で魔獣を結界外へ押し返しました。少なくとも、現場では被害を増やすためではなく、守るために力を使っています」
検査官は記録係へ視線を向けた。
中継地点から送られた報告にも、その記録はあるはずだった。魔獣を引き寄せてしまった危険性も記録されている。だが、最終的に押し返したこと、入口や職員を守るために使ったことも同じく記録されている。
絵麻はさらに強く言った。
「名前が似てるとか、魔素が近いとかで、いきなり制限? 勝手に連れて来られた側を、今度は閉じ込める気?」
補助官が口を開きかける。
「閉じ込めるとは言っていません」
「行動制限って、言い方変えただけでしょ」
絵麻の言葉で、補助官は返答に詰まった。
卓斗は二人の反応を見て、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。自分が危険視されていることは変わらない。右手首にある力の不気味さも消えない。それでも、恵依と絵麻が自分を魔素だけで見ていないことは、はっきり分かった。
卓斗は深く息を吸った。
腹は立っている。今すぐ文句を山ほど言いたい。だが、ここで怒鳴っても、検査室の結界柱が反応し、騎士が前へ出て、さらに危険扱いされるだけだ。そんな展開は、どう考えても効率が悪い。
「めちゃくちゃ腹立つけど、ここで暴れたら“ほら危険だ”ってなるやつだろ。効率悪すぎる」
レオンが静かに答える。
「その判断は正しい」
「褒められても嬉しくない状況なんだよ」
卓斗はレオンを睨むように見たが、声は抑えた。
自分の右手首が危険なのは分かる。分からないまま自由にしろと言うつもりもない。だが、自分抜きで自分の扱いを決められることだけは、どうしても許せなかった。
「俺が危険かどうかを調べるのは分かる。でも、俺抜きで俺の扱いを決めるな」
その言葉は、検査室の中にはっきり残った。
ティナがわずかに卓斗を見た。
強制契約をした張本人である彼女には、何か言う資格があるのか迷ったようにも見えた。だが、ここで茶化すことはしなかった。卓斗の怒りが自分にも向いていることを、ティナは分かっている。
レオンは通達札を畳んだ。
「この場で行動制限は適用しない。通達は検討案であり、正式決定ではない」
補助官がすぐ反応する。
「しかし、照合結果は無視できません」
「無視はしない。だからこそ、本人の意思、現場での行動、原因ではないという記録、契約経緯の不同意、帰還希望を同時に上げる」
レオンの声は揺れなかった。
彼は王国側の確認役だ。王都防衛の危険性を軽視する立場ではない。だが、卓斗を魔素の反応だけで封じることも、現場で交わした条件を捨てることも、同じく認めるつもりはないようだった。
検査官はしばらく黙った。
その沈黙の間、白石の部屋に結界柱の微かな音だけが響いた。補助官たちは記録板を見つめ、入口の騎士たちは動かず待っている。卓斗は右手首を握りたい衝動をこらえ、拳を軽く開いたまま立っていた。
やがて、検査官は記録係へ指示した。
「仮記録を修正します。成瀬卓斗殿は、古封印記録に残る引力・斥力系統と部分照合。ただし、本人を対象存在と同一視しない。中継地点の結界異常の原因ではなく、反応者として記録。現時点では第六騎士団同行下での保護継続」
卓斗は顔をしかめた。
「対象存在って何。言い方怖すぎる」
レオンは短く答える。
「後で説明を求める」
「今すぐ求めたいんだけど」
ティナが横から言った。
「今ここで聞けば、説明が長くなるわよ」
「それはそれで嫌だな……」
卓斗は複雑な顔で黙った。
聞きたい。だが、聞けば今度は六百年前の封印だの、アシェラだの、フィオラが自身ごと封じただの、さらに重い話が来る。王都到着から検査、危険物扱いまで来た今の精神状態で、それを全部受け止める自信は正直なかった。
それでも、知らないままにはできない。
右手首にある力が、フィオラの敵と同じ方向を持つかもしれない。ティナたちすら規模差のせいで気づけなかった。王都がそれを恐れる理由はある。だが、それは卓斗がアシェラであるという意味ではない。
そこを間違えられれば、卓斗の人生はまた勝手に決められる。
卓斗はティナへ視線を向けた。
「お前、アシェラってやつ知ってたなら、俺の魔素もっと警戒しとけよ」
ティナは少しだけ目を伏せた。
「あなたの反応は小さすぎたわ。アシェラの規模と比べれば、砂粒の動きと大地の崩落くらい違った。同じ方向の力でも、初期反応だけで結びつけるには遠すぎたのよ」
「つまり俺、災厄のミニ版みたいな扱い?」
「言い方は最悪だけれど、王都が警戒する理由としては近いわ」
「フォロー下手すぎだろ」
「事実を丸めても意味がないもの」
「たまには丸めてくれ。精神に悪い」
卓斗は頭を抱えたくなった。
竜精霊の毒舌としてはいつも通りなのに、今回だけは内容が重すぎる。災厄のミニ版。自分で言っておいて最悪な表現だったが、王都側がどう見ているのかを考えれば、それに近い。だからこそ、行動制限案が出た。
恵依は卓斗の横に立ったまま、検査官へ視線を戻した。
「確認します。現時点で、成瀬くんに行動制限は適用されないのですね」
検査官は記録板を確認し、答えた。
「現時点では適用しません。第六騎士団同行下での保護継続とします。ただし、上層協議に回されます」
「協議には、中継地点での条件と、本人の発言も含めてください」
「記録します」
絵麻はまだ納得していない顔だった。
「記録しますって便利ね。後で都合よく消えたりしないでしょうね」
検査官は少しだけ困ったように見えた。
その問いは、検査官個人への不信というより、この世界の制度全体への不安だった。読めない文字、知らない国、勝手に決められた契約。絵麻が簡単に信じられるはずがない。
レオンが代わりに答えた。
「私の報告にも同じ内容を入れる。検査棟記録、中継地点記録、第六騎士団確認記録。三つに残る」
絵麻はレオンを見た。
「そこまでして、やっと少しマシって感じ」
「それでいい」
レオンの返答は短かった。
卓斗はそのやり取りを聞きながら、右手首から目を離した。今のところ、行動制限は適用されない。だが、消えたわけではない。上層協議という言葉が残っている。王都のどこかで、自分の扱いが話し合われる。
それを、自分抜きで決めさせない。
その言葉を、もう一度胸の中で確認した。
検査室の入口で、騎士が動いた。
誰かが廊下を近づいてくる気配がある。足音は複数ではなく、一人分。だが、その一人分の足音に、入口の騎士たちがすぐ姿勢を正した。検査官も補助官も、通達札から顔を上げる。
扉が開く前に、別の騎士が室内へ一歩入った。
「レオン確認役。第一騎士団より追加確認者が到着します」
レオンの表情がわずかに変わった。
「誰だ」
騎士ははっきりと告げた。
「第一騎士団団長、赤崎千佳殿です」
卓斗は顔を上げた。
「……赤崎、千佳?」
その名前だけで、検査室の空気が少し変わった。
卓斗だけではない。恵依も、絵麻も、同じように反応していた。フィリスティア王国の騎士の名前としては、あまりにも聞き慣れた響きだった。少なくとも、現代日本から来た三人の耳には、日本人の名前にしか聞こえなかった。
絵麻が低く言う。
「今の名前、日本人よね」
恵依の声にも、珍しく戸惑いが混ざっていた。
「少なくとも、日本語圏の姓名に聞こえます」
卓斗はレオンを見た。
「第一騎士団団長って言ったよな? 日本人っぽい名前の人が?」
「赤崎千佳殿は、王国第一騎士団団長だ」
「いや、そこは聞いた。問題は名前の方なんよ」
レオンはすぐには答えなかった。
白い検査室の外から、静かな足音が近づいてくる。王都上層からの行動制限案、六百年前のアシェラという名、そして日本人のような名前を持つ第一騎士団団長。卓斗の頭の中で、処理しきれない情報が積み重なっていく。
「団長? また偉い人?」
卓斗が呟くと、レオンは短く答えた。
「王国最強の騎士の一人だ」
「情報量エグいって。検査の次に最強騎士って、俺のメンタル休ませる気ないだろ」
白い検査室の空気は、まだ緩まなかった。
扉の向こうで、足音が止まる。
検査の次に来るのは、危険物扱いを止める相手なのか、それとも別の判断を下す相手なのか。
卓斗は右手首を押さえたまま、扉の方を見た。




