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残業マン  作者: 伊賀谷
第五章
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暗闇から手をのばせ

 翌日。始業時間になってもサヨは出社して来なかった。


「夜神ー。紅月から連絡ないんだけど、おまえなにか聞いてないか」


 北里係長がシンヤに近づいて来た。


「いえ、知りません……」

「そうか。困った奴だなあ。テストの進捗に影響が出たらどうすんだ」


 ぶつぶつ零しながら北里は自席に戻って行った。


 ――おれのせいだ。


 昨夜、シンヤがサヨにひどい仕打ちをした。サヨの心をひどく傷つけてしまったに違いない。


〈おはようございます〉


 クロウからチャットが入った。


〈紅月さん、この前も無断で休んでましたよね。とうとう潰れてしまったんですかね。心配ですよ〉


 クロウはサヨが過労などのストレスでダウンしたのではないかと思っている。確かにその可能性もある。

 無断欠勤や出社拒否には複数の要因があるものだ。だが、トリガーとなる原因が必ずある。それがシンヤではないのか。

 シンヤは責任を感じていた。

 そして次の日もサヨは出社して来なかった。

 シンヤは向かいのサヨの席を眺める。

 時おり頬を赤らめてディスプレイを食い入るように見つめて仕事をしていたサヨ。

 地味な紺のパンツスーツをいつも着ていた。赤いフレームの眼鏡が可愛らしかった。

 いつも目にしていた光景が今さらながら愛おしく感じる。


 ――今日は徹夜かな。


 定時の夜六時近くになってシンヤは覚悟を決めた。

 昨日までどこか上の空で仕事をしていたせいで今週の作業進捗が思わしくないのだ。

 今は開発工程で言うとテスト工程にあたる。

 一般の人はシステム開発と聞くとプログラミング作業を想像するだろう。だが実際はプログラミング工程は開発工程内の比較的短い期間でしかない。

 出来上がったプログラムを実際に動かしてみて、不具合(バグ)を検出して直すことを繰り返すのがテスト工程だ。頭の中で設計したシステムを単体テスト、結合テスト、システムテストと、範囲と観点を広げてテストを続ける作業が重要であり長い期間を要する。

 テスト工程で起こりうる不具合を洗い出しておかないと、世の中に製品としてリリースした際に障害を起こしてしまう。

 大規模かつ生活インフラに近しいシステムは、一つの障害が多くの人々の生活や社会活動にまで影響し、ニュースに取り上げられることになる。

 つまりシステムの品質はテスト工程の出来にかかっているといっても過言ではない。

 テスト工程の作業進捗はテスト項目の実施数で計る。全部で何百、何千項目ある内の何項目が終わったかだ。

 毎週一回、プロジェクトとしての作業進捗を強羅課長と係長たちがお客さんに報告する会議がある。そこで作業進捗が予定より遅れていると、お客さんにこっぴどく叱られることになる。

 つまりシンヤたちプロジェクトメンバーは作業予定を死守しなくてはならないのだ。そのために作業が深夜に及び、時には徹夜作業も発生する。

 世にあるシステムやアプリケーションが当たり前のように動いているのは、システムエンジニアたちの半ば狂気じみた不断の努力の賜物なのだ。

 そしてシンヤはこのままだと今週の予定までテストを実施できないので、今日は徹夜をして遅れを挽回するしかなかった。

 携帯端末からコミュニケーションアプリの着信アラームが鳴る。


〈夜、会える?〉


 ヒナタからのメッセージだった。ヒナタはシンヤの苦悩を知る由もない。


〈今日は徹夜で仕事だよ〉

〈そうなんだ。がんばれ~♡〉


 文末のハートマークの絵文字が、シンヤのまだかさぶたになりきっていない心の傷に触れてくる。

 残業マンになれなくなったシンヤはもうヒナタに会うつもりはない。当たり障りのない返事で誘いを断り続けたら、ヒナタはシンヤからフェードアウトして行くのだろうと思う。

 最近の『ZSP』の使いすぎで体調はあまり良くないが、『残業マン』を手放したことで仕事に打ち込むしかないという覚悟が徹夜作業の集中力を維持してくれた。おかげで今週の作業進捗をなんとか挽回することができた。

 さすがに明け方は少し仮眠をとった。そうしないと今日一日の体力と気力が持たない。

 いつのまにか朝九時近くになっていて社員が出社し始めて来た。

 今日もサヨは出社して来ない。

 北里係長と常本係長が強羅課長となにやら話し合っている。サヨのことだろう。

 一日や二日の休みは呆れられたり嫌味を言われたりするが、三日目になると逆に心配されるということがシンヤには分かった。


 徹夜明けはなぜか時間の過ぎるのが早い。時おり強烈な睡魔が襲って来るし、もしかしたら少なからず意識が飛んでいるのかもしれない。

 あっという間に昼休みも終わってしまった。

 北里係長がプロジェクトメンバーを打ち合わせスペースに集めた。


「みんな知ってのとおり紅月がしばらく来ていない。みんなで彼女の作業の埋め合わせをする必要がある。誰か巻き取ってくれないか」


 つまりサヨの今週の予定作業を誰かがやらないと、北里係長が進捗会議でお客さんに怒られてしまうということだ。相変わらず保身しか考えていない男だ。

 サヨの作業を巻き取ることは、当然自分の作業もあるから、単純に倍の時間が必要だ。自ずと徹夜作業をすることになる。

 そんなことは誰も望まない。当然北里係長の言葉に反応する者はいなかった。

 そこに唸り声が近づいて来た。

 打ち合わせスペースに緊張感が走る。

 強羅課長が入って来た。


「おう、北里。紅月の件は片付いたのか」

「……いえ」

「どうすんだよ、進捗は」

「えっと、その……。やはり他のチームから応援を――」

「おめえらよう」


 強羅課長が部屋にいる全員の顔を見渡す。


「てめえらの不始末だろうが。てめえのケツをてめえで拭かないで、誰に拭いてもらおうってんだよ」


 場が凍りついた。強羅はまた全員の顔をゆっくり見渡す。誰かが何か言わないと終わらせないぞ、という圧迫感がある。


「おれがやります」


 シンヤは覚悟を決めた。元をただせばシンヤのせいだ。


「夜神か」


 強羅課長がシンヤと目を合わせた。


「ま、待ってください。夜神先輩は昨日も徹夜をしています。ぼ、ぼくが――」

「おい、根津」

「ひい!」


 クロウが割り込んで来たのを強羅が制止した。


「おまえは黙ってろ。夜神が男を見せるって言ってんだろ。だから邪魔すんじゃねえ」


 強羅課長はシンヤの目を見たままだ。

 この場でシンヤは強羅と二人きりになったような錯覚に陥った。サヨへの償いのためにも、シンヤは強羅の圧力に屈服せず、全力で対峙してやるという気持ちであった。


 ――強羅課長の強制じゃない。おれが自分で決めたんだ!


 シンヤは強羅課長の目を見つめ返した。


「よし分かった、夜神。おまえがケツ持てや」

「はい!」


 強羅課長は唇の片方をつりあげて笑ってから打ち合わせスペースから出て行った。

 シンヤの二日連続の徹夜作業が決定した。

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