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残業マン  作者: 伊賀谷
第四章
17/36

歓楽街にて

 フル出勤だったシルバーウィークが過ぎ、三日間の中間検査が始まっていた。

 今日は検査二日目。

 シンヤは顧客の社屋に出向いて検査中のシステムのオペレーターや機能説明をしていた。

 たくさんのお偉いさんを含めた関係者に囲まれて、かなりの緊張感を強いられる役目だ。

 シルバーウィークのシンヤたちの頑張りのおかげか、ここまでは順調に検査が進んでいる。それだけでもかなり優秀だ。

 ようやく昼休憩になった。

 シンヤは顧客の社屋の社食に向かった。ここはシンヤがいる雑居ビルの社食とちがってメニューも豊富でレストランのように豪華だ。緊張で張り詰めた一日の中で唯一の息抜きの時間だった。


「よう、夜神」


 背後からの声に振り向くと、シンヤは心臓が一瞬大きく伸縮した。

 強羅課長が立っていた。そういえば今日の午後に、強羅は毎週一回の打ち合わせがこのビルであるのだった。


「今から昼飯か」

「は、はい」

「一緒に食おうや」

「はあ」


 というわけで強羅課長と一緒にお昼を食べることになってしまった。

 なんとなく食欲もなくなってしまったので、シンヤはきつねうどんをトレーにのせた。空いている席を探して辺りを見渡す。

 トレーを持って手招きをしている強羅課長が視界に入った。

 強羅の方に向かうと、端っこの窓際の丸テーブルの席が空いていた。二人で向かい合わせで席につく。


「おまえそれだけで足りるのか」

「ええ、まあ」


 強羅課長はカツカレーだった。胃腸が丈夫なようで何よりだ。


「中間検査の方はどうだ」

「はい。今のところは順調です」

「そうか」


 それから二人は会話は少なく食べることに専念した。シンヤは緊張していたので、うどんを味わうことなくすすって胃の中に収める作業に集中した。

 思い返せば、今まで強羅課長と二人きりの時間はほとんどなかった。

 シンヤが意識的に避けていたというのもある。

 強羅課長も普段は北里係長をはじめとする腰巾着のような少数の連中を侍らせているだけだった。

 なので普通の会話をする機会も少なかった。強羅課長については仕事中の厳しい姿から、普段も怖くてとっつきにくい人に違いないと思い込んでいる。

 昼食を食べ終わると、二人で窓の外を眺めた。この食堂はビルの二十三階にあるので、海浜幕張の町の様子が一望に見渡すことができる。

 海浜幕張駅から東京行きの京葉線が出発した。


「もう今すぐ帰りたくなっちゃうよな」

「え……」


 強羅課長が仕事をサボるようなことを言うとは思ってもみなかった。

 心なしか強羅課長の外を眺める姿が物憂げに思えた。


「じゃあ、午後も中間検査頼んだぞ」

「はい」


 強羅課長は先に席を立って食堂を出て行った。

 結局、中間検査は三日目の最終日に不具合が発覚してしまった。数日間の顧客による審議の結果、不合格になった。

 だが、うちの会社としては健闘したと言っていい。

 不合格にはなったがシルバーウィーク返上で頑張った甲斐はあった、とシンヤは考えていた。強羅課長の思うつぼのような気もするが、そうとでも考えないと心が折れてしまう。

 強羅課長が中間検査に関わったメンバーを集めた。


「結果は残念だったが、まあよく頑張ったよ。この土日はゆっくり休め。今日は金曜日だから、早めに仕事をあがって飲みにでも行ってこいや」


 たまに強羅課長から温かい言葉をかけられると嬉しくなってしまう。いや、手放しで喜んでいいのだろうか。

 誘拐事件や監禁事件において、被害者が犯罪者とつながりを求めるストックホルム症候群みたいなものなんじゃないかと、シンヤは考えることがある。

 飲み会を仕切るのが大好きな北里係長がさっそく手配を始めた。常本(つねもと)係長や他のプロジェクト、フロアの全員に声をかけて大きな飲み会になった。

 シンヤが通勤で使っている京葉線ではなく総武線の津田沼駅で飲み会は開催された。近場で大きな飲み会スポットといえば津田沼になる。

 この手の飲み会には強羅課長は参加しない。

 噂によると「一人で飲んだ方が楽しい」と言うことらしい。あとは、自分がいると部下たちが楽しめないと気を使ってくれているという話も耳にした。

 理由はどうあれ、シンヤとしては強羅課長がいない方がリラックスができて助かる。



 一次会が終わって店の前で大人数がたむろしている。盛り上がっている奴らは二次会に行く計画を立てている。


「あのう、夜神くん」

「あ、紅月さん、お疲れさま」

「わたしは帰ります」

「そっか。気を付けてね」


 サヨは飲み会の時は端っこの方でおとなしくしていたので、シンヤは会話する機会がなかった。

 離れて行く地味な紺のパンツスーツ姿のサヨの背中にシンヤは声をかけた。


「紅月さん」


 サヨが振り向いた。


「また本を貸してよ。結構面白いから」


 サヨは笑顔になって何度も頷いてから雑踏に紛れて行った。もう少し二人で会話をしたかった気持ちになるのは、少し酔ったせいもあるのだろうか。


「なんすか、先輩。紅月さんと何を話していたんですか」

「なんだ、おまえかよ」


 ほんのり赤ら顔をしたクロウが近づいてくる。


「先輩も行くんですか、二次会」


 クロウが指をさす先には、北里係長と常本係長を中心に男どもが集まっている。やけにテンションが高い。


「みんなで風俗に行くみたいっすよ」

「マジか」

「ぼくたちみたいなブラックな職場の人間は性欲が高まるんですよ」

「そういうものか」

「生存本能が高まるんですよ。つまり激務で常に生命の危機にさらされているわけです。ヤバくないっすか」

「たしかにヤバいな。《ZSP》みたいだな」

「え、ゼット……。なんですか」

「い、いや、なんでもねえ。まあ、でもストレス発散も大切だからな」

「えっ、先輩も行きます。先輩が行くならぼくも行きます。ていうか、行ってみたいんです!」

「行きたいなら一人で行けよ。おれは帰るぜ」

「えー」


 頬を膨らませているクロウを残して、シンヤは駅に向かった。



 気づくとシンヤは五反田駅で降りていた。


「はっ。おれはなんでこんなところに」


 五反田も風俗店がひしめく歓楽街だ。

 クロウの言葉ではないが、シンヤも性欲が高まっていないと言えば嘘になる。そして一度でいいから風俗というものを体験してみたい。

 シルバーウィーク返上での、いや、一か月前からの激務と中間検査の緊張からの解放感が気持ちを大きくしていた。

 きらめく看板のネオンと、可愛い女の子の大きな写真パネルが蠱惑的にシンヤを誘う。

 シンヤは脳が麻痺した感覚になってきた。

 だが、シンヤはいくつかの店の前を通り過ぎては戻ることを繰り返していた。

 店に入れない。

 いざとなると一線を越えるのは抵抗感がある、というか勇気がいる。


「うーむ」


 また何度か店の前を通り過ぎることを繰り返した。


 ――男になるんだ、シンヤ。よし、店に入ろう。


 今度は一直線に店の入口に向かった。

 その時、入口から女性が出て来た。

 シンヤは急角度でカーブして女性とすれ違って店の入口から遠ざかる。

 女性からはとても良い香りがした。シンヤの記憶を刺激する。


 ――え。


 シンヤは振り向いた。店から出て来た女性を見つめる。


「桜花……さん」


 女性が振り向いた。反則的な美女、シンヤの憧れの女性。

 桜花ヒナタがそこにいた。

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