10
ドクドクと自分の心臓の音が鳴り響き、暑くも無いのに嫌な汗が頬を伝った。
「いつまでそうしているつもりかな?オリビア嬢」
「…………」
油断した。
入れ替わった御者にも気がついたし、男爵と出会ってもすぐに嘘を方向転換して何とかやりきったと思っていたのに。
ただ自分の握りしめた拳を見つめて黙り込む私をハワード殿下は見つめ続けた。
彼はもう椅子の下から抜け出て王族然として座っていた。
「殿下!今回のことは」
「発言を許可した覚えはないぞローズウェル男爵」
男爵にはきつい口調で言いながらも、フフッと軽く笑って頬杖をついてハワード殿下は私を見つめてくる。
このままシナリオが変わってしまうの?
今度は誰が傷つくの?
このまま全てを明かせばどうなるの?
転生や乙女ゲーム、ましてやゲームの強制力なんて話誰も信じない、どうすればこの状況を……。
グルグルと考えを巡らせていくなかでふと思った。
正直に話しても誰も信じない。
なら、例えハワード殿下がどれだけ頭が良かろうと私のやろうとしていることには気が付けないのでは?
「ハワード殿下、取引をしませんか?」
「取引?」
私はごくっと唾を飲みこんで強くハワード殿下を見据えた。
「私は法に触れることはしていません。それでも私の事情を知りたがるのは殿下の探求心によるものでしょう?それとも何か罰を受ける様なことを私はしましたか?」
「いや?今のところはしていないかな?」
キラキラと瞳を輝かせてハワード殿下は答えた。
「ならこのまま殿下は私が我儘で品の無い令嬢であると確認しただけ、それで通してください。お兄様やアレックス殿下には特に内緒にしてください。その代わり、私は殿下の指定する人間を従者にします」
「自らに監視をつけると?」
私はこくりと頷き、胸に手を当てて悪役令嬢らしく不敵に笑った。
「いくら殿下であろうとも、私が成し遂げようとしていることは絶対に見抜けませんから。どうしますか?このまま全てを口外して真実を知る術を闇に葬り去りますか?それとも罪の無い10歳の幼い公爵令嬢である私に〝お得意の〟拷問でもしてみますか?」
お得意の、とわざと強調して言えば殿下の眉はピクリと動いた。
ゲームでチートを誇るハワードは、7歳前後から信用の出来る人間を傍に置き必要であれば拷問も幼いころから経験していたと言っていた。
周囲の心無い大人としては、優秀過ぎるハワードよりも少々抜けているアレックスの方が御しやすいため、いつも暗殺の危険を感じながら成長していたのだ。
「へぇ?ニコラスも知らないはずなんだけどな、どこで知ったんだい?」
殺気、というのだろうか。
先ほどまでは玩具で遊んでいる様な雰囲気だったハワード殿下は、一変して私に明確な敵意を向けてきた。
私は内心怯えながらも渾身の笑顔を作る。
前世の高校生のままだったら絶対に出来なかった。
でも今世の私は悪役令嬢オリビア、公爵令嬢としてのプライドはエベレストよりも高い。
舐めてもらっては困る。
お互いに笑顔で睨み合い、唯一大人の男爵だけが慌てるなか静寂を破ったのはハワード殿下の方だった。
「プッ!アッハハハハハ‼いいね、その件に関してもこちらで調べるとしよう、取引成立だ」
殿下からすっと手を差し出され、思わず握手のために手を差し出すとしっかりと手を掴まれ引き寄せられた。
馬車内の椅子から落ちて、殿下を見上げるような形になる。
「だが覚えておくといい。僕は敵には容赦しない、君がこのまま僕の楽しい玩具であることを願うよ」
「それは殿下次第かと」
殿下はフフッと笑い、私の手を離してくれた。
御者に通じる小窓をノックして御者に話しかける。
「ディーン!もう時間稼ぎは終わりだ、男爵の屋敷まで直行してくれ」
「へーい」
なるほど、男爵の屋敷が王都郊外にあるとはいえ少々時間がかかりすぎだと思ったがわざと寄り道をしていたらしい。
程なくして、馬車は男爵の屋敷についた。
「……オリビア様、今回の件貴方にどんな事情があれおかげで妻の命は長らえました。この御恩は一生忘れません」
「私が私のためにやっただけですよ」
もう、男爵にも目の前のハワード殿下にも演技をする必要は感じないので柔らかく微笑んで返すと彼は涙ぐみながら頭を下げてくれた。
男爵が降り、公爵邸に向かう。
「私が私のために、か。およそオリビア嬢の得になっている様には見えないがどんな得があるのかな?」
人の良い可愛らしい笑顔を見せながらハワード殿下が聞いてくるが、私はもう何も答える気は無かった。
疲れたのだ。
無言で窓の外を見つめていると、殿下もまた無言になり楽しそうに私のことを見つめてくる。
この選択はどういう結果を生むんだろう?
ハワード殿下にこうして興味を持たれることは全くの予定外。
キャメルが現れればゲームの強制力が働いてハワードはちゃんとキャメルに興味を持ち、私のことを嫌うのだろうか。
第一ハワードルートはまずアレックスルートを攻略しないと出てこない、二周目必須のルートだ。
現実でそんなことが起こりうるの?
ハワードはこのまま三年後に死んでしまうの?
それに孤児院のこともクリフのことも私の予想を超えてシナリオに影響してくるかもしれない。
チラッと視線をハワード殿下に戻すと彼はまだ私を見ていた。
もしも、転生したのが私ではなくハワード殿下だったのなら彼はもっとうまくやっていたのかもしれない……。
不意にそんな考えがよぎった。
「…………殿下、例えばの話ですが」
「ん?なんだい?」
「例えば、この世界の神様が誰かを傷つけようとしています。殿下はその人を助けたい、でも神様に逆らえばその人はもっと傷つくし周りの人にも被害が及ぶ、殿下ならどうしますか?」
例えば、と言いつつもほとんど言ってしまっているようなものなのだが、どうしてもこのチートキャラの答えを聞いてみたくなってしまった。
ハワード殿下はふむと口に拳を当てて考えてくれた。
神とは誰のことか?などの質問がくるかと思ったのに真面目に考えてくれているらしい。
そして彼は人の悪い笑みを返してきた。
「えらく抽象的だからね、答えになっているかは分からないが僕だったら神の目を潰すだろうな」
「‼……物騒ですね。信仰心は無いのですか?」
「オリビア嬢が言う神に対しては無いね。
正義も真実も時代や国によって変動する。それなのに己の都合で断罪しようなどとするならばそれは真に正義を司る神ではなく、ただ影響力の強い魔王にも等しい者の所業だ、信じるに値しない」
こともなく言う彼に私は思わず目をパチクリしてしまった。
「ふふっ、何だか神様よりも偉そうですね」
こんなことを王子に言えば不敬なのだが、ハワード殿下は気にした様子もなく笑ってくれた。
「当たり前だ、王子、ひいては国を守る国王になる者としてそれくらいの気概がなくては務まらない」
「では、神様の目を潰せない場合は?」
「ならどこに目があり、どこまでが視界なのかを探る。目とは実物のことだけでなくどこまでを把握しているのかという意味だけどね」
「神様の……視界‼‼‼」
ゾクゾクとハワード殿下と対峙している時とはまた別の衝撃が走った。
神の視界。それはつまり、ゲームで私が見てきた景色そのものではないだろうか。
よく考えれば、この半年クリフに接触はしていたけれどゲームの強制力が働いたのはあの一回のみ。
なら!ゲームに直接的に関わりがない部分は変えられる‼
「ありがとうございます殿下‼」
「?よく分からないが何とかなったのならよかった」
丁度公爵邸に着き、私は淑女の礼をして馬車から降りた。
そして一目散にベラの所に走り寄る。
「ベラ‼」
「ヒッ!は、はい!どうされましたかオリビア様」
私が呼ぶとベラは縮こまってしまった。
ちょっと心を痛めながらも手を引いて自室に招き入れる。
「オ、オリビア様?」
「ベラごめんなさい‼今までのこと、我儘も怒鳴りつけたことも全部本当にごめんなさい‼」
私が勢いよく頭を下げるとベラは私以上に視線を低くして肩に手を置いて来た。
「オリビア様!頭を上げてください‼公爵家のご令嬢が使用人に頭を下げるなど……」
実際は他の使用人にもひどい対応をしていたのだが、一番被害を被っていたのは私の侍女であるベラだった。
私は頭を下げたまま続ける。
「ベラ……理由は言えないけど、私はこのまま我儘で品の無い傲慢な令嬢で居続けなければならないの。ここまで酷いことをしてきた私が頼むのはおかしいって分かっている。
だけどお願いします。私に協力してください」
「オリビア様……」
ふわっと良い匂いがしたかと思えば、私はベラに抱きしめられていた。
「半年前までとは何かが違うと思っていました。私達に何かを言う時、されるとき、オリビア様はとてもつらそうで……。私で力になれることがあるのなら、協力致します」
「ベラ……ありがとう」
私からもきゅっとベラに抱き着き、ちょっと泣いた。
まるで、今世では失ってしまった母のようだと思ってしまった。
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