三十五頁
レッドレイジ領、領都スカラティア。
戦端が開かれたのと時同じ頃。
レッドレイジ家の屋敷では、アナスタシア・シャルルゴンとその母、さらに、その護衛である『蒼玉』レヴィア・エンヴィナンナ、王女付き侍女となったキネア・シュパイカーが留守をしていた。
また、屋敷の主である領主は国王と共に兵を率いて戦場に向かい、この場を嫡男に任せた。王族の対応に、常識的な嫡男は胃を軋ませながら、事に当たっていた。
「今頃は、戦端が開かれたところでしょうか?」
「そうねぇ……デオンくんにはできれば、降伏してもらいたかったのだけれど、始まっているでしょうね」
嫡男の苦労など露知らず、庭のテラスで茶会に耽る王族母娘。
娘の言葉に、母が答える。
母娘揃った銀糸の髪が、陽光を反射して煌びやかに輝いていた。
(まるで、妖精のお茶会ですぅ……)
王女の後ろに控えるキネアは、暢気にそんなことを考えていた。
「母上、デオン“くん”とはどういうことでしょう?」
王妃の言葉に、アナスタシアが疑問を浮かべる。それに対して、王妃はあっさりと答えた。
「デオンくんはね、陛下の幼少の砌には、良き友だったのよ。それがいつの頃からか、お互いの立場もあって、疎遠になってしまったの。それでも、あの人は彼のことを信じていたのだけれど、どこで間違えてしまったのかしらね?」
王妃はそう言って、儚げな微笑みと共に小首を傾げた。
その言葉に、アナスタシアの表情に少しばかりの驚愕が生まれる。まさか、叛逆派の首魁と、自身の父にそのような関係があったとは思わなかったのだ。
アナスタシアは今一度、ジョンドゥーア公爵家の情報を思い出す。
(ただ、当代が野心家なのだと思っていた。今までが忠義に厚かったからと言って、生まれくる子の性格は、天の采配。事実、ジョンドゥーア公爵家であっても、愚者がいたこともある。だが、母上の今の話では、父上が信頼するほどの人物。野心だけで裏切るのか?)
違和感があった。何かを見逃しているかのような、歯に物が挟まったかのような不快感が。
(オリジン教統一派の信者、いや、それならば、やはり、そのような素質があった時点で、父上は信頼するまい。ならば、何だ?)
「偶数の悪魔の囁きに、負けてしまったのかしらね?」
「……?何と仰いましたか、母上?」
「あら、アナは知らなかったの?ジョンドゥーア公爵家についての古くからの噂。偶数の悪魔。あの家に生まれた愚者の全てが偶数の代の生まれだったことからきた噂よ。デオンくんも確か偶数の数えのはずよ」
王妃のその話に、アナスタシアは逆にジョンドゥーア公爵家の奇数の代の情報を思い出す。
(瑕疵が無い……。まるで、初代が生まれ変わっているかのように、瑕疵が無い)
それはあたかも、偶数の悪魔に対して、奇数の天使が存在するかのようだ。
だが、天使と悪魔はどちらも同じ精霊だ。善に依ったか、悪に依ったかの違いでしかない。それがとてつもなく、悍ましい感覚を王女に与える。
(ジョンドゥーアの悲劇)
もしや、という思いが、その情報を浮かび上がらせる。
デオン・ジョンドゥーアの身に起きたとある出来事。
それがきっかけだったのではないか。
(それが精霊に気まぐれを起こさせたのだとすれば、国が滅びかねない)
アナスタシアは最悪を想定する。だが、それが事実だとして今更、何ができようか。
戦場は遠く、そして、此処にも危機が訪れる。
「失礼致します、両殿下」
王妃の後ろに控えていたレヴィアが徐に口を開き、そして、素早く動く。
「【氷硝子の城壁】」
その詠唱によって、テラスの周囲を無色透明の氷の壁が覆う。
「どうかした、レヴィアちゃん?」
王妃のその問い掛けにレヴィアが答える前に、屋敷の庭に矢の雨が降り注いだ。
「ふぇ?!何ですか、これはぁ!?」
キネアが素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「落ち着け、叛逆派の奇襲だ。しかし、ここで勝とうと、戦場には嫌がらせにもならないだろうに。今度こそ、王族を根絶やしにするつもりか」
それを宥めながら、アナスタシアが呟いた。
……
レッドレイジ家の屋敷の外。
そもそも、この屋敷は領都から少し離れた丘の上に建っているが、その斜面を埋め尽くす人相の悪い武装集団。
ガンダ・スクツオフが率いる傭兵団だ。
「もたもたするな!きっちり、働け!反撃させるんじゃねぇ!」
「「「へい、ボス!」」」
ガンダの大声が響き渡り、傭兵たちが次々と矢を射掛ける。
「これでやれますかね、ボス?」
「バカ言え、そんなわけあるかよ。向こうさんには、《宝玉》様がついてんだ。たとえ、それが一人だって、俺たち凡人にゃ関係ねぇよ」
「まぁ、そうでしょうな。いつも通りですか?」
「そうだ。いつも通り、報酬分働けば良いんだよ」
取り敢えずの指示が終わったところで、古株と会話する。その内容は、いつも通り。
ガンダの瞳に殺し合いを愉しむ熱狂はない。この男からすれば、これはあくまでビジネスだった。ただただ、狡猾な冷たい色がそこにはあった。




