44. 来訪者
リディア視点に戻ります。
「フレイライム。今日こそ君と決着をつけたいのだが?」
「……いいだろう。俺もちょうどお前と戦いたい気分だったんだ」
太陽が天窓から姿を消して傾き始めた頃。第五演習室は、ものものしい空気に包まれていた。観覧窓の向こうにはたくさんのギャラリーが集まり、中の様子をうかがっている。見せ物になった気分で、リディアはすぐ目の前で繰り広げられるにらみあいを見つめた。
「かの有名なファビウス家の『漆黒の魔術師』を負かす機会を与えてもらえるとは、光栄な限りだ」
「……どうとでも言えばいい」
そこにいるのは、黒髪の弟と――この国の第二王子。挑発的に微笑むギルトラッドを、フレイが言葉少なにねめつけている。けして声を荒げることはなかったが、フレイはいつになく怒っているようだった。激昂している、と言ってもいいかもしれない。普段何ごとにも興味なさそうにしている弟がこれほど好戦的になっているのを、リディアは見たことがなかった。
彼らは杖をにぎりしめて、じりじりと間合いをとり始める。今すぐ戦闘演習が始まってもおかしくない、一触即発の雰囲気。
(なんでこんなことになったんだろう……)
静かな怒気をたたえる弟の後ろで、リディアはゆるく目をつぶった。
話は半刻ほど前にさかのぼる。
今日も、リディアはフレイと共に黒魔術科の演習室で術の訓練をしていた。始めは無茶をする弟に付き添う形で始めた日課だったが、二人で同じ部屋で訓練していると、毎回いろんな発見があっておもしろい。リディアはいつもこの時間を楽しみにしていた。広い室内で思う存分魔力を使えるおかげで、術の上達も早かった。
――けれど、今日は普段とは少しだけ違った。訓練を始めてからあることを思い立って、どうしても術に集中することができなかったのだ。詠唱をあきらめ、ちらちらと弟の方に視線を投げる。基礎魔術を反復する彼の横顔は、いつの間にかとても大人びていた。
(今なら……)
リディアはぐっと拳をにぎりしめる。さきほど気付いたのだ。これは、ずっと悩んでいたことを訊くいい機会かもしれない、と。ここには、リディアとフレイのほかに話を聞く人は誰もいない。最近の共同訓練で弟との距離もかなり縮まった気がするから、きっと今ならばすんなりと疑問を口にできるはず。
「リディア」
振り返った弟が、こちらの気持ちを見透かすように名を呼んだ。聞き慣れた彼の声は耳にしっくりとなじむ。顔を上げ、リディアは心の覚悟を決めた。
「フレイ。私ね、フレイに聞きたいことがあるの。私の――気配のこと」
それは、ここのところずっと聞きたくて聞けなかったこと――やっと尋ねる勇気を持つことが出来た疑問だった。
王宮の夜会でギルトラッド王子に言われた言葉は、ずっとリディアの心の中に巣くっていた。時折思い出すと、それは刺となってちくちくと心をさいなむ。
――リデュイエーラ・ファビウス。君は、不思議な気配をしていると言われることはないか。
――異常、といってもいい。魔術師の目から見て、君の存在はとても不自然だ。どうして、そんなにこの空間に定着していないんだ。
言われた時は、絶望感で目の前が真っ暗になった。まるで、前世……異世界の記憶があることをを言い当てられた気がしたのだ。冷静に考えて、それはないはずだ、と自分に言い聞かせても震えは止まらなかった。
しかも彼は、弟や兄たちもリディアの異常さに気付いているはずだと言ったのだ。それがどんなにリディアに衝撃を与えたか、言ったギルトラッドには永遠に理解できないことだろう。そもそも人の感情の機微を察することができる人間であれば、ほぼ初対面の夜会の席であんなことを口にはしまい。
家族が、自分の異常性に気付いているかもしれない。そう思い始めてから、リディアはしばらく心が凍ったような状態だった。つねに、素足で断崖の上を歩いている心地。あたたかな大地だと思っていたその場所は、いつ足を踏み外して落ちてもおかしくないところなのだと知った。
キラが戻ったことで気持ちは一時的に落ち着いたけれど、だからといって問題がなくなるわけではない。思い出すたびに胸が痛んで、じわじわと傷が広がっていく。
うつむきそうな自分を叱咤して、リディアは目の前の弟を見つめた。
「ねえ、私の気配って変?この空間に定着してなくて、異常だったりする?自分ではよくわからないんだ」
「っ!なんで急に、そんなこと‥‥‥」
予想外の質問だったのだろう、フレイは驚きに目を見開いていた。明らかに、心当たりがあるといった表情。その反応にリディアは唇を噛み締めた。これでは、肯定しているようなものだ。
「このあいだの王宮の夜会で、ギルトラッド王子に言われたんだ。私はとても不自然なんだって」
先日の出来事を詳細に告げると、弟は地を這うような低い声を漏らした。
「ギルトラッド?…………あいつが言ったのか」
「うん……そう」
「お前があの夜会の後沈み込んでたのは、そのせいか」
「……ごめん、あのときすぐに言えなくて。考える時間、欲しくて」
うなずいて無理矢理笑顔を浮かべると、フレイはさらに眉間にしわを寄せた。別にそういうことを言ってるんじゃない、と苛立った様子で手を振る。
「やっぱり、私、フレイの目から見てもおかしいんだね」
もう弟の答えはわかっていた。それでも聞きたくて、リディアは再度尋ねる。否、質問というよりそれは確認に近い。
「……確かに、お前の気配はよく揺らいでるな。あの南の森で化け物に襲われた時もそうだった」
フレイは、一瞬口ごもった後言いづらそうに口を開いた。その声を聞きながら、リディアはとうとう目を伏せる。予想していたこととはいえ、弟の口から直に伝えられると、衝撃は大きかった。ぎゅっとまぶたを閉じてそれをやり過ごす。なんとかもう一度顔を上げたとき、弟はいやに真剣な顔でこちらを見つめていた。
すまない、と静かに落とされた謝罪の意味がわからない。
「知ってたのに、教えてくれなかったのは……なぜ?」
「それは……」
返答につまって、彼は目を瞬かせた。言葉を選ぶように口を開きかけたが、次の瞬間、リディアの後ろを見つめたまま動きを止めた。顔がゆっくりと歪んでいく。
「悪い、リディア。話は後だ」
怪訝に思ってリディアは振り向いた。後方にあるのは回廊に面した観覧窓。冷やかしの見学人がいないからと、今日は『暗闇』の術で目隠しをせずにいたものだ。だが今、その窓の向こうには複数の人影があった。一番前にいるのは、長身の青年。遠目からでも、長い白金色の髪が見てとれる。――今の今まで話に出ていた、この国の王子……ギルトラッドがそこにいた。
なぜ、と考える間もなかった。彼は、演習室の中の二人に己の存在を知らせるようにこつこつと観覧窓を叩いた後、泰然と入り口の扉を開けて室内へ入ってきた。
「やはり、ファビウス家の二人が密かに新たな術の訓練している、というのは本当のことだったのだな」
迷いなく二人の前に立った王子の第一声はそれだった。リディアには意味が分からなかったが、弟には何か思うところがあったらしい。ただ一言、くだらない、と吐き捨てた。
だが気にした様子もなく、ギルトラッドは彼に戦闘演習を申し込んだ。いわく、他の部屋で戦闘演習を終えたばかりだが、それでは物足りない。フレイライム程度の術師でなければ、相手にならないのだ、と。
いつもの弟なら、こんな誘いにはけっして乗らない。そもそも授業以外の非公式な対人演習を好まないのだ。けれど、今日はどこかが違った。杖を構え、うなずいたフレイは、明らかに怒っていた。
――そして、今この状況に至る。
王子は、したり、と挑発的に笑った。
「フレイライム、君とは同じ禁術使いとしてずっと本気で戦いたいと思っていた。授業の演習では、途中で止めに入る者がいるからな。あれでは、勝敗がついたとは言えない」
「……勝敗なんてどうでもいい。今、ここでお前と戦うだけだ。――余計なことをしてくれた、礼をしないとな」
二人のやり取りの間にも、室内に魔力があふれていくのがわかる。どちらも高い資質を持った魔術師だ、本気で力をぶつけ合えば絶対に軽傷ではすまされない。
「リディア、部屋の外に出てろ」
振り向かずに言う弟の声は鋭い。しかし、リディアの足は動かなかった。まぶたの裏に、前に見たギルトラッド王子の戦闘演習の光景が浮かぶ。あのとき、彼は三人の生徒と対峙しながら禁術を詠唱していた。そしてその術は、一瞬で演習室中を火の海に変えたのだ。――もし、フレイがあんな攻撃を受けたら。
「ダメだよ、そんなの。それならフレイも一緒に……」
二人で外に出ようと、弟の腕を引く。今のフレイは明らかに冷静さを欠いている。こんな状態で危険な相手と戦わせるわけにはいかない。そう頭の隅ではじき出して、リディアは目が合ったギルトラッドをにらみつけた。戦闘を止めたい一心の行動だった。
――けれど。何をどう曲解したのだろう。視線の先で王子は笑みを深めた。
「なるほど、リデュイエーラ嬢も演習に参加する、と?それはおもしろい」
「は?」
「姉弟で新しい術を披露してくれるというわけか。……ならば、礼儀だ。こちらも頭数をそろえなければいけないな」
目を見開いたリディアたちが止める間もなく、彼は顔の横で大きく手を叩いた。すると、観覧窓の向こうにいた人々の一部が、素早く室内へ入ってくる。
「何、言って……」
「魔術師が二対二では均衡がとりづらいな。もう一人増やそう。三対三だ」
そう言ったギルトラッドの後ろに、護衛の騎士らしき青年と白いローブの生徒が一人ずつ並ぶ。
「こちらのほうが、より実戦に近い。さあ、君たちの三人目はどうする?」
「私たちは、そんなつもりは……」
ない、と言いかけて、リディアは、はっと息を飲んだ。――目の前で笑う人物はこの国の王子。そしてリディアたちは今多くの人に見られている。この状況では、もう、戦わないなどという選択肢は残されていないのだ。
同じことにフレイも気付いたのだろう、彼は苦りきった表情で振り返った。
「なんで、こんなことになるんだよ。お前のこと巻き込むつもりじゃなかったのに」
リディアにだけ聞こえる声で、ぽつりとそうつぶやく。それが妙に弱々しく見えて、リディアは弟の袖をぎゅっとつかんだ。
「ごめん。でも……フレイのことは絶対守るから」
そう、一緒に戦えるならリディアが彼を守ればいいのだ。逆に考えれば、ここ最近ずっと続けてきた障壁の術を最大限に生かせるいい機会なのかもしれない。戦うからには、フレイの詠唱の邪魔は誰にもさせない。そう、強い意志を込めて見上げると、弟は呆れたように苦笑した。
「馬鹿。それは俺の台詞だ」
黒い瞳に張りつめていた緊張の色が少しだけ緩む。弟はいつの間にか冷静さを取り戻しているようだった。三人目はどうしよう、と目で問いかけると、彼は迷った様子もなく入り口の扉に視線を向けた。
「トキワ、いるんだろう?」
「はいはーい、呼んだ?」
声に応じて、緑の髪の少年が扉を開けてひょっこりと演習室内に顔をのぞかせた。相変わらず、学院のグレーのローブを身に着けている。ああ、あの子がいたか、とリディアはすとんと納得した。神出鬼没な密偵は、このところよく学院に顔を出す。今もきっと物陰で状況を読んでいたのだろう。
「俺たちは、これで三人だ」
トキワの合流を待って、フレイがギルトラッドに向き直った。だが、こちらの三人目が下級学年のローブを着た少年だと見て取って王子は顔をしかめた。
「その顔ぶれでかまわないのか?こちらは本気を出したいのだが?」
「これは、うちの身内だ。侮ってもらっては困る」
「……ほう、ファビウス家の者か。それはおもしろい。ではこれは、我が王家とファビウス家の戦いの縮図というわけだ」
「どう思おうと、そっちの勝手にしろ」
大げさに身を震わせる王子を冷たい目で眺めて、フレイは杖を構え直した。リディアとトキワも、それにならう。体勢を整えた王子は、それを見て目をすがめた。
「ルールは簡単。将が気を失うか、降参すれば負けだ。将は……フレイライム、君と俺でかまわないな?」
「ああ」
うなずいた弟が、最後に一度だけこちらを振り向いた。
「リディア、戦えるな?」
「うん。望むところ、だよ」
フレイは――ファビウスは、負けない。リディアが守ると決めたのだから、こんなところで負けているわけにはいかない。
※3/3 微訂正しました。(王子の二人称など)
(お知らせ)
◆登場人物紹介 のページに挿絵を追加しました。ものすごくささやかなものですが、ご興味があればご覧下さい。




