45. 戦闘演習(1)
「では、始めよう」
ギルトラッドがそう告げたのは、お互いが十分に間合いを取った後だった。
両者ともしばらく動かず、相手の動きを探る。室内に息のつまるような沈黙が降りた。
とにかく作戦を練ろうと、リディアは離れた位置から相手を見やった。自分たちと対峙している人物は三人。第二王子ギルトラッドの側にいるのは、騎士鎧を身につけた護衛と、白魔術科のローブを来た学院の生徒だ。実のところ、リディアはそのどちらにも見覚えがあった。
(確か……あの騎士は前にもどこかの舞踏会で王子の警護に当たってた)
騎士鎧の青年は、厳しい顔つきでこちらをにらみつけている。同じ聖騎士でも兄のアーシュとは正反対の、いかにも護衛、という風貌の青年だった。記憶をたぐると、彼が夜会でギルトラッドの隣で周囲に目を配っていた姿が思い浮かぶ。王子の護衛の中では飛び向けて若いようだったから、妙に印象に残っていたのだ。もしかしたら、リディアたちとそう変わらない年齢なのかもしれない。
(もう一人は……白魔術科のジョザイア、か)
白いローブの少年は、何を考えているのか読み取れない表情でぼんやりとたたずんでいた。彼は 下級過程のときリディアと同じクラスだった生徒だ。眠そうな猫のような顔立ちで、一見のんびりしているように見えるが、実は商家の出身で色々な立ち回りが上手い。おそらく今も、王子に加勢した方が利があると見て参戦したのだろう。
(敵は、禁術使いに騎士に白魔術師……)
騎士が盾役、ジョザイアが補助、ギルトラッドが攻撃役、といったところだろうか。バランスがとれている。実戦でもよくある形だ。
対するこちらは……。
リディアは、すぐそばの味方二人に目をやった。長い杖を構えて静かな目で正面を見据えている弟と、気負ったふうもなく短剣をいじる緑の髪の少年。――さすがに密偵の彼も、今日はしびれ薬や毒を塗った武器は使わないようだ。
(こっちは、この二人と私……)
フレイは攻撃魔術特化型だし、トキワの強みは素早さ、そしてリディアが得意としているのは治癒や補助の魔術。悪くない組み合わせだが、一つ問題があった。
――こちらには盾役がいない。
「それじゃ、前は俺の担当ねー」
沈黙を破って、トキワがリディアとフレイをかばうように前に進み出た。このメンバーで前衛になれるのは彼だけだ。だが、敵の大柄な騎士と比べると彼はあまりにも小さく見える。一太刀で吹っ飛んでしまいそうだ。――この光景が予見できたから、さきほど王子はこの顔ぶれでいいのかと尋ねたのだろう。
(やってやろうじゃない……!)
リディアは杖を握る指に力を込めた。盾役がいないなら、自分がなればいいだけのことだ。補助魔術と障壁で、自分が皆を守ればいい。
「行くぞ」
弟のその声を皮切りに、詠唱を始めた。
しばらく、攻防は一進一退だった。リディアは補助魔術で味方を強化することに専念し、攻撃は後の二人に任せていた。『素早さ上昇』と『防御上昇』のかかったトキワが身軽な動きで相手の騎士を翻弄し、その隙にフレイが短く詠唱できる下級の魔術を敵陣に放つ。小刻みに攻めることで、相手に術を使う余裕を与えない作戦だった。
だが相手も、一筋縄ではいかない。白魔術師のジョザイアが騎士の速さを補助魔術で補強し、傷を負えば直ちに治癒魔術をかけるのだ。騎士という盾に阻まれては、簡単には攻め込めなかった。――それに、なにより、後方でずっと禁術らしき術の詠唱を続けているギルトラッドが不気味だ。
「これじゃ、らちがあかない……」
眉を寄せてつぶやきながら、リディアはトキワに『腕力上昇』をかけた。固い鎧を身にまとった騎士と戦うには、少年は細腕すぎる。本来の力のままでは、短剣での攻撃はかすり傷程度にもなっていないようだった。
詠唱を終えると同時に、トキワの体がきらきらと光の粒に包まれた。使い慣れた補助魔術の感覚。これで、少しは攻撃力が上がるはずだ。綿密に練った術をかけ終え、リディアは「よし」と息をついた。……しかし。
次の瞬間、こちらを見て、にっ、と笑った敵の白魔術師と目が合った。
「悪いけど、そうはさせないよ。……我に仇なす力を打ち消せ。『無効』」
彼がそう言った途端、ぱしん、と場に圧力がかかる。目に見えない大きな手で打ち払われたような震動を受けて、リディアは数歩よろめいた。――そして、次に顔を上げたとき。
「嘘でしょ、補助魔術が全部切れてる……」
味方に重ねがけしていたはずの能力強化の補助魔術は、すべて無効化していた。急に術が切れたからだろう、騎士と剣を交わしていたトキワの動きが、一瞬がくりと落ちる。先ほどまで余裕でかわせたはずの一撃を避けきれず、上腕を斬りつけられてしまった。ひるんだところに、すかさず騎士が二撃目を加えようと剣をふるう。
「っ、トキワ危ない!」
思わずリディアは少年の方に手を伸ばしたが、フレイの声が冷静にそれをとどめた。
「馬鹿、退いてろ。『氷の矢』」
彼の詠唱によって作り出された鋭い氷の塊が、今まさにトキワに振り下ろされそうだった剣にぶつかる。衝撃で騎士がふらついた隙に、トキワは後方へ跳び退って難を逃れた。腕を押さえたまま、救い主を振り返る。
「へー、フレイもたまにはやるじゃん」
「たまに、は余計だ」
軽口を叩いているが、トキワの顔は失血のせいで少し青い。リディアはあわてて駆け寄って『治癒』をかけた。
体勢を立て直すまでの短い時間、三人は額を寄せて作戦を練る。
「……にしても、今の何?せっかくリディアの術で体が軽かったのに、いきなり消えちゃった」
「『無効』……能力強化系の術を打ち消す白魔術、だよ。まさか、こんなの使ってくるとはね」
確か、かなり高難易の術だったはずだ。リディアも講義で聞きかじったことしかない。同学年のジョザイアが習得しているとは意外だった。
「これ以上は、能力強化を使っても無意味だろうな。急に打ち消されたとき、今みたいにこちらの体勢が崩れる」
フレイの意見に、リディアはこくりとうなずいた。こうなっては、別の形で二人をサポートした方が良さそうだ。
「それより、あいつ……ギルトラッドの禁術が厄介だ。まだ詠唱に時間がかかるとは思うが……あんな規模の術、食らったらひとたまりもない。なんとかして詠唱を止めないと」
「……王子サマ?あー、確かに壁際でずっとぶつぶつ言ってるね。あの騎士の人が邪魔でなかなか近づけないけど……。ねえ、隙作ったら、フレイの術王子サマのとこまで届く?」
「騎士と白魔術師に邪魔されなければ、あるいは」
ふうん、と密偵の少年は薄く笑った。
「じゃあおれ、突撃してみよっかな。……リディア、後ろはよろしくー!」
「わかった。任せておいて」
きびすを返したトキワに、力強くうなずく。
補助魔術は打ち消されてしまったけれど、他に手がないわけではない。ここ最近の魔術の訓練の成果を出す、いい機会だ。今空間魔術を使わず、いつ使うというのか。
リディアはすっと息を吸って杖を構え直した。攻めあぐねて形勢は不利だというのに、なぜか心はどきどきと高揚し始めていた。予感がしている、と言ってもいいかもしれない。
部屋の奥で、王子はまだ詠唱を続けていた。室内に魔力が充満して、渦を巻くように彼に集まっていくのがわかる。きっと、強力な禁術なのだろう。
(だけど。――私たちはきっと負けない)
静かに目を閉じ、リディアは次の術を練り始めた。




