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耳が聞えなかった少女  作者: 伊藤 孝一
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第三章①


 明音は久しぶりに制服に袖を通した。これを着ると体が強張ってしまう。それでも菜々美と約束したから破る訳には行かない。鏡の前でチェックする。明音の顔は浮かない顔をしていた。やっぱり行かなくて良いなら行きたくないと言うのが本音なのだ。それが顔に出ていた。


「ハァー」


 とため息が自然と漏れた。


「明音―、朝ごはんよ」


 下からお母さんの声が聞こえる。早く下に行かなければ


「ハーイ」


 明音は一階のダイニングに行った。お母さんがニコニコで迎えてくれる。


「やっときたわね。早く食べなさい。佐々木さんが来ちゃうわよ」


 と言って焼いたパンと目玉焼きをテーブルに置く。ふとお父さんの顔を見る。いつもと変わらない顔だった。


「早く、食べなさい」


 お父さんに言われる。明音は席に座り朝食を取り始めた。


「イタダキマス」


 佐々木さんはしっかりとしていそうだから、早くに来るかもしれない。そう思ったので急いで食べ

ていたら喉につかえた。


「ウグ」


「ほら急ぐから」


 とお母さんが水を持ってきてくれた。それを一気に飲み干して喉のつかえを取った。今度は落ち着いて食べる事にする。やはり慌てても良くない。


「それでは行ってくる」


 と明音がちょうど食べ終わる頃にお父さんが席を立つ。


「イッテラッシャイ」


と明音が言うと、軽く手を振って出て行った。相変わらず多くを語らない人だと明音は思った。


 ピンポーンとチャイムが鳴る。どうやら来たようだ。


「ほら、佐々木さん来たわよ」


「イッテキマス」


 と明音はカバンを持って急いで外へ出て行った。


「いってらっしゃい」


 とお母さんが見送る。明音は慌てながら靴を履きドアを開ける。朝の日差しが入ってきて一瞬、眩しくて何も見えなくなる。


「おはよう」


 声が聞こえる。しばらくして目が慣れてくると菜々美が立っているのが分かった。


「オハヨウ」


 明音が返すとニコリと菜々美が笑った。


「早く行かないと遅刻するよ」


「ウン」


 二人は並んで学校へと向かう。しかし中々、喋れない。何を喋って良いのか分からないのだ。そこで無難に


「キョウハテンキガイイネ(今日は、天気が良いね)」


 と切り出した。


「そうだね」


 だが、そこで会話が途切れてしまう。中々難しい。また沈黙が続く。


「そういえば、宮本さんテレビとか見るの」


 今度は菜々美から声を掛けてくれた。


「アンマリミナイ」


「そうなんだ」


 とまた会話が途切れてしまった。またもや沈黙。


「ソウイエバ、ドンナオンガクヲキクノ?(そういえば、どんな音楽を聴くの?)」


「そうだねー、やっぱりJPOPかなー」


「ヘー、ドンナカシュ(へー、どんな歌手)」


「あのね……」


 ようやく会話がつながり喋りだす。けれども、


「あっ着いたね」


「ウン」


 残念な事に学校に着いてしまった。でも少しは喋れて良かった。わざわざ来てくれたのに中々話せず沈黙してしまった事を申し訳ないと感じたのだ。菜々美にも気を遣わせているように見えた。けれども、少しだけ打ち解けられたような気がして明音は嬉しかったのだ。


「さてと、早くクラスに行かないとね」


 そう言って菜々美は明音を促した。明音は頷いて校舎に入った。




 玄関で靴を履き替えて、二階に上がるために階段へと向かう。そして階段の目の前に着く。けれども、明音はそこで足が止まってしまった。


「どうしたの?」


 菜々美が心配して声を掛ける。明音は急に恐くなって足が止まってしまった。胸の動悸が激しくなり体が硬くなってしまう。


「大丈夫だよ」


 そう言われて明音は菜々美の顔を見る。そうだ、今は一人じゃないんだ。そう思ったら少し楽になった。また緊張するが一歩踏み出そうと言う気になった。


「ウン、イコウ」


 明音は自分で一歩踏み出す。踏み出してしまえば意外と足が進んだ。菜々美も横に付いてくれた。二階に上がり、教室の前にまで行く。皆がガヤガヤと喋っているのが聞こえた。一瞬、明音は立ち止まったが、気持ちを強くもってドアを開けた。


 パッと前が開ける。すると一気に明音に視線が集中した。


「ア」


 と呟く。さっきまで賑やかだったのがシーンと静かになった。明音も教室に一歩入った所で足が止まってしまった。


「おはよう」


 と後ろから菜々美の声が聞こえた。


「おはよう」


 と誰かの声が聞こえた。それで凍った教室が溶かれて、皆、自分の話に戻った。明音もホッとした。


「アリガトウ」


 明音が菜々美に言うと、気にしないで良いよと手を横に振った。明音は自分の机に向かう。久しぶりの机は懐かしいような怖いような不思議な気分だった。


 心の中でまた、よろしくと机に言ってカバンにある教科書を机に入れた。


「私はあっちだから」


 と菜々美は自分の机を指す。明音は頷く。菜々美は明音と同じように教科書を入れた。明音はぼんやりと時計を見た。そろそろホームルームの時間だ。


 久しぶりに先生に会う事を考えると緊張する。菜々美の方をチラリと見ると菜々美もこっちを見ていた。菜々美がニコリと笑ったので明音も返した。


 チャイムが鳴り先生が入ってきた。朝礼が朝の号令を掛ける。椅子に座ったところで先生が生徒を見回す。ふと明音の所で視線が止まった。けれども何も言わず、いつも通り出欠を取って、連絡事項を言ってすんなり終わった。


 朝礼が号令を掛けて、ホームルームは終わらせる。終わった途端に教室がガヤガヤと騒がしくなった。


「宮本さん」

 

 その中で明音は先生に呼ばれた。ちょっと緊張して近づくと

「よく来たね」


 と言う。明音が頭を軽く下げる。先生にはきっと迷惑を掛けたんだろうと思った。


「それじゃあ、頑張ってね」


 それだけ言って先生は去っていった。深くは何かを聞くつもりは無いらしい。その対応が明音にとっては有難かった。


 すぐに授業の始まるチャイムが鳴る。明音は急いで自分の席に戻った。

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