1「共同生活」
「今日から新しく入ったルノートだ。皆、よろしく頼むよ」
ルノートを連れてきた男――ユエムがそう言った。
バー『パルシェ』。シンフォニ王国の中心都市、第一地区にある雑居ビルで密かに営まれているそこは、ユエムの率いる『アルペシア』なる組織のアジトとして利用されている。
バーの店主はもちろんユエム。他に従業員として『アルペシア』傘下組織の者たちが働いている。
バーには似つかわしくない年齢の少年、名はルノート・ヴルピウス。
黒髪。この世の全てに絶望し、諦めたかのような冷たい目。茶色の瞳が薄暗い照明の光を反射していた。
年齢は六つ。家庭は元々裕福だったが父の失職により転落。何とか学校に通ってはいけたが、妹のダイアは幼稚園に行っていない。母が父を殺し、それからダイアと共に焼身自殺をしたと報道で全国へ知らされた。風呂場に酷い火傷を負った父の遺体が発見。死亡が確認されたのは母と父だけであり、ダイアは遺体が見つからず、生存できる状況でもなかったことから死亡扱い。そしてまたルノートは行方不明として処理され――彼の親戚に発生した保険金や遺産が引き継がれた。
「新入りか~、ヴェイラが突然組織を抜けたからなんだと思ったけれど・・・その子が入ってくれるなら安心だな。将来有望だ」
茶髪の若い男が鬱陶しいくらい眩しい笑顔を浮かべて行った。
彼とは相反する態度を取るもう一人の少女がいる。明るい赤髪に、獅子のような金色の瞳が特徴だ。外見から見るに、ルノートとそうそう年齢は変わらないようだ。彼女はその金色の瞳を睨み付けるように細めていた。
「ユエム様、本当にこいつは組織に相応しいのですか?どう見ても弱そうですけど」
少女がふんと鼻を鳴らして腕を組む。それと同時に彼女のポニーテールの髪束が揺れる。
「まあまあそう言うな。彼のことは私が保証しよう」
「ふ~ん」
言いながら少女はルノートを観察する。ルノートは依然として曇天の表情のまま、下を向いている。
「彼の面倒は今日からお前が見てくれ、ドミナ」
「えっ、わたし!?」
ルノートがこの時初めて顔を上げた。彼の目が少女――ドミナを映す。ドミナもまた彼へ視線をやる。
その時彼女は不思議な錯覚を覚えた。彼の目に自分が取り込まれてしまうような感覚。
ドミナは何も言えずしばらく放心した。どこまでも底の知れない、深い闇を見つめている気がしたのだ。
「よ、よろしく・・・」
ドミナがおずおずと手を差し出す。
「よろしくお願いします」
二人は握手を交わす。
すると、ドミナの頬がぽっと少しだけ赤らんだ。
「早く離せ・・・!」
ドミナは気恥ずかしそうに勢いよく手を離した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『アルペシア』はルノートに対して、『教育』を施すことになった。学校に通えないため、彼の知識面、それ以外の日常生活や組織の仕事に対する教育もドミナの担当となった。
『アルペシア』の仕事とは、暗殺業である。ドミナはつい最近までその教育を施されていた者である。
ドミナとルノートはこれから二人で共同生活を始める。『アルペシア』関係者が管理するアパートの一室に住まうことになった。二人の他にもこのアパートでは『アルペシア』関係者が生活している。
二人はそこで日常生活を助け合って送ることに。生活に必要な物は組織から与えられる。
季節は冬の真っただ中。二人だけの住処。ワンルーム。カーテンで隔たれた夜の暗さは照明が点いていても尚存在を主張する。中央には薄茶色のカーペット、その上に小さな丸い木のテーブル。窓際に背が低い焦げ茶色の三段の棚がある。部屋の隅には一人用のベッド。そこでルノートとドミナはいつも共に眠る。
「おい」
シャワーを浴び終えたドミナが部屋へ戻って来た。彼女はルノートの三つ年上の九歳。灰色の厚手のジャージに全身を包み、乾かしたばかりのその赤髪が照明に照らされて艶を放っていた。
彼女はテーブルの上で勉強用のテキストを広げているルノートを見下ろしている。ルノートはテキストを静かに閉じると、ゆっくりと立ち上がった。
「もうそろそろ寝る時間だ。だからおまえもシャワー浴びてこい」
「はい」
会話はそれだけ。ドミナは眉を顰めると、鼻をふんと鳴らしてベッドに寝転がった。
ルノートが風呂場の方へと行く。その後背を見送ったドミナが、溜め息に近い吐息を漏らした。
「本当に何考えてるか分からないな・・・」
共同生活が始まったというものの、彼との関係は微妙な距離のままだ。ドミナとは必要最低限の会話以外交わさず、基本的にドミナの方から話しかけなければ会話は生まれない。たまに彼の方から話しかけてくることもあるが、その時は大体生活や勉強での質問にすぎない。
ドミナはルノートに対して暗殺の教育も行わなければならない。その教育はまだ一度も行っていないが、近い内にユエムから任務が投下される。ドミナとルノートが所属する『アルペシア』の任務は暗殺。この国――シンフォニ王国の役人の暗殺、科学者や研究者などの邪魔者の排除など。
ドミナは時折考える。なぜ『アルペシア』は暗殺業務を行っているのだろうか。暗殺の対象は、王国の役人や、王国になんらかの影響を及ぼした科学者や研究者ばかりに偏っている。
考えても結論が導き出されないため、適当に『大金が手に入るから』とドミナは片付けた。
シャワーの音が聞こえてきた。この家は壁が薄い。
ドミナは不意にベッドから起き上がると、棚を視界に入れた。棚の一番上の段に、瓶がある。その瓶には白い錠剤が入っている。
あれはドミナが食後や仕事の前に毎回服用している薬だ。まだ数は残っているが、多い訳ではない。後々新しいものを支給してもらわなければ。
風呂の扉が開く音がした。ルノートがシャワーを浴び終えたのだろう。
すぐに部屋へ彼は戻って来た。ドミナと同じ灰色の厚手のジャージ。濡れた黒髪が照明に照らされている。
「髪くらい乾かしたらどうだ」
「はい」
無表情で返事をして、ルノートは風呂場へと戻っていく。ドライヤーは洗面所に置かれているからである。
ドライヤーの起動する音。しかしそれはすぐに止む。
彼は再び部屋へ戻って来た。だが、その髪は依然として濡れたまま。
「まったく・・・!!」
ドミナは舌打ちをして彼を洗面所へと連れ戻した。ドライヤーを片手に、彼の髪を乾かしてやる。
さらさらとした柔らかな髪の感触。少し雑ではあるが、ドミナは彼の髪を乾かすために手を動かしている。
「家族みたい・・・」
なぜかドミナはそう言葉に出た。当のルノートにはドライヤーの音で聞こえなかっただろう。しかし、ドミナは自分の一言にはっとした。
ドミナは唇をきゅっと結ぶ。自分に考える暇を与えないよう、彼女の意識はルノートの髪にだけ向けられた。
髪を乾かし終えたルノートと共に部屋へ戻ったドミナ。彼女はぐったりと疲れた顔をしてベッドへと飛び込んだ。後に続いてルノートがゆっくりとベッドへ寝転がる。
二人は向かい合うようにして寝転がっていた。彼はすでに目を瞑っているが、決して眠りについたわけではないことをドミナは知っている。
彼は必ず「おやすみなさい」と言ってから眠るのだ。
加えて、彼女はいつも夜な夜な魘されている彼の寝言を聞いている。泣き言のように「どうして」とばかり繰り返している。
眠りにつくまでの時間もおおよそ検討がつく。
眠りに入ると彼は死んだように静かになる。寝息すら聞こえないほどに。それからしばらくして急に魘され始める。
ドミナは頭のすぐ側の壁のフックにかけたリモコンを手に取り、部屋の照明を消灯する。真っ暗な空間、彼の息遣いが耳を擽る。
「なあ」
ドミナは耐え切れず声をかけた。目を開いたルノートが、その茶色の瞳に彼女を映し出す。
「少しでいいから、おまえのことを教えてくれないか」
彼は無表情のまま話を聞いている。
「どうして、『アルペシア』に来たんだ」
すると彼が小さく口を開く。
「ぼくは全てを失いました。そんな時、ユエム様がぼくを迎えに来てくださりました」
「全てを失った・・・」
彼の言葉を頭に焼き付けるようにドミナは小さな声で繰り返す。ドミナは彼の言葉を聞いた瞬間に、心の内で強い感情が沸き起こる感覚を覚えた。
その感情の正体は分からない。しかし、彼女にとってそれはとても温かいものであった。
「わたしと一緒だな」
ドミナはゆっくりと手を伸ばす。無意識の内に彼の頬へ触れていた。
「ドミナさん?」
ルノートが疑問符を浮かべている。彼の様子に、ハッと口を大きく開けたドミナが慌てて手を離した。彼女の顔はシャワーを浴び終えてしばらく経ったというのに、同じような熱気を纏ってしまった。
彼と出会った最初の頃も手を握られて同様の感覚を覚えた。ドミナは寝返りを打って、彼へ背を向け、必死に息を堪える。
「もう寝ろ・・・」
「はい。おやすみなさい」
会話はそれで打ち切られた。
ドミナは寝返りを打ち、彼と向き直る。すでに目を閉じてしまったルノートの顔を確認して、ドミナもまた目を閉じる。
「おやすみ」




