2「勇者アンネーム」
『乖背の魔女』。その者はかつてこの世界に存在した、伝説の『魔族』だ。人間との戦争の際中、黒い竜に変身したと逸話が残されている。名前が記録されていない『勇者』によって、『乖背の魔女』の目論見は阻まれた。その『勇者』は名前が分からないことから、『勇者アンネーム』と正直微妙な名前を付けられてしまっている。現存する最古の歴史書によれば、その『勇者アンネーム』が一番最初に歴史上に記録された『勇者』であるとのこと。
「まあ、娘というより正確には『乖背の魔女』の『力の残滓』とでも言うべきか。私は彼女が黒い竜になった際に落ちた涙から生まれたの。竜の体からは常時魔力が溢れ出していた。そのせいか涙にまで魔力が集って、私が生まれた」
イデラはそう言うと、「さておき」と話を切り替える。
「貴方がここにいる理由を聞いてもいい?」
「僕は寝ていたんですけど、突然金縛りに遭って、気づけばここにいました。金縛りの際中、誰かは分からないんですが、見知らぬ女性に頭を触られました」
ルノートの答えを聞いたイデラが顎に手を当てて考える。彼女なら元の世界に帰る手段を知っているかもしれない。
「貴方は全てを知る必要がある」
「どういうことですか」
イデラは言いながら、不意にルノート目がけて小石を放った。
小石はルノートの体へ衝突することもなく、体をすり抜けて行った。
「でもそれは私の役目じゃない。この小石のように、貴方に深く干渉することは許されていないみたいだ」
イデラはふと目を細めた。その仕草に、何の感情が含まれているのかは分からない。
ただ、彼女のその視線は遠くを映していて、ルノートはどことなく漫ろな気持ちになった。
「一つだけ私から言っておくと、先ほど子供の姿をしていた私が言ったように、貴方は『魔族』だ。正真正銘、嘘は吐いていないよ」
「僕が、『魔族』・・・でも、『魔族』はすでに滅んだんじゃ」
「いいや。それは誤りだ。『人間』は魔法が扱えない。今貴方が生きている時代には、時代と共に魔法の扱い方を忘れただけの『魔族』が生きている」
おかしい。そんなはずはない。千年以上前、『魔族』という者たちは、『人間』との戦争において敗北し、『勇者メナス』によって滅ぼされたはずだ。それは有名な伝説で、ルノートは幼い頃母に読み聞かせてもらった本にも記されてあった。また、小学生の勉強の範囲でも歴史を習うが、そこにも『魔族』が滅んで『人間』が生き残ったとされている。
だが、イデラは嘘を吐いているように見えなかった。
「私は夢、そして時を操る魔女。貴方はこれから大きな問題に巻き込まれるだろう。それは後の者が詳しく説明するだろうけれど、先に言っておかなければ心の整理が付かないだろうからね」
「僕はどうすればいいんですか。ドミナは無事ですか」
彼の不安げな表情を見て、イデラは言下に答えた。
「いつか来るその時まで、貴方は自分の選択、行動に注意する。それが最善だよ」
もしイデラがいった大きな問題とやらが、ドミナを巻き込んだものであるならば、ルノートは――。
別れてでも、彼女を守る選択をするだろう。
ルノートは目に力を込めた。
「とにかく、今はここから脱出することが一番だよ」
「そうですね・・・」
理解しがたい出来事の連続で、ルノートは疲弊していた。彼はぼんやりとし始める頭に、若干の危機を覚えた。一刻も早くこの『夢』の中から脱出して、ドミナの元へ戻らなければ。そうだと言うのに、体は疲れを呈している。
「元の世界に戻る方法だけど、貴方はリンジュという男と出会ったかい」
「はい」
「なら、彼と共に行動するといい。彼なら上手く貴方を導いてくれるだろうさ」
するとイデラが微笑んだ。
「私にできるのはここまでだ。後は君自身でやるんだよ」
「はい。ありがとうございます、色々と」
会話が終わると同時に、イデラの姿が消えた。一瞬にしていなくなった。つい先ほどまで目の前に彼女の姿があったというのに。
ルノートは来た道を振り返る。リンジュの家へ戻るべく、足を動かす。
「ドミナ、待ってて」
ルノートは力強く拳を作った。
イデラの言う大きな問題。この先、何が起ころうがルノートは必ずドミナを守ってみせる。
とにかく今はリンジュと合流することが最優先だ。彼がルノートを導いてくれると言うのだから。
家へ戻ると、彼の姿があった。彼は果物の入る籠を傍らに置いて、テーブルの上へ赤い果実を並べている。
「戻って来たのかい。この村は小さいけど、活気があって良いよね」
「そうですね。アリスさんもそうですし」
「これ、さっきアリスから貰ったんだ。この村の人はみんなこの果実が成る木を育てているんだ。どうだい、君も食べるかい?」
瑞々しい赤い果実を一つ、リンジュがルノートへと手渡した。果実はリンゴにそっくりな見た目をしている。
ふと彼の言動にルノートは違和感を感じた。『この村の人』とは、まるで彼が異邦人であるかのような。
「リンジュさん、もしかして生まれた時からこの村にいるわけではないんですか?」
するとリンジュが驚いたように目を見開いた。どうやら図星だったようだ。
「よく分かったね。そうだよ、僕は元々旅をしていたんだ。たまたまこの村に辿り着いて、居心地が良かったんだ。羊飼いになった理由は、元々この家に住んでいた人の仕事を継いだ。その人は高齢だったし、なにより僕は住まわせてもらってたからね」
「旅をする前は何をしていたんですか」
その質問に彼は驚いた表情ではなく、どこか暗い表情をする。
「この村の人は誰も知らないけれど・・・特別な君には、特別に教えてあげるよ」
リンジュは自身もまた果実を手に取る。そして一口齧る。
飲み込んでから、口を開く。
「僕は勇者をしていたんだ」
衝撃だった。彼の風貌が若く見えることから、それは最近の話なのだろう。
ふと『勇者アンネーム』の存在がちらつく。彼の少し後に『勇者メナス』という存在が出てくるが、彼の名前はリンジュだ。
勇者をしていたのなら、『勇者リンジュ』として名前が国に記録されるはずだが、そんな名前は聞いたことがない。
彼こそ『勇者アンネーム』なのではないだろうか。
「ははっ、驚いた?そうだよね、勇者がどうしてこんな暮らしをしているのか疑問に思った?」
「それについても聞いてもいいですか」
「いいよ」
かつて彼はこの世界で『乖背の魔女』と恐れられる魔族と戦ったこと。いつしか『勇者』という存在が、人間同士の争いにも利用され始めたこと。それが嫌で国を離れ、旅を続けてこの村に定住したこと。
やはり彼こそが『勇者アンネーム』だ。名前はちゃんとあったじゃないか。
「僕からも質問していい?」
今度はリンジュがルノートへそう尋ねた。ルノートが頷いたのを見ると、
「君は――魔族じゃないかい?」
彼の目の色が変わった。彼はまるで敵でも見るかのような表情をしている。『勇者』は『魔族』を滅ぼすために誕生した。その標的が今、目の前にいるのだ。
彼は最初から気付いていたのだろう。
ルノートは頬を強張らせる。
「どうやら図星みたいだね。でも大丈夫。僕はもう勇者じゃないから、危害を加えない限り君には何もしないよ」
リンジュはルノートの落ち着かせるように微笑んでみせた。
ルノートはほっと安堵して溜め息を吐く。
「君を見ていると、あの子のことを思い出すよ。あの子が僕に見せた、あの悲痛な表情を――」
リンジュは呟きながら、目線を下に落とす。
「君はどう思う?『魔女』についてさ」
リンジュは真っすぐとルノートを見据える。先ほど彼が呟いた『あの子』というのは、きっと『乖背の魔女』のことだろう。
「全員が全員悪い人じゃないのかなとは思います」
イデラのことを思い浮かべて、ルノートは言葉にする。ルノートもまた、果実を齧った。
「ありがとう」
しばらくしてリンジュが口を開いた。
「君のおかげで、僕は勇気がもらえたよ」
リンジュはいつの間にか果実を食べ終えていた。
「明日にでも僕はこの村を出ていくよ。それで、君はどうする」
まるで『着いて来い』とでも言わんばかりの視線を送りながら、彼は立ち上がる。
「もちろん、着いて行きます」
「それを待っていた」
ルノートも急いで果実を食べ進める。大きさはそこまでだったからか、すぐに食べ終えた。
「それで、どこに向かうんですか」
リンジュはその問いに、間を置かず答えた。
「『乖背の魔女』に会いに行くんだよ」
思わず耳を疑った。ルノートは困惑した顔をして、彼を見やる。
「そんなことできるんですか?」
『乖背の魔女』は彼によって倒され、封印されたはずだ。
「できるよ。だって、僕は『勇者』なんだから」
ここぞとばかりに、リンジュは悪戯な笑みを浮かべた。




