11「猫とスマホと笑み」
ルノートとドミナはホテルが大々的に騒ぎになる前、迎えに来たタクシーに乗ってなんとか帰宅することができた。
ドミナは完全に疲れていて、今にも倒れそうだった。
ルノートは彼女の体を支えながらタクシーを降り、家まで向かう。
鍵を開けて中に入ると同時に、安心感のある見慣れた部屋が視界へと飛び込んできた。
「やっと、帰ってこれた・・・!」
ドミナはすぐさまベッドへと倒れ込んだ。ぼふんとベッドが弾む。
「ルノート、頭の怪我」
ルノートはドミナにそう言われてハッとした。痛みが引いた上に血も止まったため、完全に忘れていた。その上疲労のせいもあろう。
ルノートは風呂場の棚に置いてある薄いタオルをもってきて頭へ巻いた。万が一出血したとしてもベッドのシーツや枕に染みることはないだろう。
「疲れた」
ドミナが枕に顔を埋めながら言う。
「ん」
ドミナが突然ベッドを叩いた。それを見たルノートは困惑する。
「どうしたの」
「寝よ。一緒がいい」
ドミナにそう言われてルノートはすぐにベッドへと寝転んだ。ふと、ドミナのボロボロの服が目に入った。染み付いた血の痕が目に入る。しかし、どこにも彼女の怪我は見当たらない。小さな丸い穴が幾つも服に空いているのだが、一体。
ドミナはルノートに体を向ける。彼女の力ない瞳が、嬉しそうに細められる。
「ルノート・・・良かった、無事で」
ドミナが言いながら、彼の頬へと手を伸ばす。彼女は存在を確かめるように、ずっと頬へ触れていた。
「なあ」
ドミナが頬から手を離すと、話を切り出した。
「もしわたしが死んだら、おまえはどうする?」
突然投げかけられた問い。ルノートは熟考するまでもなく口を開いた。
「ぼくも死ぬ」
その答えを待っていたと言わんばかりにドミナは笑みを浮かべる。
「わたしも同じ。おまえが死んだら、わたしも死ぬ」
今度はルノートが彼女の頬へ触れた。するとドミナが「あっ」と小さく呟いてこれまた顔を赤くする。
「でもそうならないよう・・・必ず、ぼくは強くなってドミナを守る」
ルノートは少し涙ぐんだ。それを隠すためにドミナの体へと抱き着く。彼女は優しく抱き留めてくれた。
二人の身長はほぼ同じ。だからこそ、二人は顔を同じ位置で見合わせることができた。
ドミナはすぐ目の前で涙ぐんだルノートを見て、微笑んでいる。
「わたしもルノートを守りたい。だから、強くなる。一緒だね、わたしたち」
ドミナがそう言ってルノートの手を取る。
「ずっと・・・ずっと一緒だから」
彼女はきゅっと力を込めてルノートの手を握る。ルノートもまた小さく声を漏らす。
しばらくしてドミナは手を離した。ルノートは相変わらず涙ぐんだ目で彼女を見ている。
「今日は疲れたね。いっぱい遊んだし、戦ったしで」
「そうだね。ありがとう、ドミナ。ぼくを助けてくれて」
「わたしからも言わせて。ありがとう、ルノート。わたしと一緒の気持ちでいてくれて」
二人は目を合わせる。途端、またドミナは笑みを浮かべた。
この時になってルノートはようやく気が付いた。自身の感情、『家族』に対する想いが――全てドミナという一人の女性を指していることに。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ルノートの頭の傷は思ったより浅く、傷は簡単に塞がった。ドミナはというと寝て起きたら完全に体力が回復したようで、昨日の経験を思い出してかいつもより朝から機嫌が良かった。
これで二人は無事、任務を終了することができたと言える。
二人はそれからバー『パルシェ』へと向かった。アパートで共有されている公衆電話を使用して、タクシーを呼んだ。お金については前回の廃工場の任務の報酬で貰った額でなんとかなった。
『パルシェ』は第一地区の裏路地にある煤けたビルで営まれている。近くのパーキングエリアで降ろしてもらい、礼を言って二人は車を後にした。
雑居ビルの前まで向かうと、道中にいた黒い野良猫が後を着いてきた。きっと餌を求めているのだろうと、ルノートは推測する。
「おい、なんだおまえ。どうした」
ドミナが屈んで野良猫に話しかける。途端、思い切り威嚇された。
ドミナは驚いて尻餅を付いた。それを見たルノートが思わず笑いそうになる。
「ドミナってもしかして動物に好かれない?」
「そ、そんなことないはず」
ルノートが猫に何か話しかける。すると猫は腹を見せてごろんと寝転がった。
ルノートはわしゃわしゃと猫を撫でる。
「嘘だろ・・・」
ドミナが悲しそうにその光景を眺める。
「ごめんな、餌は持ってないんだ」
ルノートが言いながら、ふとドミナを見やる。ドミナは拗ねてそっぽを向いていたが、彼の視線に気づいて一度だけちらりと目を向けた。
「そう拗ねないで、ドミナ。動物に好かれなくたって人生は困らないでしょ」
「ん、確かにそうだけど・・・」
ドミナが下を向いて小さく言う。
取り敢えず猫は諦めて『パルシェ』へ急いだ。
目的の雑居ビルに到着し、階段を上る。『パルシェ』と書かれた重たい扉を開いた。
薄暗い光がすぐに飛び出してきた。全体的に赤い内装。その中に不自然に紛れ込んだクリスマスツリーが。
「おっ、お前たちか」
酔いが回っているのか、アルコールくさいアヴォイドがカウンター席から声を飛ばした。
「最初の頃に比べてなんか二人共距離が近くなった?もしかして付き合った?ねぇ」
「黙れ」
一蹴したのはドミナ。彼女はアヴォイドを嫌悪的な目付きで睨み付けた後、ルノートの手を引いて店の奥へと向かった。
すると広いテーブル席で何やら書類を広げているユエムの姿があった。彼の光のないくぼんだ目が、一瞬だけ二人の方へ向けられる。
「任務を達成したみたいだが・・・少々面倒事に巻き込まれたみたいだな」
ユエムが書類を纏めながらそう言った。
「『アルペシア』と協力関係にあった『狼虎』、『サイクロン』の二つの連中がどうやら我々を潰すつもりでいたとは話に聞いている」
ユエムは目の前の座椅子を手で指し示し、二人を座らせる。
「一つ言いたいが、今回はかなり派手に暴れたな」
その言葉を聞いたドミナが肩を跳ねさせる。
「いや、任務を行うホテルのことが先日の夜に報道されていてね・・・緊急速報だった。そう、緊急速報で爆発がどうのこうのと騒ぎ立てていたんだ」
ドミナが肩を竦める。彼の言葉を聞いたルノートが慌てて弁明する。
「ユエム様。ドミナはぼくを助けるためにあの行動を取りました。彼女は何も悪くありません。今回の失態はぼくに原因があります。ぼくが油断したせいで敵に捕らわれ――」
「ルノート、私は別にお前たちを責めている訳じゃないんだ、むしろ、褒めたい。よくぞ無事に戻ってきてくれた」
ユエムはそう言うと、ふと彼の隣の座椅子に置いてあった紙袋をテーブルへと乗せた。書類を端に纏め、その紙袋を二人の前へと持ってくる。ルノートとドミナはその紙袋を興味深そうにまじまじと見つめていた。
「ユエム様、これは・・・?」
ドミナが首を傾げる。
「今回の任務達成を祝して、私から早めのクリスマスプレゼント・・・スマートフォンだ。通称スマホ。携帯電話とも呼ばれるものだな。連絡を取るのが便利になる」
二人は礼をして紙袋を受け取る。
「後もう一つ」
ユエムは急に右手をテーブルの上へと差し出した。すると突然空中から二人の鞄が降って来た。それは二人がホテルに置き忘れていた鞄。中にはルノートのテキスト、それぞれの着替えが入っている。
「爆発した痕跡は消せなかったが、他の始末を『アルペシア』の『掃除屋』が行ってくれた。その際、これを見つけたと」
「す、すみません・・・」
「気にするな。ともかく、警備隊の連中に気付かれないよう、我々のいた痕跡は完全に隠滅した」
『警備隊』。その言葉を聞いたドミナが唇をきゅっと結んだ。只ならぬ緊張感が三者の間に走っていた。
シンフォニ王国の治安維持組織である『シンフォニ警備隊』。彼らはこの国の王族に支援され、国全体の法的な取り締まりを行っている。『アルペシア』のような裏社会に潜む犯罪組織についても、彼らは調査している。
「お前たちは今後、派手な行動を控えるように頼む。警備隊に気付かれるわけにはいかないのでな」
二人は「はい」と同時に返事をした。
それから二人は『パルシェ』を離れて家に帰った。『パルシェ』の出入り口に戻った際、酔いで顔を赤く腫らしたアヴォイドが何か言いたげな顔でドミナを見ていたが、ドミナは完全に無視を決め込んでいた。
ユエムが用意した『アルペシア』の者が家まで送ってくれた。今回はタクシーではなく黒い色をした普通車だった。
帰宅するなり、二人は鞄の中身を片付けた。そしてお待ちかねのスマートフォン。テーブルの上に置いて、中身を取り出した。
白色と紺色の機種が二つ箱の中に入っている。
「初めて使う・・・!」
ドミナがわくわくと顔に書かれたような表情で箱を開けた。説明書と充電器、その下に本体が眠っていた。
「なぁ、ルノート。これの設定方法とか分かるか?」
「説明書を読めば多分大丈夫だと思うけど」
ドミナはじっと説明書を眺める。
「漢字ばかりで読めない」
「ドミナも勉強しないとね」
「やだ」
そんなやり取りを交わしながら、二人はスマホを起動する。企業のシンボルマークなのか『’ー’』という顔文字が黒い画面に浮かび上がった。
「おおっ」
ドミナが驚いた反応を示して、画面を見つめている。
それから二人は試行錯誤した。ルノートは小学生の範囲で覚えた漢字の知識を利用し、なんとか説明書を解読。ドミナはルノートの指示を聞きながら画面に浮かび上がるボタンを、ぽちぽちと押していくだけ。
二人はようやくスマホの初期設定を終えた。
「なるほど・・・!」
ルノートが感動したように目を見開き、何かのアプリをダウンロードしている。
「何してるんだ?」
「メッセージをやり取りできるアプリだよ。これでドミナといつでも話せるね」
「おお!いいな、わたしにも後で教えて」
「もちろん」
嬉々として二人はスマホの設定を続けた。ユエムの電話番号、一応アヴォイドの電話番号も登録してついに設定は終了した。
先ほどルノートが入れたメッセージアプリを同じようにドミナもダウンロードして、二人は会話を初めて見る。
『どみな』と名前が表示されたアカウントに友達追加とやらを行い、ルノートとドミナは試しにメッセージを送ってみる。
トーク画面に、ドミナから『こんnちは』という言葉が送られてくる。
「ドミナ、文字を打ち間違えてるよ」
「えっ、あ、本当だ」
ドミナはもう一度文字を入力してみる。今度は『konnichiwa』と英語表記になってしまう。
「貸して、ドミナ。こうやって文字を打つんだよ。ここを押すと英語のキーボードになっちゃうみたいだから――」
ルノートがドミナのスマホを預かり、操作を説明する。彼のその様子をただただ、ドミナは満足げに笑みを浮かべて眺めていた。
説明を終えたルノートが彼女へスマホを返した。その時もドミナは嬉しそうな笑みを湛えながら彼を見つめていた。
『こんにちは』
今度はルノートからメッセージを送った。すると既読が付き、ドミナが返事をする番が。
『こんんちは』
相変わらず打ち間違いをしていた。
「少し練習しないとね」
ドミナはほんのりと頬を赤く染めて、あははと誤魔化すように笑い声を上げてみせた。




