9「最高傑作」
目が覚めた。ルノートは見知らぬ部屋の中に閉じ込められていた。部屋には何も物がない。唯一、目の前にドアがある。
椅子に体を拘束されて身動きを封じられた上、口までテープで塞がれている。
「起きたか」
酷い頭痛がして、ルノートは苦しげに目を細める。頭から血が出ているようで、血液が耳朶を伝って流れ落ちた。
「貴様にはこれから我々の取引材料として役立ってもらう」
強盗頭巾に頭を隠し、上下とも黒い服に身を隠した男がそう言った。すると見覚えのある人物がこの部屋へと入って来た。
サングラスに毛皮のコート。煙草を口に咥えたその男。間違いない、このホテルの支配人である『狼虎』の男だ。
「やっとお目覚めですか。名前は確か・・・ルノート。ええ、ルノートと呼ばれていましたね」
ルノートはあのどす黒い手を出現させようと、脳内で念じる。しかし上手く行かない。頭痛が酷いせいか、思念が定まらない。
彼らに抵抗できる術はないようだ。
ふと、ルノートの頭にドミナの姿が思い浮かんだ。
プール、食べ放題、貸し切りの露天風呂。その場面ごとに彼女の笑顔を思い出した。
『家族』。その言葉もまた、ルノートの脳内に現れた。
「さてさて」
サングラスの男は呟きながら、ルノートの元へ歩み寄る。煙草のにおいがルノートの鼻を掠めた。
「私はあなたを利用して『アルペシア』を潰す。あなたたちに従うのはもうお終いだ」
サングラスの男が口から煙草の煙を吐き出す。彼はそれから血に濡れたルノートの髪を掴む。
「愚かなことにあなたは理解していない。あなたがどれだけ特別な存在で、どれだけ彼ら『アルペシア』にとって重要な存在か」
ルノートは男を睨み付けて抵抗する。
「だからこんな目に遭うのですよ」
男は乱暴に髪から手を離すと、強盗頭巾の男の元へ歩いていった。
「後で『アルペシア』の奴へ連絡を送る。そうすれば奴らは顔色を変えてここへやって来るだろう。戦いの用意はできているな」
「はい。もちろんです」
「流石だ。こいつの監視を続けろ」
「かしこまりました」
二人はそんなやり取りを交わし、サングラスの男が部屋を出ていく。ドアが閉まると、強盗頭巾の男は大きな溜め息を吐いた。
「お前も散々だな。こんな面倒事に巻き込まれて」
男はルノートを見下ろしながら言う。彼はガタイの良い体付きで腕を組みながら、その場に腰を下ろした。
「怨むならお前は自分を恨むんだな。お前は知らないだろうが、ちょっとばかし特殊な存在なんだよ」
口を塞がれているルノートは何も言えず、じっと彼を見続ける。
一体特殊な存在とはどういうことだ。ルノートは今すぐにでも彼へ尋ねたかったが、どうしようもなかった。
「そんなに見るな。少し経てばもうじき何かしら起こるさ」
再び男は大きな溜め息を吐いた。
ルノートは下を向く。彼はただ、誰かが助けに来てくれるのを待つしかできなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あら、可哀想」
目が覚めたドミナが最初に聞いた言葉がそれだった。聞き覚えのない女の声。ドミナはすぐに体を起こす。
すると、思ったより随分楽に体は動いた。あれほど傷を負ったというのに、血痕だけを残し、傷は塞がっていた。そのうえ、痛みもない。
ドミナは視線を声の主へと向ける。
この部屋の扉の側、そこに白い髪の女が立っていた。
思わずドミナは目を奪われた。
何の汚れもない真っ白な長髪、夜を切り取ったような闇色のドレス。どの男も魅了してしまいそうなほどの美貌に、十字型の金色の瞳を持つ両目。その瞳はオルタと同じだった。
女はドミナの元へ歩いて来る。
ドミナは我に返る。あのまま女に見惚れてしまえば、呼吸までも忘れてしまいそうだった。
「おまえ、一体何者だ」
女は顎に手を当て、回答を探す。
「少なくとも、貴方の敵ではないと言っておくわ」
「ならどうしてここに来た。わたしはこれ以上この部屋にいるわけにはいかないんだ。早くあいつを助けに――」
焦るドミナを制止するように、女が溜め息を吐いた。
「彼なら無事だわ。向かう前に少しだけ話をしましょう」
「その言葉を信じられるとでも思っているのか。わたしは話なんかしている場合じゃないんだぞ」
「聞きなさい」
圧が籠った彼女の声音に、ドミナは思わず恐怖を感じた。なぜだろうか、今ここで何をしようが彼女から離れることはできない気がした。
「分かった。それで、話って?」
「貴方の体についての話よ」
女はドミナにそう言うと、またさらに歩み寄って来た。思わず心臓が大きく鼓動を打った。緊張からだろう。張り詰めた空気の中、ドミナは必死に恐怖を耐え忍んだ。
「貴方はいつも薬を服用しているわね。それは『実験』された体を制御するため。しかし、その薬の本当の効果は違う」
ドミナは目を見開いた。なぜそれをこの女は知っているのだ。
「貴方の力を押さえつける効果があるのよ。つまり、貴方は本来の力を使えず弱いまま戦っているの。本当は薬なんて飲まなくても、体は大丈夫」
ドミナはポケットの中に入ってあるであろう薬の瓶を探した。しかし、どこにも瓶がない。
女の言葉に嘘は見られない。ドミナはその時、薬がなくても大丈夫だろうと確信し、瓶を探すのはやめた。
「おまえ、本当に何者なんだ」
ドミナの問いかけに、女は微笑む。
「いずれまた会うわ。その時、答え合わせをしましょう」
女はそう答える。
「早く彼の元へ行ってやりなさい。彼が捕らえられた場所はこのホテルの最上階、十六階の部屋よ。その階に部屋は一つしかないわ。窓はないから壁でもぶち破って突入しなさい」
「十六階・・・」
「エレベーターでは行けないよう対策が施されているみたいだけれど。貴方にとってそれは大した問題にはならないでしょう」
ドミナは窓の方へと行く。
「だって貴方は――」
女は外へ飛び出していくドミナを見送る。
「『最高傑作』だもの」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
すぐ近くで何かが爆発する音が聞こえた。ルノートはその場所を見るために頭が動かせない。
突風が彼の体を撫でて突き抜けていく。
強盗頭巾の男が驚いて後ろを振り返っていた。
「な、貴様――!!!」
男が目をかっと見開く。
「取り返しに来た」
ドミナの声だ。思わずルノートは言葉にならないまま声を漏らす。
男は懐から刃物を取り出す。しかし、刃物一つでどうドミナへ対処するのだろうか。
男は何もできず即刻、足元から噴出したマグマに呑まれて死んだ。
「大丈夫か?」
ドミナは真っ先にルノートの無事を確認しにやって来た。頭から血が流れるほどの怪我を負っているが、そこまで傷は深くないようだ。
ドミナはほっと息を吐いて安堵したが、まだ油断はできない。
騒ぎを聞きつけてか、あのサングラスの男が部屋へと入って来た。
彼は驚いたような顔をしてドミナを見る。
「どうやってここまで来た!!」
「わたしを舐めたおまえのミスだ」
ドミナは中指を立てて彼を挑発する。その途端、男は激高して眉を吊り上げた。
「『アルペシア』めぇえええ!!!!!」
男が棘を体から引き抜く。その棘の形を変化させ、無理やり剣にした。
ドミナが彼の足元からマグマを噴出させる。しかし、彼は右へと軽く跳躍し回避。
やはりあの男は動きが俊敏だ。ドミナは、ルノートが連れ去られた時の戦いで自分が対応できなかったことに納得する。
「だが、もう追いつける――」
あの女の言うことは本当だった。薬の効果が切れたのだろう。いつもの戦闘時よりも体が軽く感じる。
ドミナは拳にマグマを纏わせる。
「何度も言っていますがその攻撃は無駄ですよ!!」
男が剣で斬りかかる。しかし、ドミナの狙いは単に男を殴ることではない。
剣先がドミナの手と触れる瞬間、剣先と衝突する箇所だけマグマを硬化させた。
ドミナが拳を振り翳す勢いで、マグマが男の顔に向かって飛び散った。
その飛び散ったマグマそれぞれの量を増やす。つまり大量のマグマが男の眼前に迫っているのだ。
「なんだと――!!」
男は回避に間に合わなかった。顔面どころか頭部全体をマグマに呑み込まれた。
ジュっと頭部が蒸発する音が聞こえる。マグマの温度までも操作できるドミナの力で、男の頭部だけが完全に消えたのであった。
ドミナはマグマを消失させ、ふぅと溜め息を吐く。
それからルノートの拘束を外す。
「ルノート」
立ち上がろうとしたルノートに、ふとドミナが手を差し出した。
「早く家に帰ろう!!」
その光景はかつて、あの廃工場の戦いの時、ルノートがドミナに手を差し出したものと同じだった。
思い出したルノートは思わず笑みが零れる。
「ありがとう、ドミナ」
ルノートは彼女の手を取って立ち上がる。
「うん!」
ドミナは満面の笑みで、彼に返事をしたのだった。




