表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
厄災令嬢、龍神の番になります  作者: 猫塚ルイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/10

第4話

社での生活が数日過ぎた頃、私はある言いようのない違和感に気づいた。


この山は、常にどこか「乾いて」いるのだ。


見渡す限り、木々の葉は青々として生命力に満ちているように見える。


けれど、ひとたび風が吹けば、舞い上がるのは湿り気を含まない無機質な土埃だった。


社の周りを囲む優雅な池も、今ではひび割れた水底を晒し、かつての清らかな水の記憶を失っている。


その光景は、山を下りた先にある、あえぐ村の姿と重なって見えた。


「蒼様。どうしてこの村には、雨が降らないのですか?」


ある日の午後。


縁側に座り、古びた巻物を静かに眺めていた蒼様の背中に、私は思い切って問いかけた。


村の人々は、これを「龍神様の怒り」だと信じ恐れていた。


天の恵みが絶たれたのは、誰かが神の逆鱗に触れたせいなのだと。


けれど、私の目の前にいる蒼様は、言葉こそぶっきらぼうで不器用だが


私の拙い料理を「ごちそうさん」と言って綺麗に平らげてくれる、誰よりも不器用で心優しいお方なのかもしれない。


そんな方が、罪のない赤子や獣を苦しめるために


無慈悲に雨を止めるなんて、どうしても思えなかった。


「……お前には関係のないことだ」


蒼様の手が、ぴたりと止まった。


その声は、これまで聞いたどの拒絶よりも低く


そして冬の氷のように冷たかった。


一瞬、背筋に冷たいものが走る。


けれど、私はここで引き下がるわけにはいかなかった。


村の家畜が痩せ細って倒れ、水不足に喘ぐ人々が、乾いた喉で天を仰いで泣き叫ぶ姿を


私は「厄災の子」として物置からずっと見てきたのだ。


そして何より、私のすぐ隣にいるこのお方が


独りで抱え込んでいる「重荷」の正体を知りたかった。


「……関係あります!私は蒼様の……専属料理人なんですから!水がなければ、美味しいご飯も、蒼様の好きな温かいお茶も作れません!」


勢いよく言い切ると、蒼様は呆れたようにふっと肩を揺らした。


彼は持っていた巻物をゆっくりと閉じ、重い腰を上げて、私に向き直った。


その瞳には、深い諦念と、決して癒えることのない悲しみが渦巻いていた。


「……ついてこい」


「…!は、はい!」


彼に導かれるまま、社のさらに奥


巨大な御神木が天を突くようにそびえ立つ断崖へと向かった。


そこからは、ひび割れた田畑がどこまでも続く


惨めな村の全景が一望できた。


蒼様は無言で村を見下ろしていたが


やがて静かに、自分の胸元───


着物の合わせを、迷いを断ち切るようにゆっくりと緩めた。


「っ……!」


あまりの光景に、息が止まった。


月光のように白い彼の肌、その心臓に近い場所に、見るも無惨な「傷」が刻まれていたのだ。


それは鋭利な刃物で乱暴に抉られたような、黒ずんだ深い傷跡。


そこだけ龍の鱗が無理やり剥がれ落ち


腐り落ちているかのように生々しく、痛ましく腫れ上がっている。


「……これが、人間から受けた『返礼』だ」


蒼様の瞳に、暗く濁った火が灯る。


かつて、この地が数年に一度の凄まじい飢饉に襲われた時のこと。


若き神であった蒼様は、人々の祈りに応え、慈愛の雨を降らせ続けた。


村人は涙を流して喜び、彼をこの世の救世主


「守護神」と崇め奉ったという。


けれど、雨が降り、大地が潤い


豊かな実りが約束された瞬間───


彼らの「感謝」は醜い「欲望」へと姿を変えた。


「龍の『逆鱗』を煎じて飲めば、不老不死の力を得られる───。そんな愚かな迷信を信じた村の者たちが、夜陰に乗じて、無防備な俺を襲ったのだ」


「……俺が、連中のために雨を降らせ、神としての力を使い果たした直後。最も力が入らぬ時を狙ってな」


蒼様の拳が、骨が浮き出るほど白く強く握りしめられる。


「俺は、信じていたのだ。共に生きる者として……だが、人間など信じるだけ無駄だと、その時に身を以て知った」


「だから俺は雨を降らせるのをやめた。この村がどれほど乾き、どれほど惨めに滅びようとも、それは連中が自ら招いた報いだ」


吐き出される言葉は、鋭い刃となって私の胸を突き刺した。


私は、何も言えなかった。私が「厄災」として捨てられた、あの身勝手な村。


そこに住む大人たちが、かつてこれほどまで残酷で卑劣な裏切りを


目の前で孤独に耐え続けているお方に働いていたなんて。


気づけば、私は無意識に一歩踏み出し、その傷跡にそっと手を伸ばしていた。


「……なっ、何をする…!」


蒼様が驚愕して身を引こうとする。


けれど、私はその手を離さなかった。


指先から伝わる彼の肌はひどく冷たく、けれど傷の奥では激しく


そして苦しげに鼓動が打たれていた。


私は逃げようとする彼を押し留め、その黒ずんだ傷跡に、私の手のひらをそっと重ねた。


「……痛かった、ですよね。…ずっと、お一人で……」


ポタリと、私の目から溢れた涙が、彼の胸元に落ちた。


村の誰も、彼の痛みを見ようとはしなかった。


「神様なんだから雨を降らせて当然だ」と、自分の利益だけを求めて彼を傷つけ


そして今もなお、生贄という名の押し付けを続けている。


「……ごめんなさい。私は、村の人たちのしたことを許せません。絶対に、許せません…そんな酷いことをしていたなんて…」


私の涙が、蒼様の傷跡に触れた。


その瞬間。


不気味に黒ずんでいた傷口が、ほんのわずかだけ


私の涙を吸い込むように白く浄化され、まばゆい光を放った。


「お前……なぜ、泣く?……それに、なぜお前が謝る?傷ついたのは俺で、お前ではないだろう。お前の頬を濡らす理由など、どこにもないはずだ」


蒼様の困惑した声が、震えながら響く。


「…それでも、そんなお話聞いたら、あの人たちと同じ人間として申し訳なくなっちゃいますし…感情移入しちゃって…ごめんなさい」


彼は、溢れ出る涙を止められない私の肩を、大きな、温かな掌でそっと包み込んだ。


その手は、初めて出会ったあの日よりも、ずっと、ずっと温かかった。


「……変な女だ。生贄として捨てられ、死を待つ身でありながら、あろうことか神を憐れむなど」


彼の手が、私のピンク色の髪を愛おしそうに、そして慈しむように優しく撫でる。


その時。


私たちの指先に、言葉では言い表せないほど美しい淡い光が灯った。


目に見えない「赤い糸」が、互いの体温を伝える媒体となるように


より一層太く、そして逃れられないほど複雑に絡み合っていくのを、私は肌で感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ