15.エピローグ
工房には木槌の音が静かに響いている。
タヌキは机いっぱいに図面を広げていた。
昨日作った仕掛けを分解し、ほんの一ミリだけずらして、また組み直す。
『もっと早く』『普通はこうする』『みんなが出来るように標準化して』
そんな声は、もうどこにもない。
新しい罠。新しい道具。
熊を傷つけず追い払う仕掛け。
山の水を効率よく引く水路。
昨日より今日、今日より明日。
少しずつ改良していく。
その積み重ねが、何よりも楽しかった。
誰も昼休みを命じない。
疲れれば休み、夢中になれば夕方まで続ける。
そのリズムは、彼自身の脳が決める。
「ポキョー……」
満足そうに喉を鳴らす。
完成した仕掛けを見つめる目は、少年のように輝いていた。
ここでは、知識を奪われず、工夫を横取りされない。
思いついた者が作り、作った者が育て、育てた者が最後まで責任を持つ。
誰かに評価されるためではない。
ただ、自分が一番美しいと思う形へ近づけるために。
今日もまた、時間を忘れて没頭していた。
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草原に小さな円座が作られている。
南部馬は瞼を閉じたまま、人々の中央に立っていた。
「目を閉じてくださいませ」
誰も言葉を発さない。
風が木々を揺らし、鳥が鳴き、遠くで沢の水が岩を撫でる。
南部馬は穏やかに微笑んだ。
「お日様のリズムは皮膚からじんわりと骨に伝わり、光の匂いも、呼吸の色も、すべて世界との対話なのです」
静寂が流れる。
「そして、それでもなお言葉にならない何かを感じる日がございます」
彼女は空を見上げた。
「それが脳の働きなのか、まだ科学が見つけていない感覚なのか、私には分かりません」
首を横へ振る。
「だからこそ、急いで否定する必要もないのでございます」
周囲には、同じような感受性を持つ者たちが、山窩と平地の隔てなく、静かに座っていた。
夢で見た景色、瞑想中に感じた不思議な一体感、説明できない直感。
そうした体験を、一つ一つ書き留めていく。
「いつの日か科学が答えを見つけるかもしれません」
南部馬は優しく続けた。
「その日まで誰も体験を失ってはなりません。記録し、語り継ぎ、互いに耳を傾ける。それが私たちの務めでございます」
彼女の声は土に溶けていく。
今は誰も神格化せず、嘲笑もしない。
ただ一つの体験として大切に受け止められている。
南部馬は静かに目を開く。
その瞳には、もう孤独の色はなかった。
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オニヤンマは沢の上を飛び回っていた。
「桃太郎ー!」
空から大声が降ってくる。
「今日は熊狩りだったわよね!」
桃太郎は山道で笑った。
「ええ、今日よ」
「じゃあ行こ!」
「まだ朝だ」
「だから?」
「皆は昼頃に集まる」
オニヤンマは首を傾げた。
「今日集まるんだから同じじゃない」
桃太郎は笑う。
「そうね」
約束は「今日」「明日」「雪が降る前」「次の満月」といった具合に交わされる。
時計の針ではなく、太陽と月と天気が時間を教えてくれる。
誰も「十時に来なかった」と怒らない、謝らない。
「今日中には来るだろう」
「夕方までには戻るだろう」
それで十分だった。
「最近ちょっと太ってきたのよね」
ストレスが減ったオニヤンマは新たな悩みを携え、ダイエットのため、より精力的に動き回る。
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沢のほとりの小さな天幕。
桃太郎は木箱を開き、平地から定期的に支給される猟銃を静かに分解していた。
布で火薬の汚れを拭き取り、油を薄くのばす。
少し離れた場所では、老婆が調理の支度をしている。
石を積み上げたロケットストーブに薪をくべると、小さな炎が勢いよく立ち上った。
鉄鍋からは、熊汁の香りが立ちのぼる。
今日仕留めた熊は、無駄なく使われた。
肉は食料となり、脂は灯火や道具の手入れに使う油となり、毛皮は寝具となり、骨は道具や細工の材料になる。
老婆が鍋をかき混ぜながら笑う。
「今年は木の実も豊作」
老翁が干し肉を縄へ吊るした。
「冬支度も、これで安心だな」
桃太郎は銃身へクリーニングロッドを通し終えると、静かに銃を組み立てた。
カチリ、と乾いた音が響く。
空には夕焼けが広がり、沢を渡る風が天幕を揺らした。
桃太郎は山を見渡す。
熊と人、季節によって境界は曖昧に重なる。
その均衡を守ることが、自分たちの役目だった。
老婆が手を振る。
「飯ができたよ」
「今行く」
桃太郎は猟銃を木箱へ戻し、穏やかな笑みを浮かべながら歩き出した。
その背中を、静かな山の夕暮れが優しく包みこんだ。
おしまい!




