9:初恋は叶わないらしい(4)
その日の夜。トウカは王太子の私室にいた。
彼の私室は、家具や調度品は豪華だが無駄なものが少ないからとても落ち着く。
「いくら相手が私といえど、二人きりの部屋で、あろう事かベッドに腰を掛けさせるのは如何なものかと」
明日の予定を確認しにきただけなのに、なぜ自分はベッドに腰掛けているのだろうか。トウカは遠い目をしていた。
「少し話をしたいだけだ」
「せめて扉は開けておくべきかと」
外には警備の兵がいる。
開けておけば、何もなかったと彼らが証明してくれる。
「別に何もしない」
「何もしないって、何も出来ないの間違いでしょ」
未だフィオナとの関係に名を付けることも出来ていない甲斐性なしに何ができるというのか、とトウカは鼻で笑った。
「なっ!?馬鹿にすんなよ!俺も一応男だからな!?」
カッとなったギルバートはトウカを押し倒そうと彼女の肩を掴んだ。
けれど、その手は易々と捻り上げられ、彼は逆に押し倒されてしまった。
「何かしたければ死を覚悟してくださいね?」
トウカはスカートを捲り上げ、太ももに仕込ませた暗器を見せる。
たかだかギルバート相手に簡単に組み敷かれるほど、彼女は弱くない。
「何というか、はしたないと怒れば良いのか、そんな物を持ち歩くなと怒れば良いのか…」
「怒りを向ける先は自分の軽率さでどうぞ?」
押し倒されて立場のないギルバートはトウカを見上げながら、ふと、何かを思い出したかのように顔を赤らめた。
「…どうかしましたか?」
「ジュリアスの言っていた『あの件』って、婚約のことか?」
「あー、それね…」
何を思い出したのか何となくわかってしまったトウカは、小さくため息をついた。
「イエスでありノーです。言っときますけど、断りましたからね。流石に」
「そうか…」
少し落胆したしたような表情をするギルバート。
トウカはそんな彼の手を引き、起き上がらせて寝台に座らせると、自身はその側に立ちスカートを直す。
「引き受けるわけないでしょ。殿下に閨の作法を教える役なんて」
ジュリアスが昼間言っていた『あの件』とは、婚約の事ともう一つ、閨の指南役についてだった。
「何を考えて私を指名したんですか」
「だって、よく知りもしない娼婦とか、なんか嫌だろ」
「顔見知りの方が嫌でしょうに」
このお坊っちゃんは変なところで潔癖だ。
通常、王族や貴族のご子息様に閨でのアレコレを教える役割は、高級娼館の娼婦が多い。
たまに、家に使える女中がその役割を担う場合もあるが、側近中の側近を指名する人間などほとんどいない。
「言っときますけど殿下みたいなタイプの人は、顔見知りとそういう関係になって、そのあと平然といつもと変わらないように生活するなんて無理ですからね」
腹芸もろくに出来ない真面目さがウリの純粋王子が、一夜を共にした相手とその後、何もなかったように振る舞うなどできるはずがない。
意識しすぎて、日々の業務もままならなくなるなど御免被る。
「…お前は、もし俺とそういうことになったとしても平気だと言うのか?」
「もしもなんてあり得ませんが…。平気も何も、指南役も仕事ですからね?特別な感情なんて持ちませんよ」
ギルバートは彼女のその答えに、少し不服そうに「そうか」と一言だけ呟いた。
「じゃ、私はもう行きますからね。明日は補佐官としての予定があるので、朝からユイが付きます。頼みますよ?」
頼みますよ、というのは新しく入った部下を困らせるなという意味だ。
トウカは明日の予定を軽く告げ、主人に背を向け部屋を出ようとする。
すると、背後から腕を掴まれた。
「…まだ何か?」
いい加減寝たいんだがという思いが募り、つい口調が強くなる。
「…あー、あのさ、初恋は叶わないってよく言うよな 」
「言いますね」
「…やっぱりさ、叶わないのか?」
「さあ、どうでしょう」
面倒臭そうに適当に返すトウカにギルバートはムッとした顔をした。
「なあ、ズルいのはお前も同じじゃないか?」
「何の話です?」
「そうやって明言を避けるところ」
「…言ってしまって良いのですか?」
「いや、聞きたくない」
「でしょう?世の中には知らない方が良い事もあるのです」
「もういいですか?」と主人の手を振りほどき立ち去るトウカを、ギルバートは不満げに見つめていた。
彼は自分にどう答えて欲しかったのか。叶うと答えてぬか喜びさせたくはないと願うのに、叶わないと答えて悲しませたくはない。
明言を避けるのはトウカの臆病さ故だ。
(…確かに狡い)
トウカは自嘲するように笑った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
ギルバートの初恋の相手は御察しの通りかと思います。