77:友だちの話
夜会から5日。
トウカの周りでは色んなことがあった。
治療院に担ぎ込まれたトウカの元に、宰相がスライディング土下座で登場したり、マリアがそれに倣い土下座をしようとするのをジュリアスが必死に止めたり、泣き腫らしたフィオナの目が3になったり…
-----声が出なくなったトウカのそばをギルバートが片時も離れなくなったり。
あの日の夜、ギルバートと会話したのを最後に彼女は声を失った。
主治医曰く、声帯や脳に異常は見られないのでおそらく心因的なものだろうとの事だ。
再びその声が聞けるのがいつになるかはわからない。
現在、学園や王宮では風邪をこじらせて声が出ないのだと誤魔化し、筆談することでコミュニケーションをとっているためこの事を知るのはいつものメンツだけ。
だが、この措置はいつまでも通用するわけじゃない。
そして何より…
『このまま声が出なければ婚約は発表できませんね』
「俺の心を勝手に読むな」
そう書いたノートを高々と掲げるトウカに、ギルバートは口を尖らせた。
当然ながら、声を失った令嬢を王太子妃候補として発表するわけにもいかず、婚約発表については一旦白紙となっている。
『図星つかれたくなければ離してください』
「いやだ」
『部屋に戻りたい』
「今日はここで寝れば良い」
『良くない』
「大丈夫、何もしない。多分」
『そこは絶対と言ってくださいよ』
トウカは、後ろのギルバートに見えるようにペラペラとノートを捲る。
(フィオナは明日シメる)
明日の予定を確認するために部屋を訪れただけなのに、ギルバートに後ろから抱きしめられるようにしてベッドの端に座っているこの状況は一体どういうことだろうか。
納得できない彼女は、明日、空気を読んで退室したフィオナに八つ当たりすることを決めた。
「おい、何故あらかじめ返答をノートに書いているんだ…」
トウカのノートを捲りながら、既に書かれている返答の数々にギルバートは驚いたような呆れたような、そんな微妙な反応を見せた。
『殿下との会話など大体予測できるので、返答を何パターンか用意しているのです』
「すごいけど、なんだろう…。腹立つ」
『褒め言葉として受け取っておきます』
ちなみにこんなのもありますと彼女が見せたのは『面倒臭い時の相槌シリーズ』と書かれたページ。
適当な相槌を書き連ねて、指差せば良い感じの返事が返せる画期的な仕組みだ。
ギルバートは、そこに書かれているトウカが良く使うフレーズに顔しかめる。
「おい。何だこの、『言ってませんからね』って。まだ何か隠してる事があるのか?」
『念のためです』
「なんだよ、念のためって」
『言ってないことが多すぎるので』
「言え。もう全部言え。1知ったら10知るのも同じだろ」
『残念ながら、10では収まりません』
「ふざけんなよ」
ギルバートはトウカの肩に顔を埋めるようにしてぎゅーっと抱きしめた。
(また心配をかけてしまったなぁ)
あれからギルバートはウザいくらいに、トウカのそばを離れない。
やむを得ず離れる時はツバルやフィオナ、学園では不服そうにしながらもクリストファーやアーサーに彼女を託すようにしている。
「お前が弱ってるところにつけ込んでも良いか?」
『良くないです』
「お前のこと全部知りたい。抱えてるものを一緒に背負わせて欲しい」
『残念ですが、そこまで弱ってないのでつけ入る隙はありません』
「声出せなくなってるのに弱ってないわけないだろ。嘘つくな」
『声が出ないだけです』
「嘘。眠れてもいないだろ」
ギルバートはトウカの頬に手を当て、目の下のクマを指でなぞる。
「一緒に寝るか?」
『嫌です』
「俺のシャツだけじゃ物足りないだろ?」
『薬あるので大丈夫です』
「もうあんまり薬効いてないんじゃないのか?」
図星をつかれたトウカは、わざとペンを床に落とした。
元々気休め程度の睡眠薬だ。彼女の体は、度重なる過度の使用によりほとんど効かない体質になっていた。
ギルバートはそっとベッドから降りると、ペンを拾い、トウカに跪く。
そしてまるでプロポーズするかのように、彼女の手にそれを戻した。
「俺のこと好きじゃなくて良いから、お前のこと守る権利を俺にくれないか?確かに頼りないかもしれないけど、それでももう嫌なんだよ。お前が傷つくのはもう見たくないんだ。頼むよ…」
懇願するような目で見てくるギルバートに、トウカはどうしたものかと顔を伏せた。
本当はこのまま絆されてしまいたい。
(ダメだ…。ちゃんと言わなきゃ。この手を取りたいのならいい加減言わなきゃ)
弱っているせいか、このまま何も言わずに絆されてしまえば良いと囁く悪魔の声の声が聞こえる。それを振り払うように首を振ると、トウカは返されたペンをノートの上に走らせた。
『友達の話なんですけど、聞いてくれますか?』
「友達って、マリアのことか?」
『違います』
「じゃあフィオナ?」
『違います』
「じゃあ、ユイ?」
『違います』
「じゃあ…」
トウカは空気を読まずに意地の悪い返しをするギルバートの横っ面をノートで叩いた。
頬を押さえ、痛いと抗議してくるが知ったことではない。
「指で数えられる程度しか友達いないやつに、自分の話を『友達の話』として語る手法は使えないぞ」
『何を言われても友達の話です!じゃないと話せないんです!』
「…そういう体で聞けば良いのか?」
トウカはコクコクと頷く。
わかったと、ギルバートは再びベッドに腰掛けた。
『友達が求婚されてるんです』
「へー」
『でも友達は、返事を迷ってるんです』
「その友達は求婚してきてる男のこと好きなの?」
『そこは知りません』
「俺としてはそこが一番聞きたい」
話の腰を折るギルバートに、トウカは再びノートを振り上げる。
「ごめんごめん。ちゃんと聞くから。それで?何で求婚を受けないんだ?」
『友達にはその人の妻になる資格がないから』
「どういう事?」
『友達は、昔男に暴行されて純潔を失いました。その友達の体は穢れているんですよ』
そこまで書いて、トウカは恐る恐る隣に座るギルバートの顔を見た。
彼は驚いたように目を見開いていた。
これは誰も知らない秘密であり、誰にも知られたくない秘密。特に愛する人になら尚のこと。
けれど、これを言わずに彼の求婚を受け入れるのはあまりにも不誠実だ。
だからこの話をした。
トウカは震える手で続きを書く。そしてゆっくりと息を吸い込むと静かに吐き出し、ノートを目元近くまで上げてギルバートに見せた。
『もし殿下がこの友達のお相手だったら、穢された女を受け入れますか?』
じっとギルバートを見つめるトウカに対し、そう書かれたノートを見た彼はスッと目を逸らせた。
その反応に、夜会でハルトが言った言葉がふと頭をよぎる。
【ギルバートは聖人だから他の男が手をつけた女でも喜んで受け入れる、とでも思っているのか?】
そう言ったハルトは正解だったのかも知れない。
トウカは心のどこかでギルバートは受け入れてくれると思っていた。
別に王家の婚姻の条件に処女であることは含まれない。そうであることが望ましいとはされているが、絶対ではない。
だから、ギルバートが『問題ない』とさえ言えば問題にすらならない事だった。
トウカはゆっくりとノートを膝の上に下ろすと、再びペンを走らせる。そして
『変な話してごめんなさい』
ノートを掲げて自嘲じみた笑みを浮かべた。
「叔父上か?」
ハルトと対峙して声が出なくなった事や、日頃からのハルトの名に対する彼女の反応を考えれば、ここに記された『男』が誰であるのかを推測するのは容易い。
直感的にそう思ったギルバートは、呆然としたまま無意識にそう呟いていた。
声に出ていたことに気づき、ハッとして口元を押さえトウカを見ると、彼女は困ったように笑っていた。
それが肯定を示している事など、誰の目から見ても明らかだった。
「ごめん…」
ギルバートは俯き、消え入りそうな声でそう言った。
何に対する謝罪だろうか。トウカにはわからない。
けれど、彼女にはその謝罪が『受け入れられなくてごめん』の意味にしか聞こえなかった。
自分の叔父と関係を持った女だ。汚らわしいと感じているに違いない。
(泣きそう…)
泣く権利なんてないのに涙腺が緩む。これは彼の好意に甘えて彼の優しさに甘えて、長い間大事なことが言えなかった罰だろう。もっと早くに伝えていれば、彼がこの初恋に無駄に時間を割くこともなかった。
トウカは精一杯の笑顔を張り付けて、失礼しますと部屋を出た。
ギルバートはそれをただ黙って見送ることしかできなかった。
翌日、ウザいくらいトウカの側を離れなかったはずのギルバートと彼女と距離はいつもと少しだけ違っていた。




