75:不本意な再会(1)
ホールの中心では、ギルバートが通算10人目のご令嬢の相手をしていた。
お相手の令嬢は豊満な体をした美しい女性で、名はハンナ・バスカル。一応国王派のバスカル侯爵家の令嬢だ。
学園でもよく声をかけてくる彼女の好意にはギルバートも一応気づいてはいたが、特に何か言われたわけでもないので今のところは良い友人として付き合っている。
そんな彼女と、煌びやかなシャンデリアの下、この日のために特別に呼び寄せた有名な楽団の優雅な音に乗せて、楽しそうにステップを踏んでいるように見えるギルバートだが、実のところ、そろそろ笑顔を貼り付けるのもしんどくなってきていた。
(どうせならトウカと踊りたい…)
何て事を思いながら踊っていると、面倒くさくなっている事を悟られたのかハンナはギルバートの足を踏み、よろけてしまう。
ヒールで踏まれた右足には激痛が走るが、ギルバートは平静を装い、彼女が転ばないよう抱き止めた。
「も、申し訳ありません!」
「大丈夫だよ。怪我はないか?」
「は、はい」
ハンナはギルバートの胸にしなだれかかり、潤んだ瞳で見上げてくる。
ギルバートはその胸元に思わず息を飲む。
「あ、あちらで少し休もうか」
「はい」
とりあえずギルバートはハンナは手を引いて近くの椅子へと誘導する。彼女は頬を赤く染め、恥ずかしそうにしながらも彼の手を取った。
ふと視線をテラスの方へと向けるとと、ジュリアスとマリアが楽しそうに談笑しているのが見えた。
想い人とダンスを踊り、想い人と楽しく食事しながら談笑するマリアをギルバートは恨めしそうに見つめる。
彼の視線に気づいたのか、マリアは満面の笑みで手を振ってその視線に答えた。
口をパクパクと動かし、『おつかれ』と言っているのがわかる。
(疲れてるのがわかってるなら助けろよ!)
筆頭公爵家の娘であり、この夜会の主催者側でもあるマリアが声をかけてさえくれれば、大抵の女は大人しく身を引く。
「ギルバート様はやはりマリア様の事を…」
「へ?」
ハンナはどうやらその視線を『マリアに未練があるのだ』と捉えたらしい。
ギルバートの置かれた状況を斜め上に解釈して、勝手な妄想で話を進め始める。
「それなのに、側近の立場を利用してあの女が婚約者の座を奪いとったのですね」
「え?」
「愛する人と引き裂かれたお可哀想なギルバート様…。一度婚約を破棄したお相手ともう一度婚約などなかなか出来ませんもの…。貴方様はこの先、強引な手段で婚約させられた相手と添い遂げねばなりませんのね。なんと嘆かわしい」
「はい?えっと、君は何か誤解しているようだ。違うからね?マリア嬢とはそもそも婚約してないからね?」
「ご無理をなさらずとも良いのです。宜しければ、この私がお慰めさせていただきますわ」
そう言って熱を帯びた目でギルバートの腕にまとわりつき、その豊満な胸元をこれでもかと押し付けてくる侯爵令嬢に、ギルバートはただただ、ぎこちなく笑うしかない。
「…えっと…それは誘ってるのかな?」
「ギルバート様がお望みならば」
「ははは、面白い冗談だね」
乾いた笑いしか出ないギルバートは、腕にまとわりつく彼女の肩を優しく押し返す。
こういう夜会では意気投合した男女が睦み合うための部屋が用意されている。この令嬢は暗にそこに誘っているのだ。
公式に発表される前ならば既成事実さえ作ればまだ覆せると考えているのだろう。
元平民のトウカが相手にされるのだから、格上の自分も相手にしてもらえるという浅はかな考えが見え透いていて、心底ギルバートは気に食わない。
「冗談ではありませんわ!私、本当に昔からずっと…ギルバート様のことが…」
「うん。ありがとう。でもごめんね?」
彼女が言い切る前にギルバートはバッサリと切り捨てた。
渾身の色仕掛けをあっけなく拒否されて恥ずかしかったのか、彼女は露出した胸元まで全身が真っ赤に染まっていた。
「な、何故ですか!?」
「何故と言われても、俺は君に対して特別な感情など持っていない」
「なっ!?そんな!私はあの女よりも美しいですし、あの女よりもギルバート様の事を愛しています!」
「確かに君は美しいし、君の好意はありがたく思うよ?でも他のご令嬢をあの女呼ばわりはする君を妃に迎え入れるわけにはいかない」
「あの女に何が弱みでも握られているのですか!?」
「どうしたらそういう考えになるんだ…」
「だって!平民上がりの女が王子様に見染められるわけありませんもの!」
ハンナはすぐにボロを出した。
マリアが相手なら勝てないが、トウカが相手なら勝ち目があると思ったのにと悔しがっている。
だが、たとえトウカがいなくとも、ギルバート本人を前にそのような失態を晒す女など、どう考えても次期王妃として迎え入れるわけにはいかない。ハンナは最初から婚約者候補にも入れない令嬢なのだ。
ギルバートはメイドから水の入ったグラスを一つ取ると、それを彼女に渡した。
「君は少し酔っているようだ。これを飲んで落ち着くと良い」
そう言って、彼女を椅子に座らせるとその場を立ち去ろうと踵を返す。
しかし何かを思い出したように立ち止まると、呆気に取られているハンナに追い討ちをかけるように言い放った。
「君は何か勘違いしているようだが、強引な手段を使ったのも、言い寄っているのも俺の方なんだよ」
ハンナはぽかんと口を開けたまま、そう言ったギルバートの背中を、ただ見つめるしかなかった。
***
そろそろギルバートもお疲れの頃だろうと彼と合流するために会場の端を移動していたトウカは、酔っ払いの貴族令息に捕まり囲まれていた。
(しくじったー。安易に一人になるべきではなかったか…)
一瞬、反射的に応戦するような構えを取るが、手を出されていないのに先に手を出すわけにはいかない。
落ち着けと自分に言い聞かせて、トウカは笑みを貼り付けた。
「君、女のくせにギルバート殿下の補佐官してるって噂の伯爵令嬢だろ?」
「婚約したってほんと?」
「優秀だから女のくせに補佐官なんて地位についてると言われてたけど、単に殿下のお手つきだからそばに置いていただけか」
「グレイル伯爵もうまくやったよなー。見事に王太子の婚約者の座に妹を座らせたんだから」
「ハニートラップってやつ?」
下卑た笑みを浮かべ、口々にそう言う男たち。
周りはハラハラしているものもいれば、ザマアミロと同じように下卑た笑みを浮かべるものもいて様々だが、誰一人として酔っ払いに絡まれる彼女を助けようとはしない。
(素晴らしいほどの小物感。どうあがいてもモブ止まりの残念な連中)
トウカは彼らにそう評価を下し、気付かれない程度に小さく息を吐いた。
エドワードが実力主義の人事をするせいか、上層部はトウカ・グレイルを認めている人間も多く、仕事をしていてやっかみを受ける事は少ない。だが、こういう社交の場となると話は別だ。
元々男社会の政の世界。
女が、王族の補佐官というエリート街道まっしぐらな地位に座っていることをよく思わない貴族連中にとって、今の彼女は格好の獲物である。
「どうせなら俺にもハニートラップしかけてみてよ」
「よく見ると結構な器量好しじゃん」
そう言って一人の男が強引にトウカの肩を抱く。
もちろん、爵位だけが取り柄の役職にもつけない男などトウカの相手になるはずもなく、この肩に置かれた手を捻り上げることは簡単だ。
だが、下手に事を荒げてしまうのは得策ではない。マリアにもギルバートにも迷惑がかかる。
(目の前の男はバスカル侯爵家の次男だしなぁ)
家格が上の男相手にあまり大立ち回りもできない。
トウカはとりあえず、ゆっくりと男たちを目立たない場所に柱の影にジワジワと誘導した。
男たちは彼女がその気になったのだと思っているようだが、単に物陰に隠れた方が対処しやすいからだ。
ここなら良いだろうと、柱の影に来たところで、トウカは肩に置かれた男の手に自分の手を重ねそのまま捻り上げようとする。
だが、その瞬間に彼らの背後から突然、銀髪紫眼の大層美しい男が顔を出した。
「多勢に無勢は美しくないね」
顔立ちがどことなくエドワードに似ているその男は、にっこりと穏やかに微笑んだ。




