51:メイドは走る
フィオナの休日はいつも、父親であるモートン男爵が家を出たことを確認するところから始まる。父親が家を出るまでは絶対に部屋の外へは出ない。
何故なら、極力顔を合わせたくないからだ。
粗暴な男ではないし、比較的穏やかな性格をしている方だろうが、日和見主義で何を考えているのかわからない父は、フィオナにとってはとても怖い存在だった。
モートン男爵家に仕えるの唯一の使用人リーナは、フィオナのその気持ちを理解しているため、いつも男爵が家を出てからそのことを伝えるために彼女の部屋を訪れる。
しかし、今日は違った。
早朝、まだ日も登りきっていない時間に、リーナはフィオナの部屋を訪れた。
コンコン、と二回扉を叩く音が聞こえたので、フィオナは「どうぞ」と返事をし、入室を許可した。
ゆっくりと扉を開けて入ってきたのは真っ青な顔のリーナだった。
今にも倒れそうなその様子に、フィオナは慌てて自分のベッドに彼女を座らせる。
そして、ゆっくりでいいから、と何があったのか話すよう促した。
するとリーナは、震えた手でお仕着せのポケットから一枚のくしゃくしゃになった便箋を取り出した。
「昨夜、旦那様の書斎のお掃除を頼まれまして…そうしたら、こ、これを見つけてしまって」
掃除中、リーナは鍵が開いた引き出しから、1枚のくしゃくしゃになった紙を見つけた。
書き損じの紙を、丸めてにそこら辺に置いておくのは男爵の悪い癖だ。リーナはまたいつもの様に、後で注意せねばと思いながらゴミ箱に捨てようとした。
しかし何を思ったのか、その時はふと、そのくしゃくしゃの紙を広げて見てしまったのだと言う。
そこに書かれていた内容は彼女1人ではどうして良いのかわからないものだった。だが一晩迷った挙句、やはりフィオナには伝えておくべきだと判断し、意を決してここに来た。
そう話すリーナの体は小刻みに震えていた。緊張からか、体は硬直し呼吸も浅い。
フィオナはリーナの背中さすりながら、とりあえず渡されたその便箋に視線を落とした。すると彼女の顔色も見る見る青ざめていく。
「も、もしかしたら何かの勘違いかも知れません。旦那様の冗談とか、私をびっくりさせようと悪戯心で、とか…そうだといいなと思っています。でも、そうでなかった場合を考えると、やはりお伝えせねばと…」
リーナはハハハッと無理をして笑ってみせるが、その手の震えは未だ止まらない。
きっと信じたくはないのだろう。
しかし、フィオナにはこの紙の存在が妙に納得できてしまった。
フィオナはここ最近の出来事を思い返す。
父は自分に対し、ここ数ヶ月前からやたらと王太子ギルバートとの仲を聞いてくるようになっていた。
どこかへ共に出掛けないのかとか、最近はどんな話をしているのかとか、そんなことばかり聞いてきた。
そしてその中の会話には、開放日はギルバートと見て回る予定だという話も含まれていた。
確固たる証拠などないけれど、リーナの勘違いなどではないと確信を持って言える。
フィオナは一呼吸置くと、ベッドに腰掛ける彼女の前に膝をつく。
「リーナ、貴女は今すぐ必要なものだけ持ってこの家を出なさい。そしてこの便箋と、これから私が書く文を持って騎士団の屯所へ行き、それを渡して身柄を保護してもらうのです」
「し、しかしお嬢様は!?」
「私は大丈夫です」
そう言って、フィオナは笑顔で嘘をついた。
本当は全然、何ひとつ大丈夫じゃない。今だって気を失ってしまいそうなほどに怖くて、冷や汗が止まらない。手も微かに震えている。
けれど、彼女は気丈に振る舞う。
「お父様にはリーナのお母様が危篤のため暫く実家に帰るとでも言っておきましょう」
「わ、私、お嬢様を置いていくなんて…」
「リーナ。これを早急に騎士団に知らせなければならない事は、貴女とて理解しているでしょう?」
フィオナは、リーナの手を自分の手で包み込み、強く握った。
「貴女は貴女の正義に従ってください。見過ごしてはいけないと思ったから、私にこれを見せに来てくれたのでしょう?」
リーナは彼女の強い眼差しに無言で頷いた。そして荷物をまとめるために自室へと戻った。
「下に降りなきゃ…」
***
リーナに荷物をまとめさせている間に、屋敷の1階にある居間に降りたフィオナは、ソファに深く腰掛け、新聞を読む父に話しかけた。
「おはようございます。お父様」
「おお、おはよう。今日は早いね、フィオナ」
モートン男爵は穏やかに笑う。
その笑顔にフィオナは背筋に冷たいものが走る感覚を覚えた。
穏やかに優しそうに笑うのに、腹の中ではとても恐ろしい事を考えている父が彼女には理解できない。
けれど、その動揺をなるべく表に出さないように笑顔を貼り付ける。
「今朝は早く目が覚めたものですから」
「そうかい。なら久しぶりにサンドイッチでも作ってはくれないか?」
「ええ、構いませんわ」
そう言うと、フィオナは台所へ向かう。そしてサンドイッチを作る。
母との思い出のキッチンで、兄の好きだったローストビーフのサンドイッチを。
そしてそれを父の前に出し、できるだけ自然にリーナの事を伝えた。
「実はお父様、リーナのお母様が病に倒れたそうなのです」
「おお、それは本当かい?」
「ええ、ですから、暫く休暇を与えようかと思うのですが…」
「それは大変だ。リーナにはすぐ帰ってあげるように伝えてあげなさい」
「ありがとうございます。リーナが不在の間は私が家のことをしますね」
「いつもすまないねぇ」
「いえ。家事はすきなので。あの…それで、リーナには今、支度させていまして。準備でき次第送り出そうと思うのですが…」
「構わないよ。ああ、でも私はこれを食べたらすぐ出る予定だから見送れないなぁ」
「私がお父様の分まで見送りますから、大丈夫ですよ」
困ったように眉を下げて笑う父に、フィオナも同じような表情でそう返した。
モートン男爵が家を出た後、フィオナは急いで彼の書斎を調べ出した。
あの便箋だけでは、証拠能力は低いかもしれない。書き損じの便箋を燃やしもせずに、ゴミ箱に捨てる迂闊な父の事だ、ほかにもっと決定的なものがあるはず。そう考えたフィオナは、書斎のありとあらゆる引き出しを探る。
すると、引き出しの中から丸められた小切手の原本が見つかった。そこにはルイズ男爵の名が書かれていた。
(ルイズ男爵?)
それは開放日の件で事情聴取のされた際に、聞かれた名前だ。
どんな関係があるのかハッキリとはわからないが、フィオナはそれを手に書斎を出た。
そして自室に戻るとすぐに筆を取り、自分の推測を文にしたためる。
支度を終えたリーナが、不安げに彼女の様子を見つめていた。
文を書き終えたフィオナは胸を抑えて静かに息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
そしてリーナに近づき、覚悟を決めたような真剣な目で彼女に文を手渡した。
「リーナ、どうかお願い。走って」
フィオナはそう言うと、彼女をきつく抱きしめた。
2年前、兄と母が死んでから、年の近い使用人のリーナはフィオナにとって、心の支えになっていた。
そんな彼女にこの重い文を託すことを、フィオナは心苦しく思う。けれど、騎士団が動き出すまで自分にはまだやることがある。だから、この文は彼女に託すしかないのだ。
リーナはフィオナの背中に手を回すと、涙を流した。
彼女は気づいている。自分が託されたこの文が公になれば、フィオナは処刑を免れないことを。
それでも言わずにはいられなかった。
「お嬢様、どうか。どうか生きて…」
フィオナはその言葉に、
「リーナ、今までありがとう」
と返して、微笑んだ。
そしてリーナを屋敷の正門まで連れて行くと彼女の背中を押した。
リーナは涙を拭き、一度も振り返らず、乗り合い馬車の停留所まで走った。
懐に、『王太子暗殺計画に関する証拠』を隠して。
***
「トウカさん。私はやはり、兄の見た貴族の少女は罪深いと思います」
フィオナは小さくなるリーナの背中を眺めながら、呟いた。
父のやろうとしている事に気づかなければ、フィオナは大事な友を失っていた。
この国の未来を担う大事な存在を失っていた。
今、断頭台に立たされた少女と同じ立場にたったからこそ、それが理解できた。
「…知らないという事は罪です」
現実を見れるようになったフィオナは、父の罪が確定すれば、自分の首も飛ぶと言うことを理解している。
それでも『正しく生きろ』と言った兄の言葉に従い、父の罪を白日の元に晒す。
それで自分の首が飛ぶ事になろうとも、フィオナはそれを甘んじて受け入れるつもりだ。
ただ、一つだけ彼女には気がかりな事があった。
「トウカさん…。貴女は優しいから、少し心配です」
フィオナは目を閉じて、最近少し元気がなかったトウカの姿を思い出す。
きっと彼女は父のやろうとしていることを知っていたのだろう。
だからずっと、そのことで悩んでいたのかもしれない。
彼女にはギルバートを守る義務がある。
けれど、フィオナを守る義務はない。
「私の事を気にしていなければ良いけれど…」
そう呟くと、天を仰いだ。
_(:3」z)_
勢いで書き上げる_(:3」z)_




