39:人間とは複雑な生き物である
日頃から、王宮の医務室に働きすぎで眠れなくなって睡眠薬を貰いに行ったり、書類の書きすぎで腱鞘炎になったりしている王太子補佐官は、医師から信用を得ていない。
故に『完治するまでの通院』と『絶対に無理はしない』という2つのことを、書面にて約束することを条件に、彼女は何とか退院することができた。
(…ほんと信用ないなぁ)
トウカは退院時に渋い顔をしていた担当の医師や看護師たちの顔を思い出す。
これ以上、彼らの信用を失うわけにもいかないので、復帰初日の今日は仕事の量を少し減らしてもらっている。
今朝の仕事も、『ギルバートを起こしに行く』という仕事だけに留めておいた。
王宮の廊下を、学園の制服姿で闊歩することにも慣れてきたトウカは、馴染みのメイドや役人たちと爽やかに挨拶を交わしながら、主人の私室を訪ねた。
扉前の衛兵と軽く世間話をしてから、扉をノックする。
返事がないのはいつもの事なので、そのまま無断で部屋に入った。
「おはようございます、朝ですよー」
1回目の声かけ。
しかし、朝が弱いギルバートは頭から布団を被ったまま起きる気配がない。
トウカは小さくため息をつき、ベッドの奥にある大きな窓のカーテンを開けた。
すると、朝日に照らされた部屋の中を舞う埃が、キラキラと光る。
「今日はいい天気ですよー?東の方は少し曇ってますけど」
2回目の声かけ。まだ反応はない。
さすがに面倒臭くなり、トウカは勢いよく布団を剥ぎ取った。
「殿下!!おはようございます!!」
布団をめくると、膝を抱えて丸くなるギルバートがいた。
「…おはよう」
どうやら起きてはいたらしい。
むしろ、眠れなかったという方が正解かもしれない。
見開かれた目は充血し、その下にはクマができていた。
「…起きてるなら返事くらいしてください」
トウカは呆れたように言いながら、主人が横になるベッドに腰掛けた。
そして、ギルバートの混じり気のない金髪を触りながら、問いかける。
「また、どうしたんですかって聞けば良いのですか?」
「学園に行きたくない」
「子どもみたいなこと言わないでください」
「だって、俺は今日、フィオナとどう接したら良いのかわからない」
「…いつも通りで良いのでは?」
主人の言葉の意味が珍しくわからないトウカは、首を傾げる。
「フィオナといつも通りに話せる自信がないんだ」
「何故?」
「俺は、お前を軽視したフィオナを許せないと思う…だから会いたくない」
「軽視って、マリア様が仰っていたように、かばってもらった礼も言わずに真っ先に暴漢の心配をしていたからですか?」
ギルバートは何とも言えない、複雑な顔をしながら無言で頷いた。
確かにそう見られてもおかしくはないが、彼女は先に負傷した暴漢が目に入ったから先に心配しただけに過ぎない。
いつもフィオナと一緒にいるギルバートには、それが彼女の普通だとわかりそうなものだが…。
トウカは「はあー」と声に出して、わかりやすく大きなため息をつく。そして、主人を蔑みの目で見下す。
「何言ってるんですか?」
「え?」
「私は日々、貴方の側近候補に軽視されてますが、それについてはどうお考えで?」
「いや、それは…確かに…そうか…」
寧ろ奴らの方が軽視している。
トウカ自身は別に気にしてなどいないが、あの二人が良くてフィオナはダメというのは如何なものだろうか。
仮にフィオナがトウカを軽視していたとしても、ギルバートがそれについてどうこう言うのなら、あの二人にも同じことを言わねばならない。
「なんか、すまん」と謝り、ギルバートは気まずそうにした。
「あまり、私の負傷を気にしないでください。いい加減鬱陶しいです」
「鬱陶しいって、お前…もっと言い方あるだろう」
「事実ですから」
トウカはそうは言いながらも、主人は少し戸惑っているのかもしれない、と思った。
彼女自身も、暴漢に握手を求めたあの瞬間のフィオナの姿は、今も瞼の裏に焼き付いて離れない。故に彼が戸惑ってしまう気持ちは理解できた。
だが、感情に流されて事実をすり替えてしまっているのなら困ると、念のため忠告する。
「殿下。念のために申し上げますが、怒りを向ける矛先を間違えてはいけませんよ?私は暴漢と対峙し怪我を負いましたが、彼女から攻撃は受けていません」
「それは確かにそうなのだが…」
「暴漢を逆上させてしまったのは、彼女の行動が原因かもしれません。しかし、怒りに任せて襲いかかってきたのはルイズ男爵家の元従者です」
「わかっている、だが…」
「ついでに言うなら、あの男が今回の事件を起こした動機はまだ確定していません。彼女の過去の行動が原因だろうと推測されているだけです。そして仮に、それが事実になろうとも、彼女に法的な罪はありません」
声色は優しいが、容赦なく正論で畳み掛けるトウカ。
そんな彼女に、ギルバートは何も言えない。
トウカがこんな事を言うのは、フィオナに罪はなくとも、ギルバートは自分の感情一つで彼女を裁いてしまうことができるからだ。
力を持つが故に、彼は自分を律する必要がある。
(…トウカの言うことは正しい)
ギルバートもそれはわかっている。
けれど、何処にぶつけたら良いのかわからない複雑な感情もある。
彼女はその事をあまり理解できない。
「優しくない」
ギルバートは枕に顔を埋め、ボソッと呟いた。
「私が優しかったことなんてありました?」
「あんまりない」
「でしょう?」
トウカはクスッと笑い、また彼の金髪を優しく撫でる。
すると、その手を掴まれ、指を絡ませるようにして握られた。
「ごめん、八つ当たりだったかもしれない」
ギルバートは枕に顔を埋めたまま、消え入りそうな声で素直に謝った。
おそらく一生残る傷を負った愛しい人、その原因を作った友人、何もできなかった不甲斐ない自分。
そして、突然姿を表した王弟ハルト。
色んな感情が複雑に絡み合ってうまく処理できないギルバートは、不甲斐ない自分も割り切れない自分も、全部フィオナのせいにして楽になろうとしていた。
ギルバートは枕に「はあー」と深く息を吐いた。
いつも以上に頼りなさげな主人の姿に、トウカは少し心配になる。
「もしかして、結構弱ってます?」
「多分、ちょっとだけ」
ギルバートは自嘲したような口調で言う。
そして、寝返りを打ち、握っている白く細い手を見た。
(…温かい)
その体温が、彼の心を少し和らげる。
ギルバートはあの日からあまり眠れていなかった。
目を閉じれば思い出すのは、自分の腕の中で意識がないトウカの姿。
あの時の光景を思い出すのが怖くて、目を閉じることができない。でも起きていれば、要らぬことを考えてしまう。
ドロドロとした感情に足を絡め取られて、底知れぬ暗闇にズルズルと引きずり込まれていくような、そんな感覚。
あの日から日を増すごとに、彼の心の中に巣食う闇は大きくなっていった。
「私、言い過ぎましたか?」
「違う。お前のせいじゃ無い。いや、嘘だ。違わなくはない。お前のせいだ。だからもう少し優しくしてほしい」
「何を言ってるのかよくわかりません」
「ごめん。ちょっと今頭回ってない」
「眠いんですか?まだ時間に余裕はありますし、少し寝ます?」
「いや、大丈夫」
トウカは、自分がどれほどギルバートに大切に思われているのかをわかっていない。
大事にされていることは理解していても、それがどれ程のものなのかは、イマイチ理解していないのだ。
(…普段は察しがいい癖に)
ギルバートは握る手に力を入れた。
「痛いです」
「…お前に痛みを与えるのは俺だけでありたい」
「私に被虐趣味はありません」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「じゃあどういう…」
トウカはそこで、はたと気がついた。
そして顔が一気に曇る。
「もしかして、殿下が眠れないのは私のせいでしょうか」
「そう思うなら添い寝してくれ」
ギルバートはケラケラと笑い、揶揄うように言う。
だが、予想外の答えが返ってきた。
「わかりました。今夜からこちらで寝ます」
その言葉に、ギルバートはバッと起き上がり、トウカの顔を見る。
「え?」
「添い寝、します」
「いやいやいや。ごめん、冗談だ。悪かった。そんな顔するな」
「けれど、眠れないのは問題です」
「では、薬を用意してくれ」
「安易に薬に頼るのは賛成できません」
「じゃあ、暫くは寝る前にカモミールティーを入れにきてくれ。それで大丈夫だから。な?」
「…わかりました」
あからさまに落ち込むトウカの姿に、ギルバートは「やらかした」と思った。
こんな顔をさせるのは、彼の本意では無い。
彼は軽くパニックになり、どうしたものかと、寝不足の回らない頭で考える。
そして考えた結果、何故か彼女の額にキスした。
(あ、やべ…)
ギルバートがハッと気がつくと、目の前のトウカは両手で額を抑えて、こちらを睨んでいた。
「…は?」
「あー、いや、ごめん」
「は?」
「申し訳ない。眠すぎて頭回ってないみたいだ」
「頭はいつも回っていらっしゃいませんが」
「辛辣っ!」
ギルバートは一応謝るも、いつも通りにジトっとした目で辛辣に言ってくる彼女が何故か嬉しくて、思わず吹き出してしまった。
「やっぱそっちの顔の方が良い」
「睨まれてニヤニヤするとか、変態ですか」
「そうかもしれん」
「やはり、少し仮眠を取るべきかと具申します!」
トウカはそう言って、先程剥ぎ取った布団を、変態の頭に乱暴に被せた。
二人は思う、「寝不足って怖い」と。
…そう、怖いのだ。
本調子じゃない時の人間は注意力が散漫になりがちだ。
すっかり二人の世界に入ってしまっているトウカとギルバートだが、今日の当番のランドール夫人がまだ来ていないため、扉は開けっ放しだった。
そして、そんな彼らのやり取りを開きっぱなしの扉前で眺めていたのは、二人の衛兵と仕事をしにきたランドール夫人。
「トウカさんが私たちの視線に気づかないなんておかしいわね」
「まだ本調子ではないんでしょうか?」
「そうかもしれない。何だかんだで丸3日も休んでいたからな」
「3日しかよ。貴方達まで感覚がおかしくなってるじゃない」
どうやら、社畜は伝染するらしい。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。




