34:学園の開放日(5)
バチンと何かがぶつかるような大きな音が聞こえたトウカは、音のした方を振り返った。
「…え?」
彼女が目にしたのは、どう見てもマリアがフィオナの頬を叩いたような光景だった。
フィオナは叩かれは頬に手を添えて状況が理解できていないような顔でマリアを見る。
碌に話をしたこともない公爵令嬢に叩かれたのだ。無理もない。
クリストファーはそんな彼女を庇うように前へ出た。
「何をするか!?」
「その女に自分の愚かさを教えてやったのよ」
「この件は彼女のせいではないだろう!」
「暴漢は彼女のせいではなくとも、トウカが血を流しているのは間違いなく彼女のせいでしょう!?」
トウカを指差すマリア。その手は怒りに震えていた。
アーサーは咄嗟に3人に駆け寄ると、なんとか姉を諌めようと間に入る。
「姉上、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!?」
「姉上!ここは抑えてください。人の目があります!」
「そこまでしてその女を庇いたいの!?貴方も公爵家の人間なら、そろそろ気がつきなさい!彼女は異常よ!」
マリアは目に涙をためて、キッと、フィオナを睨みつけた。
「ねぇ、『良かった』って何?何が良かったのよ。貴女ちゃんと理解してる?トウカは貴女を守るために怪我をしたのよ?そんな彼女が目の前にいて、何が『良かった』のよ!貴女はトウカを馬鹿にしているの!?」
「…それは」
フィオナは俯き、口を噤む。
別にフィオナはトウカを軽視しているわけではない。
ただ先に、額を裂かれた男が目に入り、彼が死んだのではないかと口を突いて出ただけだ。
聖女様の目には、人は皆、平等に映る。
先に目に入った方の心配をしたというだけ。
だが、周りから見ればその反応は異常だった。
いつもの冷静さを欠いたマリアは畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
川が決壊したかのように、言葉が止まらない。
「聖女気取って変な宗教活動するのは勝手だけれど、私たちを巻き込まないでくださる?どうせ暴漢も貴女のその宗教活動のせいに決まっているわ」
「おい!いくらマリア嬢といえど、それ以上の暴言は看過できない!」
「看過できないのはそちらだわ!騎士気取りで聖女に引っ付いてるくせに、いざという時何の役にも立たない」
「なっ!俺は咄嗟のとこで判断が鈍っただけだ」
「はっ!鈍った?彼女の前に出ることもなく、それどころか一歩下がったくせに口だけはご立派ね!?」
痛いところを突かれたクリストファーは顔を真っ赤にして憤る。しかし反論ができない。
実戦経験のないクリストファーが咄嗟のことに反応できないのは、ある意味仕方のないことだ。そういうのは経験がモノを言う。
ただ、彼は自分の強さになまじ自信があったがために、何も出来なかった自分が恥ずかしいのだろう。
「普段は自分の腕っぷしの強さをひけらかして、他者を見下している貴方が、まさか我が身可愛さに盾になることもできないなんて思わなかったわ!誰が彼女を守ったと思っているの?騎士気取りの貴方ではなく、貴方がいつも毛嫌いしている殿下の侍女よ!恵まれた体格も力もないただの女よ!恥を知りなさい!」
「姉上、もうその辺に…」
(…不味いな)
こんな所で、こんな状況で、言い争いなど勘弁して欲しい。トウカは険しい顔をした。
学園の警備員に指示を出し、薔薇園を立ち入り禁止にしたと言えど、野次馬はまだ多い。
生垣の向こうからは、チラチラとこちらを伺う民の姿が目に入る。
今は只でさえ、学園はこの暴行事件で混乱している状況だ。
そこに公爵令嬢と騎士団長子息の言い争いが加われば、どんな風に噂が広まるかわからない。
これ以上、貴族の失態を民に見せるわけにはいかない。
トウカは血が足りない体に鞭を打ち、4人を諌めようと彼らの元へ向かおうとする。
だが、それより先にとある銀髪紫眼の大層美しい男が同じように騒動の中心に向っていった。
その姿にトウカは目を見開いた。
「…なん、で」
男は、困惑の表情を浮かべるトウカ顔を見てほくそ笑むも、何も言わずに彼女の前を通り過ぎ、言い争う4人の前に立った。
そして穏やかな笑みを浮かべながら、彼らを優しく諭す。
「そこまでだよ、君たち。周りを見なさい」
男はマリアの肩に手を置き、低く語りかけた。
彼女は興奮した様子で振り向くと、男の顔を見て目を見開いた。
だがアーサーに背中をポンと叩かれるとすぐ様状況を把握し、男の前に跪く。
「マリア嬢。君は筆頭公爵家の人間であるという自覚を持っていると思っていたが、違ったか?」
「…っ!申し訳、ございません」
生垣の向こうには、怪訝な顔でこちらの様子を伺う野次馬。その中にはチラホラと学園の制服を着た人間の姿も見える。
薔薇園の内側には、心配そうな顔で遠巻きに自分たちを見る警備員や従者。
そして側のベンチには腕を抑え、青ざめた顔で自分を見るトウカ。
頭が冷えたマリアは深々と頭を下げた。
男は満足げに笑うと、視線を俯いて動かないフィオナの方へと移した。
穏やかな笑顔で隠されているが、纏う雰囲気は只者ではない。フィオナは頭上から頭を押さえつけられているような感覚に襲われていた。
男はそんな彼女を嘲笑うように話しかける。
「君か?この学園で聖女様をしているという小娘は」
「せ、聖女など大層なものでは…」
「中々に崇高なお考えをお持ちのそうじゃないか。何か新しい宗教でも始める気かな?」
男はフィオナに対し、口元には笑みを貼り付けているが、目は彼女に対する侮蔑の感情が浮かんでいる。
頭上から感じる重圧に、フィオナは彼の顔を見る事ができない。
「おい、貴様…」
傍らのクリストファーはフィオナを馬鹿にしたように見下す男に掴みかかろうとする。
だがアーサーは咄嗟に彼の頭を掴むと、無理やり跪かせた。
「控えろ。この方は王弟、ハルト殿下だ」
「…え?王弟殿下?」
名を聞いた事はあるがその姿を目にした事はあまりない目の前の男に、クリストファーは間の抜けた声を出した。
王弟ハルト。
君主エドワードの年の離れた実弟にして、かつては北の国境を任されていた実力者であり、現在は王都にて軍部の統括を任されている男だ。
大変優秀で、エフェニア王国の国防の要と言われている。この国にとってはかなり重要な人物だが、同時に、隙あらば玉座を狙っているいう不穏な噂も耐えない危険人物だ。
(最近はめっきり表舞台に姿を現さなくなっていたが…。)
アーサーは、この男には関わらない方が身のためだと、小声で隣のクリストファーに告げた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!




