日の沈む方へ
「ほら、左側に窓あるじゃん?」 と華は口を開いた。
「はぁ」
「あれ、南向きだって知ってた?」
「え、そうなの?」
順治は町の地図を思い浮かべる。
確かに、あっちは南だ。
「じゃ、私たちが窓を左に座る理由は?」
「え、理由? 黒板があっちにあるからじゃなくて?」
「だから、その理由」
「知るかよ、そんなもん」と順治は顔をしかめ、華は声を上げて笑った。
「アハハ、考えてみなよ」
順治は眉間にシワを寄せたまま考える振りをする。
ちらりと華を盗み見ると、彼女はそ知らぬ顔でシャープペンをいじっている。
順治はなんとか答えてみせたかった。
そうしたら華が笑顔になると思った。
しかし。
「……ダメだ、分からん」
涼しい顔をしている割りに悔しそうな言い方で、結局本心がにじみ出てしまっている。
「理由はね、これ。一応ヒント出してたんだよ?」
華はニコニコ笑ってペンを振ってみせた。
順治の息が詰まる。
「右手で物を書くとき、右から光が差すと影が出来ちゃうでしょ? だから左に窓があるの。で、より光を入れるために窓が南向きになってるから、黒板の方を向いてる私たちは皆、西を向いてるってわけ。日本中どこでも、ね」
「へー!」と順治は純粋に感心してしまう。
校舎がそんなことまで考えて建てられているとは知らなかった。
「そーいう決まりとかあるんだ?」
「さぁ」と華は無責任に肩をすくめた。
「え」と順治が振り返り、華はにやっと笑う。
「と、いう話を聞いたことがあるだけ。本当か嘘かは知らないよ」
「なんだよ!」
「でもさ、不思議じゃない?」
華はまた遠くを見るような目になった。
「これが本当だったら、日本中の色んなところでこういう風に机が並んでて、私たちみたいな子たちがこの方向を見つめてるんだよ? 何か一つになってる気がしない?」
順治は目を閉じてみる。
授業中の教室を上から見た景色、三十人がきちんと並んで座っている。
壁がなくなれば隣の教室でも、その隣でも。
床がなくなれば下の教室でも。
天井がなくなれば上の教室でも。
もっと上から見る。
隣町の学校でも、整然とした集まりがいくつも並び、重なり、大きな塊を作っている。
隣でもその隣でも。
もっと上から見れば、もっと先でも同じような集団が宙に浮いているのが見えるだろう。
皆日の沈む方向に目を向けて、退屈さを噛みしめて。
彼の想像力はぐんぐん登っていき、鳥の視点を超え、雲の視点を超え、宇宙に飛び出し、地図で見た日本列島を見下ろしている。
確かに不思議だ。
至るところで同じ奴らがいる。
京都でも、大阪や名古屋、金沢……。
「あ」
順治は突然、自分の教室に帰ってきた。
そして間髪入れずに振り返り、華の見ていた方向を見る。
その方角にあるはずの大都市を。
「……東京?」
華が真顔になる。
順治は単語だけでさらにもう一度核心をつく。
「……翔太?」
華は答えられなかった。
ただ、視線を落とした。
その時何故か彼女の口元に笑みが浮かび、順治は息をのむ。
「……ご、ごめん、変なこと言って……」
「大丈夫」と華は肩をすくめた。
「私が馬鹿なこと思ってるだけで、黒岡君には関係ないことだし」
他意はなかったはずである。
しかしだからこそ、順治には痛かった。
実際によろめいてしまうほどに痛かった。
「……関係ないってことはないだろ」
知らぬ間に言葉が漏れ出ていた。
華の怪訝そうな顔を見て、順治はそれに気づく。
彼が「あ」と思ったその時、華が静かに首を振った。
「ううん、ホントに大丈夫だから」
そういうことじゃない、と思った。
「関係なくないって」
順治の声が潤む。
華ははっと顔を上げる。
彼女は彼の口から出かかっている言葉を察してしまい、それをとどめようとした。
しかし、何一つ出来なかった。
順治の肺がすっと息を吸い込む。
「だって――!」
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