手料理大作戦で彼の胃袋を掴みますわ
「今日から私もシェフの皆様と一緒に料理を作りますわ!」
城内の大きな厨房に本来ならば聞こえてはならない御方の声が響き、慌ただしく働いていたシェフ達はピタリと止まる。何故この様な場所に王女であるシャルロット=ランドリッヒがいるのか。それぞれが困惑した顔をシャルロットに向けていたが、1番最初に我に返ったのはこの場を仕切るチーフシェフのゴードンだ。彼は握ったままだった包丁から手を離し、シャルロットに頭を下げる。彼に続くようにシェフ達は自分の仕事を一旦止めてシャルロットに頭を下げた。しかしながら彼等の頭の中は今も混乱していた。
──自分の聞き間違いでなければシャルロット王女は一緒に料理を作りますと仰った…… と。
「王女様っ! お待ち下さいませっ。まずは基礎をきっちり座学で学びましょう! シェフの皆様も困ってしまわれます!」
「それでは間に合わないわ! 早ければギルは来週にでも帰って来てしまうのよ! 実践あるのみですわ!」
シャルロットを追い掛けて来た侍女のマリーは必死に説得を試みているが、シャルロットは聞く耳を持っていない。マリーが彼女に何を言ってもシェフ達と一緒に料理を作るの一点張りだ。顔を真っ青にしてどうしましょうとこの場をどのようにやり過ごせばいいのか考え倦む彼女に助け舟を出したのはゴードンだ。
「王女様、失礼ながらお聞きしたいのですが、料理を作るというのは王様はきちんとご了承なされているのですか?」
「いいえ。お父様がウィルダネスに行ってから思いついたんだもの」
「……では王妃様には?」
「お母様にも伝えてないわ。エドとアランが帰ってから直ぐに厨房に来たの。ほら、思い立ったが吉日って言うじゃない?」
ゴードンはシャルロットの返答に思わず溜息が漏れそうになるのを必死に堪えた。現在長期任務でウィルダネスシュタットに赴いているディーデリック王に伝えられていないのはまだ分かる。けれどもお城にいる筈のコゼット王妃にさえ伝えずに厨房へやって来るとは……。また近衛騎士団第一副師団長絡みでエドワルド王子とアラン王子に余計な事を吹き込まれたに違いないとゴードンは大人気ないと思いつつも彼等のせいにしてしまった。
シャルロットが何かをしようとするきっかけはいつも彼等に触発されてだということを長年お城で働くゴードンは良く知っていた。それによるシャルロットの突発的行動にここで働く者達がどれだけ苦労しているかも知っている。
「……王女様、せめて王妃様に許可を取って頂けると我々は嬉しいのですが」
「もしかして私が無断で料理をして怪我をされると困ると思っているのかしら? 大丈夫よ。怪我をしたからって別に貴方達のせいにしないもの。さぁ、早く料理を始めましょう。マリーは私の補佐を──……」
「こら、シャル。皆を困らせてはいけないよ」
マリーに続きゴードンもシャルロットを止めることが出来ず、もはやここまでかと思ったその時、またもや思わぬ人物が厨房に顔を出した。こつんとシャルロットの頭を小突いたその人は彼女の兄であるセドリック=ランドリッヒだ。
「セドお兄様! どうしてここに?」
「厨房の扉の前に侍女達が集まっているから何事かと公務の帰りに立ち寄ったのさ。そうしたらお転婆な我が妹君がまた何かしているじゃないか。今度は何をやらかしたんだい?」
「嫌だわセドお兄様。私はまだ何もやらかしてないわ。ただシェフの皆様と料理をしようとしただけですもの」
セドリックの言葉にシャルロットはぷくーっと頬を膨らませて怒る。妹の機嫌を損ねてしまったセドリックは、やれやれと詳しく事情を知っているであろうゴードンとマリーに目を向ける。
「──……なるほど。シャルは長期任務から帰ってくるギルの為に手料理を振る舞いたいからその練習をしたいと。……まぁいいんじゃないかな? 分かっていると思うけれど、怪我は自己責任だからね。母上には私から伝えておくよ」
「ありがとうございますセドお兄様! 大好きですわ!」
「わっ。こら、抱き着くな」
勢いよくセドリックの胸に飛び込んだシャルロット。セドリックは妹の行動に言葉では怒っているものの、その声質は優しく、表情もだらしなく緩みきっていた。
兄妹仲睦ましくて微笑ましい光景かもしれないが、ゴードンを含めたシェフ一同とマリーはこちらはこれから地獄だとシャルロットを甘やかすセドリックを見ながら思った。
*
「王女様! 強火だからといって火属性の高位魔術を使ってはなりません!」
「ああっ王女様! それはお塩ではなくお砂糖です!」
「マリーどうしましょう、オーブンが爆発したわ!」
思った通りそれからの厨房はまさに地獄だった。グレンツェ牛の肉汁や旨みを逃がさぬよう短時間で焼くために強火と教えれば王妃様から無駄に多く受け継いだ魔力で厨房ごと焼き尽くすかの如く威力のある高度な魔術をぶっぱなす。ベタとも言えるかもしれないが塩と砂糖を間違える。何故かオーブンが爆発。数えたら限りがないが、 シャルロットは他にも色々とやらかしていた。
もはや彼女はシェフやマリー達の頭痛の種だった。それでも最後まで付き添ったのは彼女が泣き言を言わず、一生懸命絶え間ない努力をしていたからだ。
そして今日はついにウィルダネスシュタットからディーデリックと彼を守護するギルバート達が帰ってくる。夕方過ぎにこちらに着くと一報があったのだが、それをマリーから聞くや否やシャルロットはまだお昼にもなっていないというのに花が咲いたような笑顔で門に向かう。
この分で行くと今日学ぶ筈だったグレンツェの情勢やダンスレッスンは後日に持ち越しだとマリーはシャルロットの予定を大幅に変更するのだった。
「ギル、お帰りなさい! あとお父様と他の騎士の皆様も!」
「……只今戻りました。シャルロット王女」
「シャル、父である俺はついでなのか。そうか……」
我が娘が自身のお出迎えをしてくれるのだと思いきや、一直線にギルバートへと駆け寄る姿を見てディーデリックは肩を落として悲しむ。
そんな父を見向きもせずにシャルロットはギルバートにマシンガントークをしていた。
「ギル、ご飯にします? お風呂にします? それともワ・タ・ク・シ?」
「……疲れましたので今日はさっとシャワーを浴びてそのまま就寝します」
「そんなっ。そこはご飯と言うべきところでしょうギル!」
「そうなのですか?」
「いやいやいや、ちょっと待って。ギル、王女様も! その答え多分違っていますから!」
2人のやり取りを横で聞いていたアレクは思わず口を挟んでしまった。ディーデリックはというとお前にはまだ早いとこちらも違う意味で横入れをしていた。
「エドとアランから貰った本にはご飯を選択されれば見込みがあると書いてあったと思うのだけれど……。違ったかしら?」
「それ絶対変な本渡されてますよ。そもそも本を宛にしないほうが……」
「アレクは黙ってなさい!」
「も、申し訳ありません……」
「兎に角、本日は私がギルの為に夕飯を振る舞いますわ! 楽しみにしていて下さいませ!」
シャルロットはそれだけ言うと準備があるからと綺麗なお辞儀をして帰って行く。
ディーデリック達はシャルロットの口から出た言葉に数秒放心してしまった。
「……え、何? 王女様ってばギルの為に料理するのか。大丈夫なの? ギルの命日になるんじゃ……」
「師団長、それはどういう意味だ。シャルロット王女を侮辱するのか」
「ほう、アレクはシャルを侮辱するのか。そうかそうか。どうやら余程減給されたいらしいな」
「ちょっ。ええっ?! ディーデリック王、減給だけは勘弁して下さい」
ギロリとアレクを睨みつけるギルバートと笑みを浮かべているが目は笑っていないディーデリックにアレクはぶるっと肩を震わす。
他の近衛騎士達は余計な事を言わなければ良いものをと第一師団長であるアレクに同情の目を向けている。
(ギルの奴、自覚してないんだろうけど、王女様絡みになると結構口煩くなるよな……)
これは脈アリかとアレクは思った。しかしその日の晩にギルバートの分だけ他の料理と比べてお世辞にも美味しそうには見えない料理をシャルロットに振舞われていたが、きちんと完食してお礼を言いながら彼女の頭を撫でている彼の表情を見て違うなとアレクは苦笑いした。
あれは想い合ってるもいうより、大切な妹が不慣れな料理で指が絆創膏まみれになりつつも自分の為に一生懸命作ってくれた妹を愛でる兄の図だ。
(俺の見解からするにギルが王女様に落ちるのはまだ先だな)
ギルバートに褒めて貰って頬を赤くしながら顔を綻ばせているシャルロットに頑張れよと心の中でアレクは応援した。