人魚の海5
「万象」
黒い軌跡が虚空を斬る。一、二、三、同時としか思われぬ速度で以て描かれる残像。
焼き切られた空気が星の瞬きの如く閃いた。音を遥か後ろに置き去りにする輝線が天と海を文字通りに引き裂く。それは巨大且つ強力な人外に対する人による剣を用いた戦闘行為に於いて上げられるであろう不利どうこうの領域を最早完全に超えていた。
壁、結界、そう言って差し支えの無い絶対的な領域が目に見えるようだった。
「断ち切る」
真っ二つとなった海産物を掴んでアンコウのように見えなくもない深海魚が吠える。ばくん、ばくんと両手の海産物を飲み込むと海面に顔を突っ込んでその背中を大きく膨らませた。
ざぶんと波を立てながら顔を上げる。開かれた口付近の空気が蜃気楼のように揺れるのが見えた。
その揺らぎを不審に思う間もなくアンコウの口内が眩いほどに光り輝く。次いで一瞬。こちらが備えるどころか反応すら難しい速度でごんぶとビームが海を蒸発させながら一直線の光となって放たれる。まともに喰らえば一撃でKOなのが見て取れる威力、実際あのアンコウときたらレベルは5000の化物海産物であり、これはあのシルフィードとかエウロピアといった神様連中と同格という事だ。普通に考えれば勝負にもならない。
そしてその普通を覆す人界最強がここにいた。
「───────────万象尽く」
中心部は数千度に至るであろう熱線などと、常識的に考えればコモンの剣でどうにか出来るような現象ではない。流石にそんな性能など持たせてもいない。じーちゃんは魔法だって斬るらしいが、それとて刀の耐久と間合い、魔法の性質と威力などを加味して限度はあると聞いている。それを。
「届くに能わず」
片足を後ろに下げて剣を真横に向けて真っ直ぐに。刹那、空気どころか次元をも断たれた空間が不快な音と共に真白に染まった。描いた軌跡はまるで半月が夜明けの空を浮かんだように美しいがそこに覗く白は幽界の白だ。物質界とは一線を画す次元は物質界から見れば保有する情報のチャンネルが合わずにホワイトノイズとしてしか写り込まないからだ。
向けられた数千度の熱線を防ぐ際に何をするか、魔法を選択肢に入れても手段はそうないだろう。水の壁、土の壁、鉄の壁、魔力の壁、兎にも角にも壁一択である。攻撃は最大の防御として撃たれる前に熱源そのものをどうにかするというのもあるであろうが、それは未然に手を打ったのであって放たれた熱線を防いだではない。
故に、こと防ぐという事に絞ればどうしたって遮蔽物を作るしか無いだろう。後は間に合うだけの速度で、何を材質に、どんな密度と硬度で壁にするかでしかない。
まさかその壁に、剣で作った幽界への穴を採択する人類が居てたまるかという話である。確かに物質界での壁としては最上級の代物ではあるだろうが、そんなもんは人類がその肉体で起こす現象としては想定されていない挙動というやつであってだな。
物質界に突然開けられた幽界への穴とかいうブラックホールに近いアンタッチャブルはすぐさま修復されるが、熱源であったアンコウは既に絶命しておりクロノア君が再びアンタッチャブルな穴を開ける事もなく何事も無かったかのように柄頭に手の平を押し当てて浜辺に剣を突き立てる。その視線の先には既に次の海産物が見定められているのか、凪のように静かな気配であるがその奥底に鋼のような決意が覗く。なんであのアンコウはもう真っ二つになってるんだという疑問はさておき、想定の三倍くらいクロノア君が手を付けられない暴れっぷりなので大急ぎでその背中によじ登る。いやまぁ、今のところ攻撃手段は絶技とも言える剣技のみであり変な魔力だとか変なスキルだとかは無いので教団などにも観測はされないと思うが。
それにしても、レベルだけで言えば勝てる要素はないのになんで勝てるんだ。意味がわからん。剣技だけで全てを埋めてるのか? いやでもそもそも意味がわからんけど私を殺した人間だしな……。在り得ざる奇跡を体現してきた人間だ。隠しステータスみたいなカオス的で因果的で幸運にして運命パワー的な数字が天元突破しているのかもしれない。取り敢えず剣を持たせるとバグみたいな挙動を取るとおぼえておこう、そうしよう。
「………………………………」
とりま静かになったクロノア君の背中から水平線を見渡す。ゆら、ゆらと揺れ動く海産物達はクロノア君を警戒してか、近寄っては来ない。とは言ってもここだけだ。それに、体勢が整えば再び突撃してくるだろう。実に厄介極まるとはじーちゃんの弁である。何しろ陣とか指揮者とか一切抜きの島全周包囲からの一斉突撃、対処するにはこちらも分散しかなかった。夜明けを迎える前に戦端は開かれたものの、その頃はまだ秩序だっていたのだが……。
少数人数であるが生半な事では突破できない、と見るやあの海産物。島を覆える程の数に任せた分散攻撃に一気に転じてきおったのである。こちらの火力担当は複数人しか居ないというのをすぐに見抜いたのもあるだろう。数で押し潰す、それが最も効果的であると判断した海産物は間断なく押し寄せて来ている。おかげで私はエースカードを一枚切るハメになってしまったのだ。ちょっと手がつけられなかったが。
遠くからは爆発音やらなんやらが聞こえてきているがどうだろうか。悪魔が動いていないのでまだどこも突破はされていないようだが。当たり前だが島全周をカバーできる人数は揃っていないので薄いところはやはり出てくる。今のところはマリーさんが東、ブラドさんとクロウディアさんが西、ラムレトとじーちゃんが南、私とクロノア君が北、九龍が遊撃である。島の中心であるホテルからサポーターに徹している冒険者達と受付嬢達がせっせとピストン輸送で各拠点に連絡係とフォローに回ることでなんとか薄氷を踏むように耐えているようだが。流石にいざとなれば島の放棄と破壊前提となるが悪魔も出ろと言いつけている。とはいえ、悪魔が出る前になんとかしたい。勿体ないし。カグラと人魚さんはまだだろうか?
かなり複雑な召喚術のようであるしちょんの間でいけらぁというものでもなさそうな感じだ。手を目の上に持ってきて遠くを眺める。あの一番凄い海産物が来る様子は今のところ無い。多分だが巨体過ぎて陸に上がるのが難しいのだろう。間違いなく自重でダメージを受けるサイズだ。あの特大サイズの他にも何匹かレベル7000とかその辺が居たが、こちらも遠くをウロウロしているのが見えるだけで上がってくる気配はない。時折なにがしか攻撃はしてくるが。あちらとしてはキリもないのでこちら側から海中に来て欲しいところだろうが、勿論そんなもんはお断りである。深追いなどする気はない。ちくちくに終始させてもらうのだ。水生生物との戦闘に対して陸上戦というホームアドバンテージを捨てるのはとんでもない話である。それだけで海産物は不利を強いられているのだから。
だがどの海産物も島ごと潰しかねない、という攻撃手段は取ってこない辺りは少し助かる。海産物兵士達が基本的に物理の白兵戦に終始しているのもこの島を丸ごと手に入れたいというのが目的だからと見ていいだろう。島を潰しては本末転倒なのだ。先ほどのアンコウだって島の土台に向けてなどとはしてこなかったし。……………………ふむ。
「クロノア君クロノア君。あの海産物ってこのままだと最終的にこの島を沈めたろってなったりしない?」
私の問いにクロノア君は僅かに目を伏せてからややあって口を開いた。
「………………………………わからない。海中に沈めたところで問題ないと気付けば彼らはそうするだろう。
………………そうなったとしても貴女は守る。彼らを皆殺しにしてでも」
「むむむ!!」
この島は私の抜け殻だ。引っくり返って浮いている巻貝のようなものであり海底から隆起した大地などではない。砂や堆積物、そういった物に本体の抜け殻が乗っかっているだけだ。基本的に重量級なので動くことはないが、実際には海洋地殻とも繋がりなどなく上下もない。島上部の砂などただの飾りのようなもので全部溢れたところで問題ないだろう。魂核の生成という点だけでいえば、海中にあろうが海面に出てようが影響はない。
つまるところ、土台を総攻撃してなんとか転がしてしまえばほぼ一網打尽にできるし魔王ズも異界組も海産物のホームに漏れなくご招待出来る。流石に海中で海産物に勝てるとは思われない。
「…………………………」
ずしん、島全体が揺れた。




