大学生
2088年 夏
7月に入り、真上から照りつける太陽の日差しは急にその強さを増していた。午前中はうるさく鳴いていた街路樹のセミも、昼の暑さのせいですっかり鳴くことをやめ葉の影に身を潜めていた。
神奈川県大浜大学から郊外へと向かう途中に、女性が好みそうな可愛らしい外見の店がある。目につくのはオムライス専門店と書かれた大きな看板だ。
お店は昼の最も混雑する時間を過ぎたところで、慌ただしく動き回っていたフロアスタッフも奥に隠れ店内は落ち着きを取り戻しつつあった。
そんな中、窓際のテーブル席に、オムライスの後のアイスコーヒーを飲みながら賑やかに会話をする4人組の女子大生がいた。
「夏休みどうする?」
「そっか、もうすぐ夏休みなんだ」
「な~んにも予定ない」
「わたしも」
「どっか旅行行かない? 海とか」
「いいね」
「海かぁ。あたし水着持ってない」
「え? ひょっとして退院してから初めて?」
「うん、初めて」
「じゃぁ、まず水着を買いに行こう」
「わたしも新しいの欲しい!」
「わたしも」
「よし、みんなで行こう」
話をまとめたショートカットの学生が、氷だけになったグラスの底をストローでズズっと吸った。
「まだ、外は暑そうだね。もう一杯飲まない?」
「飲むぅ」
他の3人が瞬時に賛成した。
「すみませーん。アイスコーヒー4つお願いします」
追加のアイスコーヒーでさらに1時間ほど過ごした4人が、店を出て大学に戻る頃にはやや陽が傾きかけていた。
しかし、夏の強い陽の光で温められた空間はたやすく冷えることはなく、冷房の効いた車内から出た体を容赦なく暑さが包んだ。体が暑さを受け入れるまでは不快この上なかった。
「あたしはこれから病院だから」
髪を後ろで軽く縛った一人が言った。
「そっか、定期検診だね。じゃぁ、買い物は今度の日曜ということで予定入れておいてね」
「分かった」
「楽しみ~」
「じゃぁ、またね、報瀬」
「うん、またね」
報瀬は3人に手を振った。
3人も返すように笑顔で手を振ると、校舎へと向かった。
「さて、遅くなっちゃった」
報瀬は近くに止めてあった自分の車に向かいドアを開けた。開けたドアから噴き出した熱気が報瀬を包んだ。
「暑~・・・」
助手席にショルダーバッグを放り投げると、覚悟を決めて運転席に座り冷房を最大にした。
「息苦しいな」
この息苦しさは車内の暑さのせいだと思った。しかし、冷房が車内の温度を下げても息苦しさが消えることはなかった。
ここのところ、報瀬はこんな息苦しさを感じることが多かった。それは、窮屈さとも言える感覚だった。
「もっと広いところに行ったら、こんなこと感じなくなるかな。それなら海なんか最適かもね。海かぁ。最後に行ったのはいつだっけか・・・」
報瀬は車を走らせながら、過去の記憶を辿った。
しかし、いくら思い出そうとしても、海に関する記憶は出てこなかった。それもそのはずだ。母親の記憶ですら曖昧なのに、母が亡くなった後も研究に明け暮れる父親がどこかに遊びに連れて行ってくれるようなことなんてなかったのだ。そして自分の病気が分かってからは、あえて皆が楽しむような場所に行こうとはしなかった。
車は高速道路に進入した。
報瀬は今の生活が嬉しくてたまらなかった。あの病気が分かってからは、ただ死という絶望を感じるだけで希望なんて微塵も見出すことができなかった。
それが今では大学生となり、友達に囲まれ学園生活を送っている。
友達には、自分は病気で長い間入院生活を送ったのちやっと退院し普通の生活ができるようになったと伝えていた。初めは病気のことを気にかけ、腫れ物にでも触るような接し方をされるようなこともあったが、今ではごく普通に接してくれている。
そんな友人たちとの付き合いは、報瀬がもう諦め忘れかけていたことをたくさん思い出させてくれた。
報瀬は山梨のインターで高速を降りた。市街地を抜けるようにしばらく走ると、傾きかけた太陽を遮るように左手に統合軍山梨病院が見える。報瀬は病院の左折案内の標識を通り過ぎ、その奥に見える小高い丘に向かって車を走らせた。
少しして新興住宅地が見えた。その一角に父親と一緒に暮らす自宅があった。
ここに引っ越した時にはまばらだった住宅も、今ではその数を増していた。
自宅へは向かわず、道の続く小高い丘の上に向かってさらに車を走らせる。道幅は狭まり、鬱蒼と茂った木々が周囲を囲む。木々の隙間から時折オレンジ色の陽が差し込む。カーブを何度か抜けるとやっと丘の頂上が迫り、周囲が急に開けた。その先に高い塀に囲まれたバイオエレクトロニクス研究所が見えた。
報瀬はゲートの前で車を止めると、横にあるカメラに向かって「こんにちは」と笑顔を向けた。すると直ぐにゲートが開いた。車を侵入させると直ぐにゲートの閉まる音がした。
建物正面のロータリーを横にそれ、裏の駐車場に向かうといつもの場所に車を停めた。
時計を見ると、5時50分だった。
「6時の約束にあと10分」
報瀬は助手席のバッグを持つと車から飛び出し、急ぎ足で研究所裏口へと向かった。
エレベーターを待っている時間もなく、5階まで一気に階段を駆け上がる。
途中で何人かのスタッフとすれ違った。
「こんにちは」
みんなに挨拶をする。
「今日も元気だな」
タンクトップとショートパンツで走る姿は元気以外の何モノでもない。
みんなも笑顔で返してくれた。
廊下を走り、ラストスパート。速水と書かれたプレートのドアの前に到着するのと同時に時計は6時をさした。
ドアをノックする。
「どうぞ」
直ぐに中から返事があった。
ドアを開け中に入る。
「なんとか約束の時間に間に合ったって感じね」
奥のデスクでモニターから目を移した速水香織は報瀬に笑顔を向けた。
「友達とオムライス食べてたら遅くなっちゃった」
報瀬は部屋の隅にある応接セットのソファーに座ると横にバッグを置いた。
「大学近くのお店でしょ。おいしいよね、あそこのオムライス。大学にいた頃よく行ったよ」
そう言いながら速水は立ち上がると、報瀬の座ったソファーへやってきた。そして向かい合って座るとテーブルにあらかじめ置いてあったタブレット端末を手にした。
「少し前から言ってた息苦しさだけど、体には全く問題はないよ」
速水は端末に表示された検査結果を報瀬に見せた。
「あたしも体に異常があるって感じはしないんだよね。むしろコクピット側とか・・・」
「ああ、それはもう十分すぎるくらい調べたから。疑ったのは、神経細胞の異常増殖で細胞がオーバーフローしてるとかね。でも、全く問題なし」
「そっか・・・」
異常がないのは良いことなのだが、報瀬は自分の感じていることの原因がはっきりしないことに少しがっかりした様子を見せた。
「あと考えられるのは気分的なものかな。何か今の生活で不満とかはないの?」
「ない」
間髪を入れず報瀬は応えた。
「毎日が楽しいよ。友達も出来たしね。あ、そうだ。今度、海に行く約束した」
嬉しそうな報瀬の様子に、本当に不満はなさそうだな、と速水は安心した。
「でね、考えてみたら、あたし水着持ってないんだよね。だから買わなきゃいけないんだけど、ちなみに香織ねえさんはどんな水着持ってる?」
「わたしはもうおばさんだから、去年からワンピースかな。報瀬は若いしスタイルいいからビキニでもいいんじゃない」
「え~。あたしスタイルいいかな」
「いいに決まってるでしょ。自信を持ちなさい」
「誰の好みでこうなったのかなぁ」
「あ、そんなこと疑ってるんだ。ひょっとして野嶋所長の趣味とかって思ってない?」
「え~、もし、そうなら、この体いらない・・・」
顔を歪め愕然とする報瀬を見て速水は声を出して笑った。
「そんなことあるわけないでしょ。あなた自身の細胞から元の体を再構築したものだから、正真正銘報瀬の体だよ。前に一緒にお風呂入った時と全然違和感なかったし。あ、それとわたし以外誰も見ていないから、それも安心してね」
速水には全てを見られているんだと思うと、報瀬は恥ずかしさを感じた。
「息苦しさの件は、そう感じる時の状況をもう少し記録してみて。それでまた考えよう」
速水は話題を戻した。
「うん。分かった。じゃぁ、結果聞いたからもう帰るね」
報瀬はバッグを持ちソファーから立ち上がるとドアに向かった。そして、ドアノブに手をかけたところで速水に振り返った。
「とうさんは、まだ帰らないのかな?」
「ああ、データの確認してるからもう少しかかるんじゃないかな。ここで待っててもいいよ。一緒に帰る?」
「いい。先に帰ってご飯作ってる。あ、香織ねえさんも一緒に食べる?」
「あ・・・、わたしはいいや」
一瞬、間を置いた返事に報瀬は感づいた。
「デートか・・・。じゃぁね」
ニヤリと笑いながら手を振ろうとしたところで、報瀬は再び動きを止めた。
「ねぇ、香織ねえさんはナスの煮びたしって作れる?」
「煮びたしって、これはまた古風な・・・。ひょっとしておやじとでも付き合ってるの?」
「違うよ! とうさんが前に好きだって言ってたから」
「だよね・・・。作れるよ」
「じゃぁ、今度教えて」
「わかった。明日でもいいよ。材料用意して待ってる」
「ありがと」
報瀬は嬉しそうに手を振ると、ドアを出て行った。
そういえば、篠原さんも好きだって言ってたような・・・、速水はナスの煮びたしとオヤジとを結びつけてしまったことを篠原に申し訳なく思った。




