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6 盛夏、白熱、そして強制連行された観客(下)

一方の柊斗はといえば、胸がわずかに上下しているだけで、呼吸のリズムすら崩れていない。彼はネット際へ歩み寄ったが、形ばかりの握手すら交わそうとはせず、冷淡に伏し目がちのままラケットで地面をコンコンと叩いた。そして、残酷なまでに平坦な声で言い放った。


「スイングのモーションが昨日より0.2秒遅い。それがアンタの全力なら、明日のレギュラー選抜は来なくていい。……弱すぎる」


一片の情けもない宣告。


周囲を取り囲む部員たちは水を打ったように静まり返り、このコート上の絶対君主の逆鱗に触れようとする者は誰一人としていなかった。


柊斗は背を向けると、ラケットをベンチのテニスバッグに無造作に放り込み、掛けてあったタオルを引き抜いて顔の汗を拭った。そして、彼の視線は再び高性能レーダーのように人混みを貫通し、審判台の下のあの隅へと向けられた。


次の瞬間、柊斗の動きがピタリと止まった。


日陰の中で、奏の様子は明らかに異常だった。あの猫耳ヒーローの漫画は地面に落ち、奏自身はまるで溶けかけのアイスクリームのように、フェンスに寄りかかってズルズルと崩れ落ちている。元々青白かった頬には不自然な赤みが差し、半開きの目をして、呼吸すら途切れ途切れになっていた。


東京の8月、午前中の太陽が持つ殺傷能力は、常に23度の環境で冬眠している引きこもりにとっては、電子レンジの加熱に等しいのだ。


「……柏木奏?」


柊斗の眉間に深いシワが刻まれた。彼は目の前に立ちはだかる二人の練習相手を乱暴に押しのけ、コートの半分を大股で横切った。発散しきれない熱気を纏ったまま、一直線に奏の元へ駆け寄る。


「おい。起きろ」


柊斗は片膝をつき、容赦なく手を伸ばして奏の頬をペチペチと叩いた。触れた肌は異常に熱い。


奏は重い瞼を必死にこじ開けた。数秒間視界がぼやけた後、ようやく目の前に拡大された端正な顔を認識する。アッシュブロンドの髪からはまだ汗が滴り落ちており、普段は嘲笑と冷気しか宿していないその瞳の奥に、なんと珍しく一抹の焦燥感が走っていた。


「全部、お前のせい……」奏の喉はカラカラに乾ききっており、虫の息のような弱々しい声が漏れた。「俺の……脳内CPUが熱暴走した……強制シャットダウンを……申請する……」


「黙れ。試合見てただけで熱中症になるとか、アンタの身体構造は欠陥住宅かよ」


柊斗はギリッと歯を食いしばって毒づいたが、その動きは予想外なほど果断だった。首にかけていたタオルをむしり取ると、乱暴だが的確に奏の頭と後頭部をすっぽりと覆い隠した。


爽やかなミントの香り、ひんやりとした水分、そして少年の微かな汗の匂いが混ざり合った空気が、一瞬にして奏を包み込む。タオルの冷たさに、奏は本能的に心地よい吐息を漏らし、無意識に頬をすりすりした。


猫のように無防備に自分のタオルにすり寄るその姿を見て、柊斗の瞳の奥の色がなぜか暗く沈んだ。喉仏が一度ゴクリと上下する。彼は立ち上がると、振り返って呆然としているアシスタントコーチに向かって冷ややかに言い放った。


「今日の練習はこれで終わり。午後の紅白戦もキャンセルだ」


「えっ? でも千野、明日のレギュラー選抜が……」コーチは唖然とした。


「キャンセルだと言った」柊斗はわずかに顔を向け、顎のラインをピンと張り詰めたまま、有無を言わさぬ圧を放った。「文句がある奴は、俺のところへ来い」


そう言い残すと、背後の騒めきなど一切気に留めず、再び屈み込んだ。長い腕を伸ばし、奏の脇の下と膝の裏に直接手を入れる。


「おい、何すんだよ……」フワッと体が浮き上がる感覚に、奏は弱々しく抗議した。


「黙ってろ。これ以上動いたら、コートのゴミ箱に放り込むぞ」


柊斗は冷たい表情のまま、なんと奏を「お姫様抱っこ」の体勢で、タオルごと軽々と抱き上げてしまったのだ。おまけに空いている指一本で、地面に落ちていたあの漫画を嫌悪感たっぷりに引っ掛け、奏の胸元に押し込んだ。


衆人環視の中、コートの冷酷な暴君は、タオルに包まれた半死半生のオタクを抱き抱えたまま、テニスセンターのゲートを堂々と大股で抜け出していった。


クラブハウスのVIPラウンジまで歩を進めると、クーラーのキンキンに冷えた風が顔を撫でた。


柊斗は足でラウンジのドアを蹴り開け、奏をふかふかの本革ソファへと放り投げた。その動作は一見乱暴に見えたが、奏の体が沈み込む瞬間、柊斗の腕は密かに彼の背中を支え、ソファの硬い角にぶつからないようガードしていた。


「冷たっ……」冷気を浴びて、奏の脳はようやく少しだけクリアになった。胸の前で腕を組み、体を小さく丸める。


白い冷気をまとった氷のように冷たいスポドリのペットボトルが「ポンッ」と胸元に落とされ、奏はビクッと身を震わせた。


「開けて飲め。一滴も残すなよ」柊斗はソファの脇に立ち、彼を見下ろしている。腕を組み、汗で濡れたアッシュブロンドの髪をオールバックのようにかき上げると、ラウンジの青白い蛍光灯の下で、その息を呑むほどの整った顔立ちがさらに鋭利さを増していた。


奏はのろのろとキャップをひねり、ちびちびと水分を補給した。体温が徐々に下がってくると、ようやく目の前の元凶を観察する余裕が生まれた。


柊斗はただそこに立ち尽くし、奏が水を飲む姿を穴の開くほど見つめている。その眼差しは異常なほど執着に満ちており、まるで自分の巣に持ち帰ってきたばかりの脆弱な獲物を、決して逃すまいと監視する猛獣のようだった。


「……何見てるんだよ」あまりの視線の強さにたじろぎ、奏はペットボトルを下ろした。「お前が無理やり引きずり出したせいだぞ。この熱中症は完全なる労災だ。治療費と慰謝料をきっちり請求させてもらうからな」


水分を取ったことで、奏の唇に少しだけ血色が戻ったのを確認し、柊斗は鼻で笑った。


「慰謝料なんか払うか。だが、一つ証明されたな」柊斗は突如身を乗り出し、ソファの両脇に手をついて、奏を自分のテリトリーの中に完全に閉じ込めた。


奏の顔ギリギリまで近づく。交差する呼吸の間から、あの圧倒的に攻撃的なミントの香りが再び押し寄せてきた。


「何を……証明したって言うんだよ」奏は警戒して後ろにのけぞる。


「アンタみたいな脆弱な生き物は、俺の監視がなければ、太陽の下で生き延びる資格すらないってことだ」柊斗は彼の目を真っ直ぐに見据え、凶悪な独占欲を孕んだ笑みを口元に浮かべた。「だから、柏木奏。今日からアンタは、四六時中俺の視界の範囲内にいるのが一番身のためだ」

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