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2 冷房とゴールデン・ブリティッシュ、そして眩しすぎる厄介者 (下)

バスルームから「ザーッ」というシャワーの音が聞こえてくる。すりガラス越しに、少年のすらりとした長身のシルエットがぼんやりと浮かんでいた。


奏は溜息をつき、ラグと一体化する計画をついに諦めた。のろのろと立ち上がり、ラグの跡がついて赤くなった頬を揉みながら、傍らで優雅に毛繕いをしているカルに視線を落とす。


「なぁカル。俺が前世でどんな大罪を犯したら、あんなテニスしか脳がないサイボーグと同居する羽目になるんだ?」


カルは彼を横目でねめつけ、嘲笑うかのように「ニャー」と一声鳴くと、気高い足取りで立ち去ってしまった。


奏は観念してソファへと歩き、柔らかいクッションの中に深く体を沈め込んだ。


思えば、彼がこの千野家に居候し始めてから、もう一週間が経つ。奏の両親は一年中世界中を飛び回っている地質学者で、半月前、突然アイスランドでの長期探査プロジェクトに参加することになった。彼の学業に支障が出ないよう、この豪快な両親はあっさりと息子を荷造りし、古くからの親友である千野のおばさんの家へとパラシュート降下させたのだ。


千野のおばさんはやり手のビジネスウーマンで、三日ほど奏をあれこれと気遣った後、「ちょっとM&Aの交渉に行ってくるわね」とあっさりヨーロッパへ飛んでしまった。出発前、彼女は息子の肩を叩き、ニコニコしながらこう言い残した。


『柊斗、お母さん留守にするから、奏お兄ちゃんのことちゃんと面倒見るのよ』


その時、柊斗はうつむいてテニスラケットに新しいグリップテープを巻いている最中だった。母の言葉に冷ややかな視線を上げ、奏を一度だけちらりと見やると、面倒くさそうに「あぁ」とだけ生返事をした。


その時の目を、奏は今でもはっきりと覚えている——それは、まるで粗大ゴミの「燃えないゴミ」を見るような目だった。


シャワーの音が不意に止み、奏の回想は途切れた。


湯気とともにバスルームのドアが開き、柊斗が出てきた。ゆったりとしたグレーのコットン製スウェットパンツ一丁で、上半身は裸。首には乾いたタオルをかけている。


鋭いエアコンの風が湯気を吹き散らすと、少年の色白でありながら引き締まった筋肉のラインが露わになった。長年テニスで鍛え上げられた肩幅は広く、腹筋は美しく左右対称に割れている。アッシュブロンドの毛先から滴り落ちる水滴が、くっきりとした鎖骨を伝い、やがてスウェットのウエストの縁へと吸い込まれていく。


奏はソファに寄りかかり、開けたばかりのポテトチップスを手に持ちながら、自分より一つ年下のこの少年をまじまじと観察し、心の中でそっと評価を下した。

(性格が捻じ曲がったイケメンだな)


柊斗はタオルで濡れた髪をガシガシと乱暴に拭きながら、大股でリビングへ向かってきた。その鷹のように鋭い視線が、奏の手にあるポテトチップスの袋を正確にロックオンし、危険なほどに目を細める。


「トランス脂肪酸と塩分の塊みたいなジャンクフードで、夕飯を済ませるつもりか?」


柊斗は近づいてくると、ボディソープの爽やかなミントの香りを漂わせながら、奏の手から容赦なくポテトチップスを奪い取った。


「おい、これサラダ味だぞ。実質野菜みたいなもんだろ」奏は抗議し、手を伸ばして取り返そうとする。


柊斗は鼻で笑い、身長とリーチの絶対的な差を活かして袋を高く掲げた。「その錆びついた脳みそがまだ機能してるなら、デンプンを油で揚げたものが野菜になるわけがないってことくらい分かるだろ。母さんにアンタの世話を頼まれた以上、明日の朝起きたら、リビングで栄養失調と脂質異常症を併発した軟体動物が行き倒れてる……なんて面倒な事態はご免だからな」


そう言い捨てるや否や、柊斗は背を向けてキッチンへ向かった。ポテトチップスの袋をスナック棚の一番高い場所に無慈悲に放り込み、冷蔵庫を開ける。そして、昼間に家政婦さんが作り置きしてくれた弁当を取り出した。


電子レンジがブーンと音を立てて回り始める。


奏は少し意外そうに、柊斗の背中を見つめた。てっきり嫌味をいくつか吐き捨てて自分の部屋に戻ると思っていたのに、まさか本当に自分の生死メシの世話を焼くとは。


2分後、「チンッ」という音が鳴った。


柊斗は湯気の立つ弁当を持ってダイニングテーブルに戻ると、骨ばった指でテーブルをコンコンと叩いた。


「こっち来い。メシだ」

命令形の口調。そこには一切の妥協も交渉の余地もない。


「動きたくない……」奏は最後の抵抗を試みる。


柊斗は何も言わず、ただ静かにテーブルの傍らに立ち、彼を見つめた。アッシュブロンドの前髪が片目を半ば隠しているが、その深い瞳から先ほどの嘲笑は消え失せ、代わりに圧倒的なプレッシャーを伴う集中力が宿っていた。まるでコート上で獲物をロックオンした豹のように、微かだが無視できないほどの執着心と強引さを放っている。


奏は彼に見つめられ、なぜか頭皮が粟立つような感覚を覚えた。ふと直感が告げる。もし今ここへ行かなければ、テニスになると命すら削りそうなこの男は、絶対こちらへ歩いてきて、自分をテーブルまで担ぎ上げるだろう、と。


「分かったよ、分かった。命の取り立て屋かよ」奏はぶつぶつと文句を言いながら、しぶしぶソファから腰を上げ、スリッパをペタペタと引きずってテーブルへと向かった。


箸を手に取り、目の前の白米をつつくと、ゆっくりとおひたしをつまみ上げて口に運ぶ。その咀嚼スピードは、まるでスローモーションのようだった。


柊斗は向かいの椅子を引いて座り、手にはスポーツドリンクのペットボトルを持ったまま、その視線を奏にピタリと固定している。


奏のそののろのろとした咀嚼を目の当たりにし、柊斗の眉間には徐々にシワが寄っていく。ペットボトルを握る指先に微かに力がこもり、関節が白く変色する。スピードと効率を極める競技アスリートにとって、目の前の光景は、もはや忍耐力の限界を試す耐久テストに等しかった。


「アンタのメシはコマ送り再生か?」柊斗が冷たく口を開く。その声には、必死に抑え込んだ苛立ちが滲み出ていた。


「よく噛んでゆっくり食べれば、消化器官への負担が減るんだよ」奏は一口分の白米を飲み込み、目を上げて彼を見ると、あろうことか機嫌よく微笑んでみせた。「君は気が短すぎるんだよ、柊斗のお坊ちゃん。人生は試合じゃないんだから、1秒1秒を全速力でスプリントする必要なんてないだろ?」


柊斗は、常に気怠さを湛えたその黒い瞳を見つめ、喉仏を一度上下させた。彼はふいっと視線を逸らし、日の光を浴びていないせいで異様に白い奏のうなじへと視線を落とす。その瞳の奥に、彼自身でさえ気づいていない仄暗い光が、一瞬だけよぎった。


「遅すぎる」


柊斗はキャップをひねり、スポドリを一口飲むと、氷のように冷たく硬い声で吐き捨てた。


「イライラするほどにな」


だが奏は全く意に介さず、ただの中二病少年の戯言だとでも言わんばかりに、再びのんびりとおひたしを咀嚼し続けた。

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