17話「それでも、ここにいる理由」
夜。
部屋の中は、やけに静かだった。
時計の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……」
時間は、あまりない。
分かってる。
今日中。
あの男の言葉。
冗談じゃないのも、分かってる。
スマホを見る。
残高。
どう考えても足りない。
「……当たり前か」
小さく呟く。
簡単にどうにかなる額じゃない。
——1千万。
現実感があるようで、ない数字。
でも、逃げる気はなかった。
逃げたら、多分終わる。
全部。
---
ドアを開ける。
廊下に出る。
隣の前で、止まる。
「……」
ノックする。
反応はない。
もう一度。
それでも、ない。
「……いないのか」
少し考える。
それから——
階段を降りる。
外に出る。
---
見つけるのは、簡単だった。
駅の近く。
人の少ない道。
ユイは、一人で立っていた。
何もしてない。
ただ、そこにいるだけ。
「……おい」
声をかける。
ユイが、ゆっくり振り返る。
少しだけ驚いた顔。
「……なんで来るの」
何度目か分からない言葉。
でも——
もう意味は違う。
「来るだろ」
短く返す。
ユイが、少しだけ目を伏せる。
「……来なくていいって言ったのに」
「聞いてない」
そのまま言う。
ユイが、小さく笑う。
力のない笑い。
「……ほんと、ばか」
「お前もな」
「……うん」
素直に頷く。
それが、少しだけおかしい。
---
「……どうすんの」
ユイが聞く。
静かな声。
「時間、もうないよ」
「……分かってる」
ポケットから、封筒を出す。
ユイが、目を止める。
「……なにそれ」
「……金」
それだけ言う。
ユイの表情が、固まる。
「……は?」
「全部じゃない」
続ける。
「でも、足しにはなる」
ユイが、完全にこっちを見る。
「……なに言ってんの」
「そのままだろ」
「ふざけてんの?」
声が少しだけ強くなる。
「ふざけてない」
「……なんで」
そこ。
当然の質問。
「……」
一瞬、考える。
ちゃんと答えるべきか。
でも——
「……嫌だから」
それだけ言う。
「なにが」
「お前が、ああいうのに掴まってんの」
言葉を選ばない。
そのまま出す。
「……関係ないって言ったでしょ」
「関係ある」
即答。
ユイが、少しだけ息を止める。
「……ない」
「ある」
引かない。
初めて、ここで。
「……勝手に決めんな」
「決めてない」
「決めてる」
言い合いになる。
でも——
逃げない。
「……あたしの問題だって言ってんの」
「知ってる」
「じゃあ」
「でも」
遮る。
「一人でやる必要はない」
言い切る。
ユイが、完全に止まる。
何も言えなくなる。
「……」
「……」
沈黙。
でも、今度は逃げない。
ユイが、ゆっくり口を開く。
「……無理だよ」
小さく言う。
「こんなの」
「無理でもやるんだろ」
返す。
そのまま。
ユイが、一瞬だけ目を見開く。
「……」
「……だったら、一人でやるな」
続ける。
もう止まらない。
「……意味ないって言ったでしょ」
「ある」
「ない」
「ある」
またぶつかる。
でも——今度は違う。
ユイの声が、少しずつ崩れる。
「……なんで」
小さく言う。
「なんでそこまで」
震えてる。
初めて見る揺れ方。
「……知らねえよ」
正直に言う。
「でも」
続ける。
「放っとけないだけだ」
それだけ。
シンプルに。
ユイが、完全に黙る。
数秒。
長い沈黙。
それから——
「……ほんと、最悪」
小さく言う。
でも、その声は少しだけ笑ってる。
「……逃げられないじゃん」
続ける。
目が、こっちを見る。
まっすぐ。
もう、逸らさない。
「……逃げなくていい」
返す。
それだけ。
ユイが、ゆっくり息を吐く。
長く。
何かを手放すみたいに。
「……ずるい」
また、その言葉。
でも——
もう、柔らかい。
---
数分後。
あの男の前。
同じ場所。
同じ空気。
でも——
少し違う。
「お、来たじゃん」
軽い声。
目が、封筒を見る。
「……用意したか」
「一部だけな」
そのまま渡す。
男が中身を見る。
数える。
「……足りねえな」
「分かってる」
「じゃあ」
「残りは、払う」
はっきり言う。
ユイが横で、息を止める。
「二人でな」
続ける。
男が、少しだけ笑う。
「……へえ」
興味を持った顔。
「いいね、そういうの」
軽く言う。
でも——
引く気はないらしい。
「期限は延ばしてやる」
指を一本立てる。
「でも、逃げんなよ」
「逃げない」
即答。
迷いはない。
ユイが、横で少しだけ震える。
でも——何も言わない。
男が、満足そうに笑う。
「じゃあ、またな」
そのまま去っていく。
---
静かになる。
完全に。
「……」
「……」
ユイが、動かない。
そのまま立っている。
「……おい」
声をかける。
ゆっくり、こっちを見る。
目が——
少しだけ濡れている。
「……本当によかったの?」
小さく言う。
「……ああ」
「……後悔するよ」
「してない」
即答。
ユイが、少しだけ笑う。
「……今はね」
「多分な」
正直に言う。
ユイが、少しだけ目を細める。
それから——
一歩、近づく。
距離がゼロになる。
「……逃げないって言ったよね」
「言ったな」
「……ほんとに?」
「……ああ」
ユイが、少しだけ息を止める。
それから——
抱きつく。
強く。
今までで一番。
「……じゃあ、いい」
小さく言う。
胸元で。
「……もう、逃げない」
はっきりと。
あのときの言葉。
今度は、揺れてない。
確定してる。
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部屋に戻る。
いつもの場所。
でも——
もう、前とは違う。
ユイが、ソファに座る。
少しだけ疲れた顔。
でも、どこか軽い。
「……ね」
「ん」
「……これ、どうなると思う?」
曖昧な質問。
「……分かんねえ」
正直に返す。
ユイが、小さく笑う。
「……だよね」
それから——
少しだけ寄ってくる。
自然に。
もう迷わない。
「……でもさ」
続ける。
「一人じゃないなら、まあいいかも」
小さく言う。
軽く。
でも——
それが本音。
「……そうか」
「……うん」
そのまま、肩に頭を乗せる。
重さが、前より自然。
完全に、預けている。
でも——
依存しきってはいない。
まだ、自分で立ってる。
そのバランス。
危ういけど、嫌じゃない。
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「……ね」
「ん」
「……これ、仕事じゃないよね」
小さく言う。
「当たり前だろ」
「……そっか」
少しだけ笑う。
安心したみたいに。
---
窓の外は、いつも通りの夜。
何も変わってない。
でも——
中身は、全部変わってる。
問題は、まだ残ってる。
むしろ、これからが本番だ。
でも。
「……まあ、いいか」
ユイが、ぽつりと呟く。
「……なにが」
「……あんたいるし」
それだけ。
シンプルに。
でも——
それで十分だった。
完全じゃない。
綺麗でもない。
むしろ、面倒で、不安定で、どうしようもない。
それでも——
ここにいる理由には、なっていた。




