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雲上の宮殿

1 共鳴の広がり

 

「共鳴はそれだけではありません」

 ルシエラの声が暗闇の中に広がった。

「ほかの力と混ぜ合わせるだけでなく——力を合わせることで、単体では及ばない規模の効果を引き出すことができる」

 俺はその言葉を聞きながら、ある記憶を引っ張り出していた。

「……最果ての塔に来る時、飛行機の翼が魔物を切り裂いた」

「ええ」

「あれも——飛行機に闇の力を共鳴させていたからか」

「そうです。金属と闇の力が共鳴した。金属の硬度と切断力に、闇の力の浸透性が加わった。だから魔物の体を、抵抗なく通り抜けた」

 俺は自分の手を見た。暗闇の中では輪郭しか見えない手を。

「見えるものだけを相手にしないことです」

ルシエラは続けた。

「岩、水、風、人の体、道具——あらゆるものが可能性を持っています。あなたの力は、その可能性と共鳴できる」

 暗闇が薄れ始めた。棺桶のある部屋が完全に戻ってきた。

 ルシエラが再び浮かぶ姿に戻っていた。

周囲を見るとファルマとエリシアが心配そうな表情でこちらを見ていた。ルーシェンは俺の顔を見て何かを読み取った様子だった。

「何かわかりましたか」

「共鳴だ。俺の闇の力は単独ではなく、何かと混ざり合うことで本来の力を出す」

 ルーシェンはしばらく黙って聞いていた。それから、眉がわずかに上がった。

「共鳴ですか……それは」

「おそらく私の魔法にも適用できるはずです」

ルーシェンは少し考えるように目を細めた。

「魔法に闇の力を共鳴させれば、威力も射程も変わる可能性がありますね」

「そしてファルマさんの薬も……」

ファルマが俺を見た。

「私が調合した薬に共鳴させれば、効果が変わるかもしれません。毒も、治癒薬も——」

「面白いですね」

エリシアが静かに言った。その目が、珍しく何かを楽しんでいる色をしていた。

「斥力のフィールドに共鳴させれば、弾く力の選択性が変わるかもしれなません。神聖魔法を弾きながら物理は通す、という切り替えが——」

「研究しがいがありますね」

ルーシェンが、普段より目を輝かせている。

「本当に、研究しがいがある」

 その言葉が嬉しそうで、俺は思わず笑った。

 ファルマが俺を見て、少し首を傾けた。

「榊さん」

「何だ」

「何か——雰囲気が変わりました」

「そうか?」

「はっきりとは言えないのですが」

ファルマは言葉を探した。

「前より、地に足がついている感じがします」

 エリシアも同じ方向を見ていた。

「私も同じように感じます。以前は何かを抑えているような——今はそれがないように思えます」

 俺の中で何かが変わったのは確かだ。ただ、それが何かは言葉には出来なかった。

 

2 棺桶の部屋の夜

 

「もう夜も遅くなりました」

 ルシエラの声が部屋に静かに広がった。

「ここで泊まっていきなさい」

 部屋を見渡した。広さは十分だった。ただ中央の棺桶以外には何もなかった。石の床と、月光の差し込む窓と、棺桶だけ。

「少し殺風景ですね」

エリシアが率直に言った。

「テントが張れれば十分だ」

 荷物からテントを取り出した。ルーシェンとエリシアが手際よく設営した。ファルマが中に毛布を敷いた。棺桶を中心に避けるような配置になったが、それ以外は普通の野宿と変わらない。

 火を起こして、残っていた携帯食料を温めた。

 棺桶の上でルシエラが浮いていた。その存在を気にしながら食べるのは少し不思議な感覚だったが、すぐに慣れた。ルシエラは何も言わず、ただそこにいた。

 食事を終えて、テントに入った。

 

3 夢の中の日常

 

 その夜は夢を見た。

 何の変哲もない、小さな街の中にいた。

 石畳の市場通りに、朝の光が斜めに差し込んでいた。野菜や果物の並んだ露店が通りに沿って続いて、売り子の声が飛び交っていた。俺はその中を歩いていた。

 ルーシェンが隣にいた。

 普段の旅装束ではなく、街の人間が着るような落ち着いた服を着ていた。籠を手に持ちながら、露店を一つずつ眺めていた。野菜を一つ手に取り、値段を聞き、少し考えてから買った。その仕草が、日常のものとして馴染んでいた。

「これで今夜の分は揃いましたね」

ルーシェンが手にした野菜をこちらに見せる。

「そういえば、ファルマはどこだ?」

「薬草屋の前で足を止めていましたよ。またしばらく動かないと思います」

 振り返ると、少し先の店の前でファルマが棚の前に屈み込んでいた。薬草の小瓶を一つ取り上げて、においを確かめ、また戻して別のものを取る。店主が呆れたように笑いながら付き合っていた。

「ファルマ、そろそろ行くぞ」

「あと少しだけ——この配合が気になっていて——」

「あと少しは信じない」

 ファルマが苦笑しながら立ち上がった。

 三人で歩いた。市場を抜けると、広場に出た。噴水の周りに人が集まっていて、子供が走り回っていた。エリシアが噴水の縁に座って、通りを行き交う人を見ていた。

「何見てるんだ」

俺が声をかけた。

「人を見ていると面白いです」

エリシアは言った。

「あの二人は夫婦だと思いますが、荷物の持ち方がそれぞれ得意なものに自然に分かれています。長い時間一緒にいる人はそうなるようです」

「観察が趣味になりつつあるな」

「もともとそうです」

 夕方になった。

 四人で食事を作った。小さな台所のある借家で俺が手際よく野菜を切り、ファルマが火加減を見た。エリシアが皿を並べ、ルーシェンは邪魔にならないように端で本を読んでいた。

「ルーシェンさんは包丁が使えないのですか」

ファルマが聞いた。

「使えますが、全員入ったら狭いですから」

本に目を向けながらルーシェンが答える。

「それは言い訳ですね」

エリシアが背を向けたまま言った。

 笑い声が上がった。

 夕食を食べた。美味しかった。それだけのことが、なぜか体の奥まで温かかった。

 食後、四人でテーブルに残った。特に何かをするわけではなかった。ルーシェンが書き物をして、ファルマが薬草の本を読んで、エリシアが窓の外を見て、俺が椅子の背もたれに体を預けた。

 火の音だけが聞こえた。

 時間が、ゆっくり流れていた。

 これでいい、と思った。これだけでいい、と。

 

4 朝と旅立ち

 

 目が覚めると、窓から朝の光が入っていた。

 テントの中だった。棺桶のある石の部屋だった。夢の温度が、少しだけ体に残っていた。

 外に出ると、他の三人も既に起きていた。ファルマが携帯食料を並べ、ルーシェンが水を用意していた。エリシアは窓の外を眺めていた。

「よく眠れましたか?」

エリシアが穏やかな顔で問いかける。

「ああ」

「私も……」

エリシアは静かに言った。

「あまり夢は見ない方なのですが、昨夜は見ました。特に何かが起きるわけでもない、ただの日常でした」

「私もです」

ファルマが言った。その顔が、どこか名残惜しそうだった。

「みんな同じ夢を見ていたのかもしれないな」

 ルーシェンは何も言わなかった。しかしその表情が、普段より少し柔らかかった。

 食事を終えた後、四人で少し話した。

「いつか——あんな生活が、できたらいいですね」

 ファルマが呟くように言う。誰かに言うというより、独り言に近かった。

「できるといいですね」

ルーシェンが微笑みながら言う。

「できると思います」

エリシアが真面目な顔で返す。

「可能性の話をするなら、あれは十分に現実的な範囲です」

 俺は答えなかった。しかし胸の中で、できると思った。根拠のない確信だったが、それがあった。

 ルシエラの声がした。

「いい夢見れましたか」

「ああ」

あの夢は明らかにルシエラの魔法だろう。

「ありがとう」

 ルシエラは返事をしなかった。しかしその浮かぶ姿が、わずかに穏やかに見えた。

「帰り道の話をします」

 ルシエラが続けた。

「この塔の屋上から、周囲を囲む嵐のような風を利用して上に出ることができます。高度一万メートルまで上がれれば、そこにある上昇気流に乗ることができる。後はアルセインの塔まで滑空で戻れるはずです」

「風に乗って一万メートル——」

ルーシェンが少し考えた。

「飛行機の強度が問題になりますね」

確かそれは懸念材料だ。だが、

「闇の力を共鳴させる」

それをすれば行けるはずだ。

「それなら大丈夫そうですね」

ルーシェンは頷いた。

「またいつか会うでしょう」

ルシエラがこちらに語りかける。

 その言葉の重さを受け取った。必ず、という言葉を、ルシエラは軽く使わない。

「ああ」

俺は力を込めて頷いた。必ずまた会うだろうと言う確信があった。

 

5 一万メートルの先

 

 屋上に出た。

 嵐のような風がまだ塔を囲んでいた。しかしルシエラの言っていた通り、屋上の真上には風の柱のような流れがあった。それが一万メートルまでの道だった。

 飛行機を組み立てた。アルセインから受け取った杖を起動すると、周囲の空気が変わった。地上と同じ呼吸ができる範囲が飛行機を包んだ。

 全員が乗り込んだ。

 飛行機は滑走路代わりに屋上の端まで移動して、前を向いた。

 飛び立って、風に入る。

 最初の数秒は、普通の上昇だった。しかし風の柱に入った瞬間、飛行機が一気に押し上げられた。翼が上方向の圧力を受けて、制御がぶれた。機体全体が軋む音を立て始めた。

 俺は意識を飛行機に向けた。

 金属に——闇の力を流し込んだ。纏わせるのではなく、内側に与えるように。あの剣の時と同じやり方で。

 金属と闇が共鳴した瞬間、飛行機の震えが止まった。

 軋みが消えた。翼が風の圧力を受け流すような動きに変わった。剛性が変わったのではなく、力の流れ方が変わった。そんな感覚だった。

 上昇が続いた。

 気温が下がった。空の色が変わり始めた。青が深くなり、端の方が紫に変わっていった。雲が下に見え始め、やがて雲の層を突き抜けた。

 そして——世界が広がった。

 雲の海だった。

 どこまでも続く白い平原が、水平線の果てまで広がっていた。その上に空があった。太陽が遮るものなく輝いていて、雲の白さを下から照らしていた。光が乱反射して、雲の面が微かに輝いていた。その光の揺れ方が、水面に似ていた。しかし水よりも静かで、もっと広大で、どんな言葉を当てても足りない景色だった。

 ファルマが息を呑んだ。

 声が出なかった。その顔が、驚きを通り越して何か別のものになっていた。圧倒されているというより、飲み込まれているような表情だった。

「……」

ファルマはしばらく言葉を出せないでいた。それからやっと、小さく言った。

「きれい」

 その一言の方が、どんな説明より正確だった。

「普通の人間は」

ルーシェンが静かに言った。

「一生かかっても、この景色は見られません」

 エリシアは黙って前を見ていた。その目が、この景色を記録するように動いていた。

 エリシアは飛行機を水平に転じた。上昇気流に乗ると、魔力なしでも速度が維持できた。アルセインの塔の方角に向けて、雲の上を滑空し始めた。

 

6 雲上の宮殿

 

 雲しか見えない中を飛ぶのは、不思議な感覚だった。

 進んでいるのか止まっているのかが曖昧になった。雲の形は少しずつ変わるが、どれも似ていて、距離感の基準がなかった。太陽の位置だけが頼りだった。

 どのくらい経った頃か。

 前方の雲の上に、何かが見えた。

 俺は目を細めた。

 雲の形ではなかった。角があった。直線があった。構造物の輪郭があった。

 雲のいたずらかとも思った。高度と光の加減で、そう見えることがある。しかし何度瞬きをしても、何度見直しても、そこに建物の形があった。

 俺はイヤリングに触れた。

「ルーシェン、前方に何か見えるか」

『……見えます』

ルーシェンの声が返ってきた。少し間があった。

『建物、ですね。確かに』

『ルーシェンさん、あれって——もしかして天界ですか?』

ファルマの声が混じった。

「天界は考えにくいです」

ルーシェンは雲の向こうを見つめたまま言った。

「天界に近づくなら、天使による警告が先に来るはずです。もしくは直接攻撃か。何もないまま視界に入るとは——」

「どうされますか?避けるか、このまま進むか……」

エリシアが操縦しながら俺に聞いた。

「大きく迂回すると軌道の修正が相当大変になります」

 俺は前を見た。

 建物は近づくにつれて、その輪郭を鮮明にしていった。白かった。雲と同じ白さだったから気づくのが遅れたのかもしれない。しかし確かに白い石造りの建物だった。塔が複数あり、それらが回廊で繋がっているように見えた。

 宮殿だった。

 雲の上に宮殿があった。

今から避けるのは軌道修正が大変だろう。

「あの建物にぶつからないように進む」

「了解しました」

 飛行機はそのまま前に向かった。

 建物が大きくなった。近づくにつれて、その規模がわかってきた。アルセインの塔と同等か、それ以上かもしれない大きさだった。複数の塔が組み合わさり、その間に庭のような空間まで見えた。白い石材が雲の光を受けて、淡く輝いていた。

 その手前に、雲の帯があった。

 薄い雲だった。大した厚さもない。飛行機はそのまま通過するだろうと思った。

突き抜けた。

——次の瞬間。

飛行機が止まった。

「……!?」

「な……!?」

「え……!?」

「これは……!?」

 止まった、という表現が正確かどうかわからない。急減速したわけでもなかった。ただ、機体の下に何かが生じた感覚があった。

 着地していた。

 雲の上に、着地していた。

 衝撃はなかった。柔らかいものに受け止められたように、飛行機は静かにそこに収まった。しかし俺には全く予期していなかった出来事だった。

 しばらく、誰も動かなかった。

 俺は操縦席に座ったまま、足元を見た。雲が機体を受け止めていた。白い、ふわりとした雲が、確かな地面のようにそこにあった。

「……」

「え?雲の上に、降りた?」

ファルマはかなり混乱しているようだ。

「降りた……みたいだな」

そう答える俺もかなり困惑していた。

「完全に予想外だ」

「雲は気体のはずなのに」

エリシアが呟いた。

「なぜ……!?」

「ここがどこかによりますね。雲の上、宮殿……まさか……」

ルーシェンの声には信じたくない響きが含まれていた。

 飛行機から恐る恐る降りてみる。

 足が沈まなかった。雲の上に立っていた。柔らかい感触はあった。地面のような硬さはない。しかし確かに体重を支えていた。

 前を見た。

 白い道が続いていた。

 いや、道と言い切れるかわからない。雲の密度が、宮殿に向かって高くなっていた。まるで道のように、その高密度な部分が一直線に宮殿まで繋がっていた。

 俺たちは、その道の入口に立っていた。

 

7 ルシエラとノイン

 

塔の屋上では、ルシエラが半透明のまま空を見上げていた。

 飛行機の姿は既に雲の中に消えていた。

 背後に気配があった。振り返らなくても、誰かはわかった。

「久しぶりですね、ノイン」

「久しぶり」

 性別の読み取れない声だった。旅装束を着た人物が、ルシエラの後ろに立っていた。

「これで五大魔法使い全てが、彼と接触した」

「調停者は?」

 ノインは少し間を置いた。

「もうおそらく動き出している」

「彼はまだ入口に立ったばかりですよ」

ルシエラが言った。

「力の本質に目覚めたとはいえ、まだまだ先は長いでしょう」

「わかっている」

ノインの声は平坦だった。

「ただ——シルフィもアルセインも動き出している。彼が立っている場所は、既にそれだけのものだ」

 ルシエラは答えなかった。

 そして空を見上げながら、静かに言った。

「そろそろ、私も起きなければならないかもしれないですね」

 そう呟いた時にはノインは既にいなかった。

 風だけが塔の屋上を吹き渡っていた。

 





共鳴


榊が持つ闇の力の本質となる能力。

何かと共鳴させることで、その力を増幅させたり、別の性質へと昇華させることができる。

共鳴の対象は物体や魔法だけではない。風や重力といった現象、さらには概念にまで及ぶ可能性を持つ。

ただし共鳴の規模が大きくなるほど闇の力の消耗も激しくなるため、扱いは容易ではない。

力の配分、そして何と共鳴させるかという想像力が、この能力の鍵となる。

闇の力でありながら、単独ではなく他者や他の力と共鳴することで真価を発揮する、異質な能力でもある。


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