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第三話 犬神の弱さ

 一般の高校生は電車なりバスなりで通学する。

 しかし、宮倉町は違う。

 学校に通う年齢の者が僕含めて四人しかいないので、各々で定期を買って電車に乗って通学するよりかは全員同じ車で移動した方が安くなる。

 優奈の父親であるネズミも、優奈が痴漢に遭われたら一大事(僕としては痴漢の人生の方が一大事だと考えている)と、立華の父のゲンさんに高校まで送り迎えをさせていた。

「おおい犬神の坊! 準備はできたか~!」

 ワゴン車で自宅へ迎えに来たゲンさんは挨拶がてらそう聞いてくる。

「見れば分かるでしょ」

 僕は集合時間の五分前にはすでに準備を終えて待機しているので、その質問は必要ないと考える。

「んだよ、元気ねえなあ。今日は始まりの月曜日だ、気合いを入れとかねえと残る日が厳しいぞ」

 ゲンさんは舌打ち一つして苦言を呈してきたので。

「ゲンさん、分かってて言っているでしょ?」

「ガハハ、ご名答」

 僕はジト眼の抗議を送ったのだけどゲンさんは笑い飛ばしてきた。

「……ったく」

 これ以上責めても無駄だと悟った僕はため息を一つ吐いて車へと乗り込む。

 

「康介さん、立華さん、おはようございます!」

 響の自宅の前に到着し、ドアが開くと同時に元気の良い挨拶が響く。

「ああ、おはよう」

「おはよう、響」

 なので僕と立華も自然と爽やかに返すことになった。

「康介さん、右に詰めて下さい」

「ああ」

 響に促され、少し立華の方に体を寄せる。

「お願いしまーす」

「え?」

「は?」

 僕としてはてっきりイスを動かして後ろの座席に座ると思っていたのだが、何と響は僕の左隣の座席に腰を下ろした。

 必然的に僕は両側から挟まれる格好となる。

「ちょっと響ちゃん、何考えているの?」

 僕の右隣りで窮屈そうな姿勢の立華がそう忠告する。

「狭くなるでしょ、だから後ろに座りなさい」

 立華の至極最もな意見だが。

「立華さんは嫌なのですか?」

「う……」

 響の子犬の様な視線の前に何も言えなくなる。

「じゃあ行くぞー!」

「あ……お父さんちょっと待っ――」

 そうこうしている内にゲンさんがエンジンを掛けたので、もう修正が効かなくなった。


「お出迎えありがとうございます」

 最後の待ち人である神無月優奈はゲンさんに対して優雅に頭を下げる。

「この卑賤な私のためにわざわざお車を用意して頂けるとは、ただただ頭が下がる思いであります」

 優奈のその本性を上手に隠しているので、ゲンさんを始めとした大部分の村人からは礼儀正しい令嬢と評されている。

「ほわ~、何度見ても綺麗ですねぇ」

 響もその例に漏れず、優奈に対して羨望の眼差しを送っているが。

「寒々しいことこの上ないわね」

 僕と同じく優奈の性格を知っている立華は白い眼で優奈とゲンさんを睥睨する。

「私は一体何回この下手な三文芝居を鑑賞すれば良いのかしら」

「立華、そう言ってやるな」

 僕は小声で立華に囁く。

「僕も辛いんだから」

 微笑みの裏ではペロリと舌を出しているのが分かるだけに、ゲンさんの対応は余計滑稽に映る。

 でも。まあ仕方ないだろうと思う。

 庶民育ちであるゲンさんは上流階級に弱い。

 いや、弱いと表現するより慣れていないからどう対応して良いのか分からないのだろう。

 だから毎回毎回優奈に対しては下手なコントを演じる羽目となっているらしい。

「ささ、お嬢様。どうぞどうぞ」

 ゲンさんはそう述べながら手を伸ばして助手席のドアを開ける。

 立華曰く、優奈の指定席はそこらしい。

 なるほど、ゲンさんがテレる訳だ。

 僕は納得した。

 このまま優奈が乗ると予想していた僕だけど、それは外れる。

「あら、康介君ではありませんか」

 口に手を当てて大げさ目に驚きを表現する。

「どうしてここに?」

「いや、僕も学校に通うから当然だろう」

 僕はまだ社会に出て働こうとか考えていない。

「そうなのですか」

 感心したような仕草を作るのは結構だけど、僕からすれば白々し過ぎるぞ。

「雑談は後でいいから早くしなさい」

 立華も僕と同じ気持ちだったのだろう。

 鼻を鳴らしながらそう催促した。

「あらあら、私としたことがいけない」

 ゆったりとそう微笑んだ優奈はそのまま助手席へ乗り込むと思っていたが、スタスタと後ろのドアへと移動する。

「響ちゃん、少し詰めてくれませんか?」

「はあ!?」

 優奈の言葉に立華は驚きの声を上げ、続けて。

「何言ってんのよ、ここが満席なのは見れば分かるでしょ?」

 次に響がポンと手を合わせて。

「ああ! 後ろの席に座りたいのですね!」

「いいえ、違うのよ響ちゃん」

「ちょっと! 私は無視!?」

 優奈の態度に驚く立華だけど、彼女は全然意に介さず続けて。

「せっかく康介君と一緒なのだから、横に座りたいじゃない」

「うーん、でも立華さんは譲る気などなさそうですし」

 響は腕を組んでそう唸る。

 自分が場所を変わる選択肢などないと言わんばかりの態度に僕は苦笑を隠せなかった。

「じゃあこうしましょう。響ちゃんは康介君の上に乗るということで」

「はあ!?」

 僕よりも先に立華が声をあげる。

「あんた何言ってんの!? どこをどう考えればそんな考えが浮かぶわ――」

「それは良いアイディアです!」

「え……」

 立華の言葉を遮る響の賛同に思わず硬直する僕。

「優奈さん。はい、どうぞ」

 そして呆気に取られている僕と立華を置き去りにして響は僕の膝に体を乗せる。

「フフフ、ありがとう」

 優奈はそうお礼を述べながら乗り込み、先程まで響がいた場所に腰を下ろした。

「幸せ者じゃない康介君」

「何で?」

 優奈の言っている意味が分からず首を傾げる僕に。

「美人の女子高生に挟まれて登校。それは一つの男性の夢じゃないかしら」

「美人であることは認めよう」

 しかしな、優奈よ。

「姉や妹に欲情する兄や弟が現実にいるとでも?」

 僕は三月娘と余りに長く共に過ごしすぎたので劣情を感じなくなっていた。

「アララ、勿体無いわね」

 僕のそんな答えに優奈は唇に手を当てて驚きの表情を作る。

「はいはい」

 これ以上優奈のからかいに応えることが面倒くさくなった僕は適当に手を振って終わらせた。

「ところで神無月嬢、聞いても良いかしら?」

 会話が一段落した頃に立華がそう口火を切る。

「神無月嬢なんて改めずとも、普通に優奈で構いませんのに」

「いえいえ、そんな恐れ多いことなんてできないわ」

 優奈の提案を立華は素っ気なく断る。

 立華は優奈の猫被りな態度を気に入っていない。

 それに加えてその本性を隠した態度が村の衆からの人気が高いことが嫌優奈に拍車をかけていた。

「はあ……悲しいことです」

 優奈がそうため息を吐くが響も気にしない。

 立華が優奈を敵視していることは村の常識であり、今更目くじらを立てる者はいない。

 まあ、どれだけ噛み付こうとも優奈は軽くあしらうので問題にしていないだけか。

「う?」

 相手にされていないことは立華自身痛感している。

 だからこそ優奈に強く当たり、そして村の衆から孤立するという悪循環に嵌っていた。

「仕方ない」

 僕はそう呟くと同時に歯ぎしりしている立華の耳元に口を近付ける。

「立華、お前の怒りは理解しているから」

 膝に座っている響に聞こえないよう声の音量に注意して続ける。

「だからこそここは抑えろ。無闇に敵を作ったところで損するだけだ」

「けど……」

 何か言いたそうな立華に諭させるよう僕は優しい声音を意識して。

「少なくとも僕と母上は味方だ。どうしても辛かったら何時もの様に母上に相談すると良い」

 立華の気持ちを最も理解しているのは母上だろう。

 これまで立華が暴発しなかったのは偏に母上の存在ゆえであった。

「……うん」

 立華は母上に絶大な信頼を寄せている。

 だから立華は母上の名を出すと大人しくなった。

「で、優奈さんに何の用があったのです?」

 一段落した頃に響がそう疑問を呈す。

「立華さんは優奈さんに聞きたいことがあったのでしょう」

「ああ、そのことね」

 立華は手をヒラヒラと振って。

「もう良いわ、興が逸れたし」

 どうやら立華はまた優奈に因縁を付けるつもりだったらしい。

 そうなると車の雰囲気が険悪になるところだった。

 あの時優奈が立華の出鼻を挫いて良かったのかもしれない。

 僕は内心安堵したのだけど。

「気になります。立華さん教えて下さい」

 響は身を乗り出してそう催促した。

「はあ……まあ良いわ」

 そんな様子を見た立華は溜息を吐いた後に語り出す。

「土曜日ね、康介が神無月嬢を連れ出したのは本当なのか知りたかったのよ」

「ああ、それか」

 僕は納得する。

 立華が言っているのは、先日僕が優奈を伴って村中を散策した件を言っていた。

 ひっきりなしにお見合い話にうんざりしていたのも手伝ってか優奈は楽しそうに村の端から端まで散策したのを覚えている。

「で、その時に康介は神無月嬢をお姫様抱っこで連れ添っていたらしいわ」

「まあね」

 魔法使いである僕はバイク並の移動が可能であり、優奈は風を切る感触を楽しみたかったそうなので、僕は彼女を抱えて移動していた。

「ええ、本当に康介君にお世話になりました」

 その時のことを思い出してなのか優奈は微笑みながらお礼を述べる。

 僕としては同じことで二回も礼をもらうのはどうかと思っていたが、向こうが感謝の意を示している以上応えないわけにはいかないだろう。

「どういたしまして」

 だから僕は返答とばかりに優奈の方を向いて返答をした。

 と、ここで響が口を挟む。

「それは面白そうです。康介さん、今度私に優奈さんにしたことをやってもらえませんか?」

「ん? どうして?」

 僕の問いかけに響は目をキラキラと輝かせながら。

「康介さんの腕に抱かれて草の匂いを感じ、次々と移り変わる景色に目を見張る……それは最高の娯楽ですよ!」

「そんなオーバーな」

 そう力説する響に僕は苦笑するが、彼女は首を振る。

「いえいえ、絶対そうですよ。私が保証します!」

「保障されてもなあ」

 響の力強い言葉に僕は思わず失笑してしまった。

「だから今度お願いしますね」

 続いて響がそうお願いしてきたので、僕は頷こうとすると。

「ウフフ、駄目よ響ちゃん」

 優奈は口元に笑みを浮かべながら反対の意志を示した。

「お姫様だっこはお嬢様特権。だから私専用なの」

 サラリととんでもないことをのたまう優奈。

「へえー、そうなのですか」

「響、納得したら駄目よ」

 思わず納得しかけた響に立華は呆れ声をかける。

「神無月嬢は息をするように嘘を吐くから、彼女の言葉は寝言と思いなさい」

「寝言とは酷い表現をしますね」

 優奈はシクシクと袖で顔を覆いながら。

「私は努めて清廉潔白であろうとしているのに」

「嘘おっしゃい嘘を!」

 優奈の仕草に吼える立華。

「あんたが聖人ならこの世は聖人しかいないわよ!」

 ……ごめん優奈。

 さすがにこれはフォローできないな。

 優奈もそのことが分かっているのか、さしてダメージを受けた様子もないし。

「ガハハ、本当に三月娘は仲が良いな」

 そのゲンさんの冷やかしに対して。

「「「一括りにしないで(下さい)!」」」

 三人が綺麗にハモった。


「始めまして、僕の名は犬神康介です。よろしくお願いします」

 朝のHR。

 授業が始まる前に僕は転入するクラスの教壇に立って自己紹介を行った。

 ザワザワ、ザワザワ。

 新学期が始まって間もない時期での転校生。

 クラスの関心が集まるのは当然のことだろう。

 珍獣の様な視線を向けられるのは居心地が悪い。

 まあ、クラスの大部分の生徒とは初対面なのだから仕方ないか。

 しかし、その中で唯一救いなのが。

「(……もっとシャキッとしなさいよ)」

 といった視線を送ってくる立華と同じクラスなことだった。

「質問いいですか?」

 と、その時一人のクラスメイトが手を上げる。

「犬神君はどこの学校から来たのですか?」

 やはり来るか。

 予想していた質問がきたので内心緊張する。

 魔法使い養成学校を退学になりましたなんて正直に言えるわけが無い。

 そんなことをすると今後の高校生活において多大な影響を及ぼすことは火を見るよりも明らかだったので、“全寮制の高校に通っていたけど合わなかった”

 という最もな言い訳を用意しておいた。

 しかし、その口上が使用される前に横にいた担任が口を開いて。

「犬神は魔法使い養成学校の一つである夢宮学園から転校してきたんだ」

 と、最悪な形で暴露した。

 ビシリっと教室の空気が音を立てて割れる。

 先程の興味と好奇心に満ちた雰囲気は跡形もなく消え、代わりや恐怖が辺りを覆う。

 やはりこうなるのか。

 僕は無表情を保つことによって湧き上がってくる感情を押し殺す。

 魔法使いは一般人から畏怖と恐怖の対象として見られている。

 もちろん魔法使いも人だ。

 霞を食べて生きる事は出来ないし、眠らなければ死んでしまう。

 泣きも笑いも怒りもするのが魔法使いであるが、一般人と唯一違う点――現実を歪曲出来るから別格とされていた。

「ああ、言い忘れていたが犬神は現在魔法が使えないから君達と一緒だ。だから怖がる必要はないぞ」

 場の空気の悪さを感じ取ったのか担任がそう付け足すのだが、それは蛇足でしかない。

 担任の言葉によって、クラス内の空気に嘲りの色が混じる。

 侮蔑と嘲笑は恐怖の裏返し。

 自分が優位だと認識したいがゆえに他人を貶めようとする浅ましい行為。

 クラスに満ちたこの悪意。

 もう何を言っても悪い方向にしか転がらないだろう。

 その事実を立華も感じ取っているのか、気遣わしげな視線を僕に送っている。

「まあ、良いか」

 僕は上を向いて嘆息する。

 立華を始めとした三月娘の態度が優しかったから忘れていた。

 今の僕は脱落者。

 ネズミの期待はともかく、両親を始め国や行政に迷惑をかけてしまった。

 ゆえに孤独を味わうのは当然の責務。

 この残りの高校生活を孤立することが僕に対する罰だろう。

「……」

 自己紹介を終えた僕は指定された席へ歩く。

 通過する際にクラスメイトから机ごと避けられる。

 その光景に僕は踵を返して教室から逃げ出したくなった。


 キーンコーンカーンコーン。

「よーし、これでラストホームルームは終わりだー。皆気を付けて帰れよ」

「はあ……」

 針の筵の様な苦痛の時間が終業チャイムによって終わりを告げる。

 ゲンさんの迎えが来るのは完全下校の時。

 つまりそれまでの間は学校に残らなくてはならなかった。

「学校の探検でもしようか」

 やることがないため、僕はそう考えるも。

「……体が動かない」

 今日起こった出来事が僕に相当なストレスを与えていたらしく、何かをしようとする気が起こらなかった。

 今日の出来事とは朝のあの時間。

 どうやら皆は僕を存在しないものとして扱うらしい。

 悪夢のホームルームから現在まで誰も声をかけてこなかった。

 立華は僕の味方だと考えていたけど、予想に反して何もしなかったことが結構堪える。

 どうやら僕は立華に依存していたのかなと驚く。

「何というか……哀しいな」

 立華の態度よりも、誰かが何とかしてくれるだろうと甘い考えを持っていた自分が惨めに思えた。

「しかし、皆から無視される方が今の僕にとって都合が良かったかもしれない」

 今の僕には時間が必要だ。

 無気力な自分を叩き起こし、今後の将来をどうするのか決めなくてはならなかった。

「とりあえず優奈と駆け落ちは無しという方向で」

 そんな冗談を口にすると、僅かに気分が楽になる。

「……何笑ってんのよ」

 と、苦笑している僕に呆れ声を出すのは。

「りっ……いや、弓月さんか」

「塞ぎ込んでいたから心配していたけど、戯言ぐらいは言えるのね」

 腰に手を当ててそんなことをのたまう立華に僕は肩を竦めながら。

「冗談でも言わないと持たないさ」

 頬杖をついた僕は正直な感想を漏らした。

「誰も助けてくれないんだ。愚痴や冗談ぐらい出てくるだろう」

 遠回しに立華が味方をしてくれなかったことを責める。

 その僕の意図が伝わったかどうか確認するために僕は立華を見上げる。

「しかし、今更ながらあんたって相当ダメージを受けているわね」

 僕の机に腰掛けた立華は続ける。

「圭い……いや、昔の犬神君は他人からどう思われ様が全く意に介さなかったじゃない」

「そうだったのか?」

「そうよ。中学の頃の犬神君とは大違いね」

「あまり変わっていないと思うが」

「どこが? そんな僻みをネチネチネチネチネチと囁く今のあんたと昔の一匹狼なあんたを一緒にしないでほしいわ」

「ものすごい言われ様だね」

 僕が間違っているのだろうか。

「昔の犬神君は虐めの対象になり、持ち物を隠され陰口を目の前で叩かれても眉一つすら動かさなかった伝説があるわよ」

「伝説って……」

「今でもたまに同級生の話題に上ってくるわね。『さすが魔法使い、自分達とは違い過ぎる』と」

「喜んでいいのか分からないな」

 言外に人外扱いされているし。

「まあ、とにかく。その頃の犬神君と現在では大きく違うのよ。いえ、弱くなってしまったと言うべきかしら」

「今の僕は弱いのか……」

「ええ、そうね。少なくとも今日の朝のホームルームの様に他人の顔色を伺う様な真似なんてしなかったわね」

「……」

 立華の辛辣な言葉に黙り込む僕。

 確かに僕はあの時、少しでもクラスメイトとの関係を良くしようと色々と策を考えていた。

 中学の頃ではそんなことなど考えてすらいなかったことを思い出す。

「僕は変わってしまったのか」

「ええ」

 大きくため息を吐く僕に頷く立華。

「即座に頷くんだね」

「誤魔化してもあんたのためにならないでしょ?」

 オブラートに包もうとしない立華の態度に僕は苦笑する。

 昔からそうだったけど、立華はいつも厳しい。

 父上ほどではないにしろ、立華が優しく励ましてくれることなど僕は知らなかった。

 まあ、それでこそ立華なんだけどな。

 常に厳しく僕に正しい道を示す。

 それが弓月立華だった。

「しかし、何故昔の僕は他人の眼を気にしなかったのかな?」

「それは言葉で説明しても無駄だと思うわ」

 立華は続ける。

「それに対する答えは犬神君の体が知っている。あんたって中学の時剣道をやっていたでしょ? だから少し試合でもしてみたら何かのヒントになるわね」

「それは良いとして……いきなり入って大丈夫か?」

 僕はそう疑問を呈すと立華は胸を叩いて。

「大丈夫、私って剣道部のマネージャーなの。だから問題無し」

 立華がそう自信満々に言うものだから、僕は試しにやることにした。


「手加減ぐらいしなさいよ」

 一時間後。

 剣道場には死屍累々と化した剣道部員が横たわっていた。

「あんた全中の優勝経験者でしょ? 一回戦勝ち抜きが目標の弱小部活の部員に本気を出すなんておかしいわよ」

「本気を出したわけではないのだけどな」

 僕は面を取り外し、汗をぬぐいながらぼやく。

「その証拠に僕はその場所から一歩も動いていないだろ?」

 さすがに一歩二歩は動いたけどそれだけだ。

 自分から攻めたことなど無い。

「いや、あんたって後の先を取るカウンター型だから全くハンディになっていないわ」

「それでも機動力を削いだのだから十分だろう」

 例え待つタイプでも足を使えないのは相当なハンディになるぞ。

 何せ相手の動揺を突くことが出来ないのだからね。

「ふうん。で、その結果があれ?」

「うん、あれ」

 立華の視線の先には疲労と絶望によって床に突っ伏している剣道部員の姿があった。

「弱すぎないか?」

「そう思うのなら康介が部員に手解きをして欲しいのだけど」

 立華は頭をかきながらそうぼやくけど。

「僕が教えられる点なんてあるのか?」

 僕の使用している流派は一般のと比べて独特だから中途半端に教えると返って下手になる。

 まあ、それ以上に。

「僕は呼吸と目線そして足の動きから相手の心理状態を把握して打っているのだが……同じ芸当を彼らも出来るのか?」

「無理ね。康介のそれは天才の領域よ」

 僕の型は剣道部員にとって全く参考にならないことを思い出した立華は嘆息した。


「ちょっと休憩を入れるわね」

 立華はそう宣言し、僕を道場の外へと連れ出す。

 道場は体育館の地下にあり、その他にも幾つかの小部屋がある。

 ここは階段から最も近い場所にあるせいか、最短距離で自動販売機やベンチが置いてあるちょっとしたスペースに移動することが出来た。

「ほら、あんたの好きなブラックコーヒー」

「ありがとう」

 僕は剣道着の姿なので財布を持っていない。

 だからマネージャーなので制服姿のままの立華がジュースを買った。

「後で払うよ」

 このままだと気分が悪いので僕がそう提案するのだけど。

「構わないわ。康介のおかげで腑抜け気味だった部員に喝を入れることが出来たからそのお礼よ」

 立華は手をヒラヒラと振って断った。

「ふー、おいし。やはりこの一杯が最高よね」

 ジュースを一口飲んだ立華はそう息を吐く。

「どう? 康介、久しぶりの剣の感触は」

 立華は缶を傾けながら続ける。

「昔の自分を思い出すことが出来た?」

 そう立華の問いかけに僕は喉を少し湿らせた後。

「少しだけな」

 肩を竦めてそう答えた。

 教室の時も練習の時も僕は“受け”の姿勢である。

 しかし、心情的には大きく違っている。

 前者の受けは自分がどんどん卑屈になる感触を覚えるが、後者だと時間が経つごとに冷徹になって頭が冴えてくる。

 同じ受けなのにどうしてここまで違うのか。

 僕はそんな疑問にぶち当たった。

「どうやら何かを掴めたようね」

 腕を組んでいる僕を見た立華は満足そうな笑みを浮かべる。

「私も康介を誘った甲斐があったわ。これで何もなかったら……どうしていたかしら?」

「恐い事を言わないで欲しいな」

 最後の言葉に唯ならぬ殺意を感じた僕は思わずそう口走った。

「立華は知っているのか?」

 コーヒーをまた傾けた僕は続ける。

「教室の時の僕と今の僕。同じ受けなのにどうしてここまで違うのか答えを知っているのか?」

「さあねぇ」

 真剣に聞いたつもりなのに立華は素っ気なく返す。

「知っているかもしれないし、知らないかもしれない。それは答えられないわねえ」

「……立華は意外と酷いな」

「酷いと映るか優しいと見るかは康介の心境次第。少し経てば私がどうして答を与えなかったのか理解するわよ」

 立華は空になった缶を捨てる。

「さて、そろそろ休憩時間は終わりよ」

「はいはい」

 立華の言葉に僕は缶の中身を全て煽った後に口を拭いながらこう呟く。

「ふう……しばらく剣道部に顔を出そうかな」

 昔の自分がどうだったのかは未だ不明なものの、その片鱗を掴むことが出来た。

 これからも剣道を続けていけば、掴んだ何かが徐々に明らかへとなっていく。

 そしていずれは昔の自分というものを取り戻すことが出来るだろう。

 そう、孤独だろうが不安や恐怖を感じない強い自分に。

「毎日参加は止めておきなさい」

 しかし、僕の願いは呆気なく立華に止められる。

「あんたが毎日出たら剣道部には誰もいなくなるわ。だから週二が限度ね」

「しかし」

 僕はそう抗議するも。

「今の私は剣道部のマネージャー。あんたのために部員と部を犠牲になんて出来るわけがないでしょう」

「……」

 立華の言葉に反論出来なかったので僕は週に二回しか出られなくなった。

 僕の落胆が顔に出ていたのだろう。

 立華は僕の背をバンバンと叩きながら。

「焦る必要はないわよ。時間はたっぷりあるのだから、ゆっくりと確実に立ち直りなさい」

 と、そんな言葉で僕を慰めた。


 生徒会室を通り過ぎ、そしてその付近にあったトイレの前を過ぎた際に声をかけられる。

「あら、康介君じゃない」

「ああ、神無月先輩ですか」

 声のした方へ振り返った先にいたのは表面上上品な笑みを浮かべている三年の神無月優奈。

 彼女は腰まで伸ばした長い髪をかきあげながら笑む。

「固いわねぇ、何時ものように優奈で構わないのに」

「プライベートならともかく、学校内でその呼び方は不味過ぎるでしょう生徒会長」

 優奈の茶目っ気の入った提案に僕は肩を竦めた。

 放課後。

 今日は部活に参加出来ないから暇なので校舎内を散策していた。

「康介君、あなたは何しているの?」

「学内に何があるのか位置関係を調査中」

「ふうん。で、興味深いものでもあった?」

「いや、何も。強いて挙げるなら、教室を覗くと文化部所属の生徒が熱心に活動へ打ち込んでいたことだけ」

「それはつまらないわねぇ」

「つまらないって……彼等は必死何だけど」

 腕を組んで鼻を鳴らす優奈に僕の顔面は引き攣った。

「で、これからも続けるの?」

「いや、もう終わった」

 この高校は狭いのか三十分足らずで全部回れてしまった。

 少しがっかりだ。

 夢宮学園など一周するだけで二、三日はかかっていたぞ。

「仕方ないから街に繰り出そうかと考えている」

 ゲンさんの迎えが来るまで暇だ。

 お金は十分すぎるほどあったのでゲーセンなり古本屋なりで時間でも潰そうかな。

「それじゃあ、また」

 僕はそう踵を返して去ろうとしたけど。

「暇なの? それならちょうど良かったわ」

 そんな優奈の言葉に足を止めざるを得なかった。

「時間があるのでしょ? だったら私の仕事を手伝って欲しいのだけど」

「転入してきたばかりの僕に生徒会の仕事なんて出来るのか?」

 僕は片眉を上げながらそう聞くのだけど。

「大丈夫よ。犬神君は中学校の時も生徒会のお仕事をしていたでしょう? あれの延長線上だって」

「だったら尚更ゴメン何だけど」

 中学時代、優奈に誘われて生徒会に入った僕は生徒会の仕事を丸投げされていた。

 それに加えて剣道部の練習。

 体育祭や文化祭など行事前は修羅場を迎えていたのを覚えている。

「心配しないで。あの時は使えない役員ばかりだったから康介君一人に負担が集まったけど、今回は皆そこそこ有能だからそんなに苦労しないわよ」

「本当か?」

「ええ、本当よ」

 間髪入れずそう返す優奈に僕は続けて。

「神に誓えるか?」

「誓えるわね」

 優奈は視線を逸らさずにそう返してきた。

「それなら良いか」

 そこまで自信があるのなら信じても構わないだろう。

 暇潰し程度にはなると思うし。

 そう考えた僕は優奈の後に付いて行った。

 ……結論。

 悪魔に神の宣誓など無駄だということを痛感した。


「お疲れ様、康介君」

 満身創痍となり、力尽きて突っ伏している僕にかける呑気な声。

「お前……」

 思わずそんな失言が出ても仕方ないだろう。

 それぐらい今の僕は優奈に恨みを抱いていた。

 まあ、この発言は本来なら村八分にされてもおかしくないのだが。

「あら嫌だ。怖いわよ康介君」

 優奈はこの調子なので問題はなかった。

「何故他の役員を帰らせた?」

 僕が恨んでいるのは生徒会室に入ってすぐに取った優奈の行動。

 なんと優奈は生徒会室にいた生徒を全て帰宅させ、彼等が取り組んでいた仕事を全て僕に押し付けたので僕の頭は完全下校までフル回転の状態であった。

「効率の問題よ。五人で五の仕事と一人で五の仕事をこなせるのなら、後者を選んだ方が合理的よね」

 優奈は悪気のない顔でそうのたまう。

「彼等は有能でなかったのか?」

 つい先刻僕に対して言い放った言葉を反芻させるけど。

「ええ、有能よ。けど、康介君の方がもっと有能なの」

 ニッコリと笑った優奈は続けて。

「見てよこの少ない量。これは彼等四人が一週間かけてなのに、康介君は一人でしかも一日で終わらせたのよ」

 確かに優奈が取り出した書類の束と、僕が片付けた書類の束の太さはほぼ一緒であった。

「それはそうだが」

 優奈の称賛は嬉しいが、彼等も一生懸命に取り組んだ結晶がそれ。

「量は一緒でも中身が違い過ぎるね。何せ僕は一人なのに向こうは四人。単純計算で四倍優れていると思う」

 だから僕は彼等をそう擁護するのだけど。

「内容も康介君の方が上よ」

「……」

 そう断言されると沈黙せざるを得なかった。

 ゲンさんが迎えに来るまでまだ時間があるので、このまま生徒会室で優奈と雑談を始める。

「しかし、康介君は変わっていないわね」

 生徒会長席に腰かけた優奈はそう呟く。

「どこが?」

 僕は書類を選別しながら疑問を呈す。

「自分としては大分変わったと思うが」

『あんたは劣等感を隠すために自分を良く見せようとしている』

 立華にそう指摘された通り、僕は人の顔色を窺うようになってしまった。

「何言っているのかしら? 康介君は昔から受け身だったわよ」

 しかし、優奈は僕の嘆きを否定する。

「困っている時にサッと現われてパパっと解決して去る。康介君はまるでヒーローね」

「それはそれは……嬉しいね」

 優奈の言葉に僕は苦笑するけど。

「成績優秀、容姿鍛錬そしてスポーツも万能な康介君は本当に優秀な“犬”よ」

「それはそれは……哀しいね」

 続く言葉に僕の顔面は引き攣った。

「何が哀しいの?」

 何故か優奈は僕に詰め寄る。

「優秀な人物――そう、私の手足となって動けることに何が不満なの?」

 そう堂々と宣言する優奈に僕は呆れを通り越して感動すら覚えた。

 でも、まあ優奈の言葉は一理ある。

 下手の考え休むに似たりの諺があるように、僕の様な凡人が何かを考えても意味のある事柄を思いつくとは限らない。

 僕はおもむろに置かれた書類の束の一番上を掴みあげて。

「ここに書かれた企画は優奈が考えたのか?」

「ええ、学校行事に無関心な生徒が多いから、彼らを発奮させるような催し物を少々」

 その問いに優奈は頷く。

「よくもまあこんな斬新な企画を提案して実行しようとするよ。僕には絶対無理だ」

 中学時代からそうだったけど、優奈は企画を次々に提案して主体的に動く。

 そのため、優奈が中学校で生徒会長を務めていた頃は、他校にはないユニークな行事を行う学校として地方紙に載ったこともあった。

「でも、そこまで持っていけたのは康介君のおかげでもあるのよね」

 あの時の様子を思い出しているのか優奈は天井を見上げながら言葉を紡ぐ。

「私の草案を実行するために修正や学校側との交渉を全て引き受けてくれたから、私は提案に全力を費やすことが出来たわ」

「あれはブラック企業顔負けの労働だったよ」

 学校カジノ化計画など教育委員会が到底認可できないような企画でさえ普通に思い付くので、それを双方が納得しかつ実行可能な内容へ書き換える作業が大変だった。

「まさか中学生で栄養ドリンクのお世話になるとは思わなかったな」

 一本二本ではなく、ダース単位で買い込んだのを覚えている。

「それだけでなく、私が催した企画が学校の恒例行事となっているのは後釜に座った康介君の功績よ。賭けても良いぐらい、康介君でなければ不可能だったわね」

「おかげで大変な一年だった」

 実は僕、引退した優奈の後継者として次の一年は生徒会長という役職に就いていた。

「優奈は敵を作り過ぎだ」

 生徒会長としての僕の役目は優奈が作り出した企画を守りきることだった。

 優奈が在職時から薄々感じていたけど、彼女は催し物を実行するために各方面に対して相当ごり押ししていたらしい。

「おかげで僕は企画を縮小・廃止しようとする輩と一年間戦わざるを得なかった」

「でも最終的に勝ったから良かったじゃない。苦労は勝利の味を最大限引き立ててくれるのよ」

「そんな言葉に僕は惑わされないぞ」

「あらら、残念」

 僕の冷静な物言いに優奈は肩を竦めた。

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