サラリーマン(2)
同様、どころか電車に箱乗りしたり屋根にまで乗る国を除き、諸外国から奇異の目で見られできれば乗りたくないとおもわれる日本の満員電車であるが、一回体験してみると、その乗り心地は意外と悪く無い。
ぎゅうぎゅうと寿司詰め、というのも本当は間違っているのは、買って帰った寿司折りの中身が片寄ってしまった経験がある人ならおわかりであろうが、手作り弁当の白米部分のように圧縮された車内は、自分自身で立つ必要がなくなり、皆が皆支えあうようになるため、予想外に力を抜いても大丈夫な、自分の目的の駅で降りられるのか? なんて不安を除けば、それなりに快適乗り物である。
・・・エアコン、扇風機等で空調がされていれば。
なんとなく、なんとなくだけど・・・あれ?
いつもと同じ駅、同じ電車に乗ったはずなのに、なぜか乗り心地の悪さを感じる。
それは、運行会社による専用車両の変更により、間違って女性だらけの一両乗ってしまったから、ではなく、ビミョーに人が減ったせいだった。
何人か、多くても十何人かが減った車内には、満員電車にはありえないはずの隙間がうまれ、カーブに差し掛かるたびに普段は感じないバランスの乱れによって無意識に力んだ筋肉は、朝っぱらからなんかこう、持ち主に疲労を感じさせていた。
「・・・潮時かなぁ」
それでも自分のペースで歩くのは難しい人の波に流されながら、とあるサラリーマンはざわめきの一部分となる一人言をはきだした。
理由はわかっている。
近頃話題になっているテレビ番組だ。
なぜか、放送終了後も○ーNEXTやTV○rで配信されていないその番組では、隕石というか、もはや準惑星規模の天体と地球の衝突が証拠つきで取り上げらていたらしく、どうやらその内容がヤバかったのではないか? と言われている。
・・・理由としては、ゲストに呼ばれた有名女子グループのメンバー(と、ほぼ無名の男性コメンテーター)が終盤パニック状態になったからという説の方が優勢だが。
それでも、なぜパニックに? と考えれば番組の証拠とやらに思考は行き着くし、翌日、いや放送日の深夜に起こったとされるスーパーやコンビニでの食料品の買い占めが、どこの局でもニュースにならなかったという、個人発信者の報告は、オールドメディアではなく、SNSで情報収集する世代を中心に、じわじわとなんとも言えない不安をかきたてていた。
ま、オレもその一人なんだけどね。
胸ポケットには退職届け。
一応、保険ととして有給休暇は申請してみるつもりだけれど、「ダメ」言われれば、昨晩印刷、───しようとして、インクジェットプリンターのインクが固まっていて結局手書き───のそれを叩きつけるつもりだ。
職場に不満があるわけではない。
自身で目標を定める、という建前の評価制度は、パターン化された業務内容では絶対達成できない数値で決められ給料は上がらないし、導入前に昇進していた上司はバブル中の価値観を引きずり「努力しろ!」としか言わない。
とっくに何もかもを諦めた先輩社員は、事あるごとに、自分の仕事をこちらに押し付けようとしてくるが。
「さて」
「お前の代わりはいくらでもいる」と常日頃言われる職場だ。今日自分がやめても問題ないだろう。
○≡
給料でないのになぜか「三十分前に出社しろ!」と言われる職場にちょいと意地をみせて、二十分前に到着。
始業開始前に所長と話さないとな、とか考えていたオレは、安っぽい木製の本体に、開け閉めするだけで割れるんじゃないか? と不安になるうっすいガラスのはまった扉を開けた瞬間、異変に気づいた。
業務時間前だから掛け直せ、を丁寧にしたアナウンスにつながるだけの始業前の固定電話が鳴りやまない事務所でおろおろとしている後輩が何人か。
所長も、先輩方も、普段「遅いねー」とイヤミを言うだけに早めに出社しているんじゃないか? と疑問に思える連中が根こそぎいない。
「せんぱーい」と。泣きそうな顔で後輩が指さすホワイトボードを見れば。
「やられた・・・」
そこには、長い長い矢印、五月半ばまで有給をとった旨が記されていた。
「はぁっ?! 昨日帰った時にはこんなじゃなかったよな?」
「はいぃぃ」
オレの記憶が確かなら、昨晩最後に戸締まりしたのは、自分とこの後輩であり、その時は所長、先輩───どちらもすっかすかであっても─── 一応、全員の行動予定に今日の分が書き込まれていたはずだ。
「呼び出せ。すぐに!」
こちらの休みに遠慮なく電話してくる連中にかける慈悲無し!
「それが・・・」
もう何度か試していたのか。会社支給のスマホを諦め顔で操作する後輩。
ブブブブと、固い物の上で何かが振動すると同時に、コール音が机の中から聞こえ始める。
「緊急用の個人携帯も、固定電話も出ません」
「だろうな・・・」
もう一人の後輩の報告に、さもありなんとうなずいて。狂ったように鳴り響く事務所の電話の中、オレは力尽きたかのように、始業前の、まだ朝日と言っていい光が照らす自分の椅子に座ってうなだれた。
このまま灰になれたらいいのに。
○≡
「発注お願いしまーす! なる早で・・・」
自動音声のテープに繋がったとしても向こうの声が聞こえないわけではない。
それを知ってか知らずか、無理やりこちらに届けられた注文は、切羽詰まったように切実に長いものだった。
・・・時間外だから無効だけどね。
「本社は?」
「向こうも人が足りないみたいで」
「臨機応変に対応しろと」
臨機応変、機に臨み、変に応じろ、という意味のカッコいい言葉だが、その実、好きにやれだ。
「ああっ! もう !!」
別に好きでも、希望に燃えて入ったのでもない上、誰がやっても変わらない医療品のルート営業の職だが、止まるとヤバいことだけはわかる。
「し、始業時間ですけど、どうします?」
「受けた順番に、持ってきますか?」
後輩の意見に背筋が凍る。
「バカ! そんなことしたら・・・!」
死人が出る。ほぼ確実に。
取り扱っている医療品の中には、替えのきかない品物もあるのだ。
不安だから確保したいなんてのに言われるがまま納品したら、最後どころか最初の一二件で在庫がなくなるだろう。
その後、くると思っていた医療機関で物がなくて起こることなんかは・・・想像もしたくない。
・・・もしかしたら起こらないかも知れないし、起こったとしてもウチの責任ではない、なんて考えを、食い縛った歯の間ですりつぶす。
「電話は出るな。留守電にしろ『今、事務所に人がいなくて出れません』ってヤツの方だだ。間違っても『メッセージを』にするんじゃないぞ?」
「いいんですか?」
「ああ。ファックスも止めろ、線を引っこ抜け」
「メール、も、だ。とにかくこちらへの連絡は一旦とめろ。メンテナンスの時のマニュアルに切り替え方が載ってたはずだ」
「はい」
「オレは倉庫の在庫の確認をするから、連絡手段を断ったら、お前らは入荷元に連絡して、今までどおり品物が入るか確認」
「「はい!」」
「基本今後は・・・。最低限の品物をその都度渡す形になると思う。忙しさは増すが・・・」
ゴクリ、と。
コール音が消えた事務所で、唾を飲み込む音がしそうだ。
「在庫管理以外の書類仕事は無しだ!」
「マジっすか?」
「天国じゃないですか!」
「ひゃっほー !!」
おい、素がでてるぞ。
「あと配達に人手がいる。そこそこ信頼できる人物に心あたりがあったら、声をかけてくれ」
「「はい !!」」
・・・
・・
・
「いやぁ、うちの息子が普段お世話になっております」
「うちの愚息も」
いや、信頼できる人物って言ったけどさぁ・・・。
やりづらいんですけど・・・。




