サラリーマン(1)
『気楽な稼業ときたもんだ』と、明るい調子で始まる歌が、産まれるずっと前の存在だという事実を知れば、いま彼らが置かれている環境が理解できるかもしれない。
社畜=会社に飼われている家畜。
よく小説なんかではブラック企業の社員をそう描いたりするらしいが、これはまったくの的外れだ。
どこの家畜が自分の餌を自分で取ってくるのだ。想像してみてほしい。牛でも豚でも羊でもいいが、彼らが春、種を撒き、夏の暑い盛りに世話をし、秋に刈り取るさまを。
そんな家畜がいるだろうか?
普通は餌は飼い主が用意してくれるものではないだろうか?
餌も、住みかも、もっと言ってしまえば配偶者までもあてがわれて初めて家畜は家畜なんではなかろうか?
そう、“畜” と自虐的に下げずんでいるようで、食費を、家賃を、自身で払い、結婚する気力さえない自分たちを半ば無意識に、半ば意識的に、ちょっと上の存在だ、と主張しているののが社畜という言葉なのである。
「マジかよ・・・」
今日はそんな一人のサラリーマンが、自分がなんだったのか思い出すところを見てみよう。
○≡
「何かね? これは?」
素直に聞けば自分がわからない事をたずねられているようだが、ひねくれた耳に届くのは、マウントをとろうとするいじわるだ。
『有給休暇申請書』
これぐらいの漢字を読めない会社員などいないだろう。それも下の方とはいえ役職付きで。
短い質問は裏を返せば「何わけのわかんないモノ出してきてるんだお前は! 何しているか分かってんのか? 自分の口で言ってみろ!」であり。
「見て分かりませんか?」
当然、そんな質問にまともに答える必要など無い。
ふん、と。自分の思い通りにならなかった不満を鼻息で表明した主任は、一応、書類に目を通すが、判子を押すつもりが無いのは、汚ならしい代物を扱うような手つきが証明していた。
「却下」
「なぜですか?」
「理由が書いてないし、・・・残りすべての有給って。許可されるとでも思っているのかね?」
けんもほろろ。とりつく島もない=まったく相手にしない態度を表す言葉だが、語源は雉、鳥のキジの鳴き声と行動だそうだ。
そう考えると、いつも何が不満なのか、不機嫌な時しかない主任が野鳥の真似をしたわけで。雄雉の派手な仮装をした中年男性の想像図はちょっと笑える。
「理由は書きましたよ」
「私用の為、か? もっと具体的に・・・」
「有給休暇の理由を細かく書かなければいけないとは定められていません!」
まあ、細かいも何も理由は『世界が滅びる時に仕事なんかしていられるか!』なのだが、さすがにそんな理由はダメなのは明白だ。
目の前の相手が、そんなことを考えているとは知らず、自分の言葉を途中途中で遮られた主任がさっ と顔を朱に染めた。
「期間についてもそうです。人手が足りないなら相談の上、調整するとありますが、うちの会社、忙しい時なんて無いですよね!」
「相談の上」「忙しい時」「ね」を強調して言ってみる。
「だがしかし、キミねぇ。有給すべてを一度にってのはねぇ」
「何日まで、という決まりもありません!」
弱気には強気。じゃんけんか、カードゲームのような駆け引き。
息詰まる? 展開に後ろで仕事をしているようで、神経を耳に集中している同僚達にもピリッと緊張が走る。
「もし、もしだよ? 休めたとして、怪我や病気になったら・・・」
「傷病休暇があります!」
ちっ! と主任の短い舌打ちには「知ってやがったか!」の意が込められていた。
給与が全額保障されるから有給が優先的に使用したいと思わせるのであって、三割カットの傷病休暇でも普通に生活はできる。
「愛社精神はないのかねキミィ」
搦め手。正攻法が通じないならと、主任が別の手段を選ぶ。
ここで「ありません!」とはっきり本音を言ってもいいのだが、搦め手には搦め手で対抗。
「二百五十五日」
「?」
ボソッと呟かれた日数に主任の片方の眉が
上がる。
「有給休暇は一年、二十日。次の年まで繰り越し。通常だと年末年始、ゴールデンウィーク、九月の連休に自動的に一日くっつきます」
「・・・」
「何らかの理由で休まなければ、年間十七日、それが十五年。もちろんコロナの時にとらされた自宅待機分は除きますよ」
「もう一度言いますが二百五十五日。年間の平日は二百四十五日らしいですから、わかりますよね?」
「・・・」
「一年タダ働きしてるんですよ、こっちは! これを愛社精神と呼ばずになんて呼ぶんでしょうね!」
本当は流されているだけだからタダの、普通って意味と金銭的に只の間抜けなんだけどな。
内心、自分自身あきれつつも、表情には出さない。
「それを言ったらワタシなんて・・・」
「それはそちらの問題です」
「・・・そ、そうだ。ワタシはいいが、他の連中はどういうかな? 休明けにキミの席が残っていればいいのだがね!」
会心、もしくは改心の一撃!
これで心を改めるだろうという主任の一言だが───
「脅しですか? 無駄ですよ」
何しろ胸の内ポケットにはアレが入っている。有給休暇の申請なんてのは書き込んでいたネットの板で『無断欠勤はヤバイだろ』と指摘されたから出してみただけ。
自己都合退社だと失業保険がおりるまで時間がかかるが、もうそんなのはどうでもいい。
───完全に裏目が出た。
「それに。知ってますか? 主任」
「な、何をだね?」
「うちの部署の仕事、昔の問屋方式が慣例として残ってるだけで、発注元と受け取り先、直につなげば一人で十分回るんです」
「そのためのソフトは後輩の△○君が作ってくれてて」
「失業したくないから、そんときは、みんなで、とめたんですけど」
「もういい加減、馬鹿らしくなりました」
「そんなにこの会社を、部署を愛してるんならお一人でどうぞ」
「自分は休み明けここに席がなくても結構です」
その前に会社、どころか日本列島が残っているかもわからないが。
「では」
力なく、へなへなとそれでも届け出に判子が押されたのを見届けて、彼は自分の所属していた部署の古く安っぽい扉を閉めた。
「主任、俺も!」「私も!」「僕も!」
後ろがなにやら騒がしいがもうどうでもいい。
休んで何がしたいわけでもない。
ただ、この世が滅びるなら。
会社の机に縛られたままなのはいやなのだ。




