水の町
俺は勇者を貫くことが出来なかった。
「…何で? どうして殺さないの?」
怖かっただけなのだ。
人を殺すのは。
ギラリと凶悪に光るその刃を見て思い出す。
俺は、俺を殺した殺人鬼と同じになっているのではないか。
そう思うと恐ろしくて仕方なかった。
「ご主人様ぁ…」
「ごめん。出来ない、出来ないよ」
モリオンは泣きじゃくる。
それでも、俺は殺せなかった。
何で俺は魔王に産まれたんだよ。
「なら、ならさ、命じてよ。あいつを、勇者を殺せって」
命じれば、全て終わる。
モリオンは躊躇なく勇者を刺し殺すだろう。
「…勇者を」
「早く」
言ってしまえばいい。
モリオンが催促する。
「殺……」
「今、なんて?」
それでも、俺は怖かった。
俺がやらなくても、モリオンがやるなら変わらない。
そうなったとき、狂うのはモリオンだ。
「殺すな」
ごめん、モリオン、俺には無理だよ。
「…ばかぁ……ご主人様の馬鹿…」
泣き続けるモリオンを抱きしめる。
「酷いよ」
***
朝、俺たちは日の出と共に出発した。
「そろそろ大きな川が流れる町に着くわ、そこから二、三日でポルタ火山、で山を越えて一週間くらいで首都よ」
今日も勇者は上機嫌で歩いている。
「火山の周り、温泉がある」
ノーラも機嫌がいいようでピコピコ尻尾が動いている。
「ご主人様、温泉って?」
モリオンは温泉を知らないのか。
そういえば転生してから今まで見たことがなかった。
ていうかモリオン、お前いつも通りすぎないか?
「いい所よ」
なかなか答えない俺に代わって勇者が教える。
いや、それだけじゃ分かんないから。
「?」
まあ見れば分かるはずだ。
「最近お風呂なんて入ってないし…ひぎゃっ!」
目を背けていた事を言ったハリスは芸術的な右ストレートをくらっていた。
「それじゃ、行きましょう」
花も恥じらうような可憐な笑みだった。
なんか拍手。
「モリオンくんはああなっちゃ駄目よ?」
「カトレヤちゃんはああなっちゃ駄目ですよ?」
はい。
***
「…魔王様は決断力がないのじゃ!」
上級魔族はひたすら腹を立てていた。
ズバッとやってしまってガーンとなってるところを懐柔しようという華麗なる作戦をぶち壊されたためだ。
「まあ鬼族印の千里眼の性能チェックが出来たがらよしとするかのぅ…」
まだまだチャンスはある。
魔王を救って、勇者を殺して、生き延びて、あの過保護な竜と引き離して…
何としてでも魔王と恋仲になりたい。
「ああ、そうじゃ、映像投影デラックス版を忘れておった。回収しに行こうかのぅ」
そう言うと少女はどこからか水色のドアを取り出した。
「どこでも扉なのじゃ!」
ポケットから取り出さなくて良かった。
「…ふふふ、これさえあれば行ったことのない場所でも旅行し放題。気になるあの子のお風呂にも…」
正式名称は
“妾専用、非売品、貸し出し不可。
どこでも扉。
従来の“転移”では一度いってみて、座標を特定しないと空中、水中、地中とどこにでるか分からないロシアンルーレットである。
しかーし、これは自動的に扉を取り付けられる座標を特定し、安全に転移出来るという優れもの。
勘と運のみによって生み出された究極のマジックアイテムなのだ!”
「暗記は得意なのじゃ」
空で言えるそうです。
「しゅっぱぁつ!」
***
水の町ラドン。
やはりというかベネチアのような所らしい。
ゴンドラとか水路、ひたすらデカい噴水もあるとか。
この世界ってデカけりゃいいって思ってないか?
「アグネス大陸一美しい町という噂なんてないただの田舎町よ」
その説明はいらないだろ。
「川が流れているから水が豊富なのよ」
…米は?
「そのおかげで水小麦の栽培が盛んですよ」
なんだそれは。
美味いのか?
「あー、あの水っぽいパンの。僕としてはなし、だね」
水っぽいパンとはなんぞや。
「あれは飲み物」
非常に気になる。
ぐだぐだ喋りながら町に入ろうとしたら検問があった。
それなりに大きな町だからか。
「その、勇者パーティー御一行様は分かりました。あの、…そちらの子供たちは?」
「ご令嬢と奴隷よ」
アバウトだな。
「いや、それは首輪で分かりますが。この二人の身分証明が…」
「あたしの連れよ」
無茶苦茶だな。
「あー、もう何でも良いです。くれぐれも問題を起こさないでくださいね。私の妻子のために」
「あたしは正義よ」
支離滅裂だな。
まあ、この勇者の巻き込むパワーのお陰で入れそうだ。
「あ、それと私が目をつぶったので口止め料に水パンいります?」
差し出されたのは透明感のあるパン(らしきもの)だ。
いや、渡すの逆でしょ。
それ以前に水パンってなんだよ。
「水色の下着を想像してた?」
してません。
神に誓…いたくないな。
「水小麦のパンは焼くとああなるのよ」
焼かないとどうなんだ?
「目に見えないわ」
収穫風景が見たい。
「…後が詰まってるので早くしてくれませんか?」
取りあえず受け取っておいた。
こういうことを堂々と言えるこいつは大物かもしれない。
***
「向こうの宿に食事はついてないわ。だからあのくそ不味い水パンなんて食べなくてすむのよ」
それを水パン屋の前で言う勇者ってどうなんだろう。
…真面目に考えたら負けだ。
「ご主人様、水パン、意外と美味しいよ?」
受け取った水パンはモリオンとノーラが半分にして食べている。
ぷるんとした食感だとか。
「ご主人様もちょっといる?」
モリオンが手渡してくれた。
いつも通りの態度。
素のモリオンなのか、演じているのかいまいち判別出来ないのが悔しい。
「食べて、食べて!」
取りあえず食べてみる。
……これ、ビーダインゼリーだ。
何か懐かしい。
「美味しいよね?」
「うん」
コンビニの味だ。
「本当に仲良しだね、可愛い所しかないよ~。…痛い痛い!」
うるさいハリスは抓っておく。
後ろで勇者がガッツポーズをしていた。
次回予告
やっぱり問題起こす