第二章第二話『遠征②』
「......中々美味いな」
注文して出された紅茶。それに口をつけるわけでもなく、カップの中に写っていた自分をぼんやりと眺めていた常世は、アルデバランの紅茶に対する感嘆の声に顔を上げた。
それを見たアルデバランは、どこか申し訳無さそうな声色で「すまない」と謝罪した。
「いえあまり気にしないでください」
アルデバランは自分に気を使ってくれていたのだろうが、そこまで気にしなくてもいい。
常世は周りが楽しんでいるのを見るだけで心が楽になる。その輪に入ってなくてもだ。
「──。もう完全に味覚はなくなったのか?」
しばしの沈黙の後、常世はアルデバランに尋ねられた。それに常世は、ほとんど味のしない液体を口に含んで喉を潤すと静かに答えた。
「完全に、というわけでまだないですね。まだ魔力による強化を行えば少しぐらいは感じられるでしょう」
そう答えた常世の目はどこか虚ろであった。
常世は自身の腰に帯刀している魔剣──『常世』に呪われてる。呪いといっても症状は様々だが、常世の場合は人間性の消失だ。常世は人間としての機能を徐々に失っていっている。
その最たる例として五感が消失しているのだ。
(俺はもう人間ではない。──きっとこの体は魔剣『常世』のものだ)
そんな常世だが、魔力による身体強化を視覚と触覚に施すことによって、一般人よりも人間として劣りながら生きている。
味覚に全力で魔力を注げばこの紅茶も多少は味わえるだろうが、やはりそこまでする意味がない。
無意識の内にティーカップを眺めていると、アルデバランが声を発した。それにどこか常世は身が引き締まった。
「──本題だ」
空気が変わった。
常世は緩慢な動作でティーカップをソーサーの上に置いた。味も分からない紅茶を味わうことをあきらめると「聞きましょう」と、双眸を『ギルドマスター』の方に向けた。
「先日。アアル王国が内通者である宰相殿を事情聴取した際、大罪教の動向を掴んだらしい。それが何らかの目論見を持って『出雲』その次に『』を伸ばしているらしい」
もしもこの場に一般人がいればびっくり仰天して腰を抜かしていただろうが、あいにくと今はアルデバランと常世以外誰もいない。
そもそもここは『ギルド』の息がかかった店だ。常世達が話しやすいように人払いなど既にしてあった。
若い店主が悪戯心で激辛ソースを常世の紅茶に混ぜていたことは、勘の良い常世でも流石に気付けなかった。
「それを俺に話したということはギルドマスター殿。遠征を俺達、第一部隊で行うということで宜しいでしょうか?」
「そうだ。今回の遠征──『出雲遠征』は第一部隊に任せるつもりだ。共和国の方は比較的近くて情勢を把握しやすいが、出雲は海の向こう側にあるからそう簡単にはいかない。だから第一部隊に赴いてもらいたい」
共和国はアアル王国から北上して、巨大な森林地帯を抜ければ到着することができるため比較的近いが、『出雲』は島国のため情報や人が到着するのに時間が掛かってしまう。
ということも理由の一つであるが、一番大きな理由として『アアル王国と出雲の同盟を結ぶための使者の護衛』という大義名分があるということだ。
「承知致しました。人員はこちらで決めます」
「それで構わない。俺なんかより常世の方が隊員のことを見ているしな。一つだけお願いあってな──」
「ユダ君も入れろと」
常世がどこか食い気味に答えた。
「......彼が『勇者』として戦わないといけないことは分かっていますし、俺は彼に期待を抱いています。ですがまだ早いのでは? 今回の話が本当なら、大罪教の最高幹部の『七大罪人』が出てくるでしょう」
『七大罪人』──権能者の一人が持っている『大罪者』の権能を七つに分けた劣化模造品を与えられた存在にして、大罪教の最高幹部だ。
「けどこれが最適解だ」
常世の不安を拭おうとしたのか、それとも黙らせるために確固たる事実を述べたのか、常世には分からない。
ただ──
「──。それを言われると俺は何も言えないですよギルドマスター殿」
強い口調だったが故にではない、「最適解」と、その一言に常世は何も言えなくなってしまった。
常世がどれだけ論詰めて話そうとも、それを上回る論理でアルデバランは返してくるはずだ。
そんな不毛な時間を費やさないためにも、常世は早々とアルデバランの意見を認めた。
「......ですが一つだけ約束してください。彼が遠征に赴くことを拒否したのなら、それをどうか認めていただきたい」
それが常世の譲れない絶対条件だ。これに関してはユダ以外もだが、常世は望まぬものを危険な場所に連れて行きたくない。
ユダを──否、自身の部隊の隊員を思うが故の約束を結ぼうとする常世。それにアルデバランは紅茶を一口飲んで「分かった」と同意を示した。
「『出雲遠征』の正式発表は三日後の予定だ。だが今の内に噂を流しておいて隊員に準備をさせる」
今までと同じようにすればよいのですねと、常世は頷いた。
「了解です。......それで一つだけ聞いてもよろしいでしょうか?」
「ん? どうした?」
「此度の遠征。第一部隊を選んだのは、最後に故郷を──出雲を見せようと、もう俺が長くないことが分かっていての選択ですか?」
「あぁそうだ。俺にはそれしかできないからな」
常世はアルデバランの寂しそうな目に穿たれた。
「...分かりません。」
「別に分からなくてもいい。ただ、あいつが──『勇者』ユダが、お前を救わない選択肢を取るはずがないってことは覚えておけ。絶対にあいつはお前を救う」
「それは楽しみですね」
その時の常世は、もう随分昔に動かなくなった表情筋が微かに動いたような気がした。
「それで詳しい内容だが──」
そう言って常世とアルデバランは小綺麗なカフェの中で、『出雲遠征』についての詳しい内容を詰めていった。
そして大方の話が終わった時、アルデバランは神妙な顔つきから変わってアルデバランは言った。
「もしだ。お前がちゃんと〇〇〇〇として、出雲から帰ってきたのならその時は一緒に酒でも飲もうぜ」
忘れてしまっていた懐かしい自身の名前に、度の過ぎた願いをアルデバランが授けられて常世は言葉を出すのが遅れた。
「──そうしましょう。ギルドマスター殿」
「──もうすぐ遠征があるって噂知っているか?」
振られた話題にユダは、心の中で疑問符を浮かべた。
『遠征』という言葉は分かる。実際ギルドでは遠征が何回か行われたことがあることも知っている。
しかし──、
「何でフェリスがそんなこと知っているんだ?」
場所は王都の街。
ユダ、アルス、フェリスは、この前給料が入ったこともあって、美味しいご飯を食べに行っていた。食後、ギルドの本部に戻る最中に振られた話題にユダは首をかしげた。
「噂だ。最近よく聞かないか?」
(......いや聞いたことはないな)
「僕も聞いたことあるな」
「えっ、俺だけ知らないのかよ......」
どこか不条理を感じる現実にユダは唇を尖らせた。それに対してフェリスは後ろを振り返ってユダの肩に手を置いた。そして──
「ドンマイ!!」
顔をきれいなことを活かして、バッチリといい顔をフェリスが決めて煽ってくると、「うぜぇぇ!!」と腹のそこから声をユダは出した。
「......噂ってのは案外馬鹿にできないからな。心構えをしておいた方が良いだろう」
煽ってきたフェリスに対して、アルスは真面目にそう言った。「そうだな」とユダは頷き返して、いつの間にか三人で列を作って歩いていた。
「アルスやフェリスは遠征を経験したことがあるのか?」
以前聞いた話では二人が『ギルド』に入ってきたのほぼ同時期らしく、一年程前に入隊したらしい。
それなら遠征を経験したことがあるだろうと、先輩方(笑)の経験をユダは尋ねた。
「それは勿論あるに決まってんだろ!!」
フェリスは唾がユダの方に向かってきそうなほどの勢いで、燃え上がる赤髪を派手に揺らして言った。
それに対してアルスは静かに頷いて、「今までに二回あったよ」と指を立てながらユダに話した。
対称的な二人の友人。いつも寸でのところで喧嘩になりそうになっていて、大変だ。それを差し置いてもやはり友人といるのは楽しく、かけがえのない時間だとユダは思う。
(友人は大切だって、この前買った自己啓発本にも書かれていたしな)
この前、何故か自分磨きをしようと買ってきた自己啓発本の内容を思い出しながら、ユダ達は歩いていく。
「一回目は小国で流行っていた違法薬物を取り締まり、そして二回目も同じ国で暴れていた魔獣を駆除するためだ」
「大罪教と関係あるのか?」
内容を語ったアルスにユダは疑問を投げた。
一件大罪教との関係がなさそうな事案。
魔獣に関しては人為的に起こせるのかと、ユダは懐疑的になった。
『魔獣』は人族、魔族、天使族が世界の覇権を握るために起きた『三界戦争』の傷跡の代表格だ。
人間よりも高度な魔力機関を有する魔獣は、高魔力濃度な場所が主な活動域である。獣ということで、言葉が通じず人間に従わない。
「それが両方ともあったんだ。......まぁ両方ともその場で凌ぎしかできず、首謀核をどうにかすることは出来なかったんだけど」
過去二回の遠征のどちらか、もしくはその両方で辛い経験をしたのか、苦汁を飲んだような顔でアルスは言った。
違法薬物に魔獣騒動。幅広く悪事に手を染めているものだと、大罪教への憎悪を深めると同時に、ユダは不意に足を止めた。
(二人にあの話を相談しようかな......)
ユダは脈絡もなくあることを思い出した。
それは『権能』の話。
『勇者』、『大罪者』、『観測者』、『支配者』。それぞれの権能を持つもの同士が、『管理者』という神の座を狙って千年も戦いあっており、そしてユダはその中の『勇者』の権能を持っているというアルデバランの話。
それを二人の友人に話そうかとユダは一瞬考えた。
「どうしたんだユダ?」
「はっ! どうせ彼女のことでも思い出してたんだろ!!」
「リンは彼女じゃない!!」という突っ込みは置いておいて、二人なら各々親身になって回答してくれるだろうとユダは思った。
アルスならきっと気の利いた言葉を掛けてくれるだろう。
フェリスならきっと激励して励ましてくれるだろう。
仮にそうならなくても、秘密を共有する相手がいるだけで随分心が楽になるものだが、ユダにはやはり出来なかった。
(これは俺の問題なんだ......)
ユダは拳を強く握りしめた。
二人を巻き込むことはできない。
『権能について他の人に言うかはユダに任せる。けど下手に話してみろ。一度巻き込めば、そいつらはもう二度と普段の日常には戻れない...それにろくな死に方もできない』
アルデバラン自身の体験を踏まえた忠告。それを思い出したユダは、話すことを思いとどまった。
友を思うが故に、下手に巻き込みたくなかった。
「いや、何でもない」
ユダはうまく取り繕って、嘘をついた。友達のための嘘を。きっと『権能』の話を、アルスとフェリスにしようとすることはないだろう。
止まっていた足を動かして、前方にいる彼らの半歩後ろをユダは歩くのだった。




