第22話:大川内会長と湯川総長
22-1.大川内会長が椎葉村にやって来た
平和24年4月下旬に、極楽発電の大川内会長が椎葉村にやって来て、サンとゲン、啓に会いに来た。
大川内は、少し体調が悪そうだった。
「大川内さん、体の方はいかがですか」
サンは、大川内の体調を心配した。
「それほど良くはないが、私の事は気にせんでください。それより極楽発電や君らの事が心配じゃ。
君らは光輝いているが、それと同じ位、どす黒い反対勢力が必ず対抗する。
当然、君らもそれは予想していると思うが、ワシからの贈り物がある。
君らは、東京帝国大学の湯川総長は知ってるだろう。ワシの後輩じゃ。
彼は政治、経済、法律、歴史に通じている大家じゃ。一時は、ノーベル経済学賞の候補に名前があがったこともある。
彼の弟子は、広く日本および世界で多方面に活躍しておる」
「名前は、存じております」
啓が答えた。
「ワシは湯川総長に洗いざらい話した。君らの働きで歴史的な大変換が必ず起きるという点において意見が一致した。しかしそれには十分な準備が必要じゃ。彼は、君らの力になるつもりだ。
彼の計画は、こうだ。
まず、極楽経済研究所を直ぐに作ってほしい。小さくて構わん。
湯川を、そこの理事長にしてほしい。
そしてすぐに、彼の指導のもとに大学や各種の研究所を作ってほしい。中身は彼にまかせればいい。そこに日本中、いや世界中から高級人材を集める。君らの会社が大きくなるにつれて必要な人材を供給していくのだ。極楽学園だけでは、エンジンは回らんぞ」
「でも、湯川先生のような方が、果たして田舎の一企業に参加していただけるでしょうか」
啓は、歴史ある東京帝国大学の総長が、自分たちの所に来てくれるとは信じられなかった。
「心配しなくてもいい。もう話はつけてある。」
大川内の話は、サン達が考えていたことに近かった。しかし、計画した想定の上限を超えていた。
サンは、即断した。
「大川内会長、直ぐに準備します。啓を湯川先生の所に伺わせます」
「うん、それが良い。これは、ワシのこの世の置き土産じゃ。できれば、あと10年生きて、君らの活躍を見たかったなあ」
「大川内さん、そんなことを言わんでください。俺が責任もって世界最高の治療を受けさせます」
ゲンが、心配そうに言った。
「有難う。しかしワシの身体は、自分が一番わかる。北日本電力と契約がまだ残っているからもうひと踏ん張りせんとな。ふぁふぁふぁふぁふぁ」
大川内は、この話が終わると直ぐに帰って行った。
サンは直ぐに、啓に極楽経済研究所の設立と湯川総長との接触を指示した。
22-1.湯川秀一郎
3日後、啓は、東京帝国大学の総長室の前にいた。重厚で古びたドアを開けて、中に入った。
「湯川先生は、いらっしゃいますか。極楽発電の神武啓と申します」
啓は、秘書の女性に告げた。
「神武啓様ですね。伺っております。こちらへどうぞ」
啓は、これも古びた応接間に通された。
啓は、応接テーブルの前で緊張して立っていた。
しばらくすると、湯川総長が入ってきた。
「湯川総長。極楽発電の神武啓と申します」
啓が名刺を渡すと、湯川総長も名刺を啓に渡した。
「これはこれは、神武啓さんですか。私が、湯川秀一郎です。どうぞお座りください」
啓は、ソファーに座った。
目の前には、歴史ある東京帝国大学の総長がいた。
そこに在学していた啓の目には痛いほどの眩しさが感じられた。
「神武啓さんは、優秀な成績で当大学に入学されたのに、半年ほどで退学されたのですね」
「半年で退学いたしました。兄の手伝いが必要になりましたので、退学させていただきました」
「そうですか、結果としては良かったですね。大川内先輩から、状況は聞いています。お兄さんが、事実上無限のエネルギーを、ほぼ無料で生み出すという、画期的な発明というか発見をされたわけですね」
「そうです」
「これは、日本と世界にとって、歴史的な大転換を必然的に起こしますね。貴方たちの会社もどうなるかわからないし、世界の行く末も大変動に巻き込まれますな」
「私たちも、その様に考えております」
「私は、大川内先輩から種々の説明を受け、君らと、日本、世界に何かしらの貢献をしたいと思い、大川内先輩の説得を受け入れました。私は、直ちに職を辞するつもりです。
経済研究所の設立は、していただけるのですね」
「湯川総長、有難うございます。既に、設立準備と場所の確保を進めています」
「それは有り難い、私の弟子を2、3人程連れて行くが、大丈夫ですかな」
「それは、大丈夫です。直ぐに準備いたします」
「私も、直ぐに準備します。厄介になりますが、よろしく」
湯川秀一郎が、頭を下げた。
「湯川総長、こちらこそお願いいたします。宮崎でお待ちしております」
啓は、湯川に頭を下げられ、ドギマギしながら答えた。
湯川総長の早期の引退は世間を驚かせた。
1ヶ月後、湯川秀一郎は宮崎市にできた極楽経済研究所の所長に就任した。年間売上わずか8,000億円が目標の極楽グループが作った小さな研究所だった。
所長の湯川と秘書1名、それと研究者3名の小さな研究所だった。
資金繰りに窮している極楽グループの精一杯の研究所だった。
湯川は、辛抱強く極楽グループの成長を待ち、準備をした。
翌年平和25年に極楽グループの売上が2兆円超になると、極楽工科大学を高鍋町に設立し総長に着いた。
その2年後には、宮崎市の新富町付近に極楽大学を設立し、政治経済学部、法学部、文学部、教育学部、商学部、理工学部、社会科学部、国際教養学部、医学部を有する総合大学に育てていった。
湯川の名声により、国内だけでなく広く海外からも、優秀な教授や研究者、学生が集まって来た。
教授や研究者には、世界最高水準の研究設備と研究環境が与えられた。
優れた研究者の交流から、さらに新しい成果が生みだされていった。
学生たちも優秀な者が入学してきた。
ほとんどの者が、返済不要の奨学金をもらい、より優秀な者は、入学金が免除された。
広く日本だけでなく、海外からも入学者が来たが、70%は、九州各県から集まってきた。
やがて卒業生が、極楽グループに就職するようになると、極楽グループへの就職の優先的なルートとして認識されて、さらに優秀な学生や研究者が集まってくるようになる。
彼らには学業以外に世界平和の先駆者たる極楽思想が伝授された。
こうして、極楽グループには、極楽学園の卒園生、極楽大学、極楽工科大学、一般の大学から毎年、優秀な人材が陸続と供給されることになった。
湯川の動きは、それに留まらなかった。法学部を充実させ、各国の法律の調査や憲法改正、法制度の研究室まで作らせた。
さらにサン達に、極楽大学の付属病院や、極楽先端科学研究所を作らせ、ノーベル賞級の科学者や医者を全世界から集めてきた。
サンは、湯川学長に大学でのリニアモーターカーやスペースエッグの為の素材の基礎研究を依頼した。
彼らには破格の待遇が与えられたが、それ以上に最新の設備と、高度の知的環境、そして何よりも強力な量子コンピュータの使用が彼らを引きつけた。




