EP492:伊予の物語「黎明の贋作(れいめいのがんさく)」その6~左大臣、愛した幼女への想いを語る~
冷静になってよく考えてみた。
兄さま以外の人は、私が十五歳になった以降に出会った人だから、以前の浄見がどうだったかは知らないし気にもしてない。
だから、身分詐称といっても嫌われるほどの罪じゃない、と思う。
うん。
唯一最大の問題は兄さまよね。
もし忠平様の言う通りになったら、時平さまとは別れることになる・・・・・。
寂しくて悲しいけど、私が本物の浄見だと見抜けない時点で間抜けだし、そんな男性はこちらから見限ってやるっ!!
もし『幼女の浄見だから好きだった』とか言うような、小児性愛者の変質者だったとしても三行半だし。
と、楽観的になったと思ったら、夜になった途端、逢いたくて恋しくてたまらなくなった。
蒸し暑くて眠れない夜に、何度も何度も寝返りを打ちながら、
もし『あの浄見じゃないなら別れる』ってなったら、意地でも本物です!って言い張って認めさせる?
それともそんな人だったの?って幻滅して諦める?
頭の中では否定的な考えばかりが渦巻いて、悪いほうへ、悪いほうへと予想してしまう。
寝苦しくて、悶々として、やっと眠りにつけたのは、うすい灰色に空が白んだ頃だった。
それから三日間は何の音沙汰もなく過ぎた。
そろそろ、『私が本物の浄見って気づかないほど、兄さまの愛情は薄かったの?!』って皮肉を込めた文でも出そうかと思い始めたころ、大舎人が雷鳴壺に文を届けてくれた。
開くと
『今夜そちらへ参る。 時平』
ってひと言だけ。
でも会って話せば何とかなるっ!!
ってウキウキして、夕方になるまでにソワソワして浮足立ち、今一番お洒落なお気に入りの袿を伏籠に被せて、新しく調合した香を焚き染めたり、肌になじむ高級な白粉や紅を椛更衣に貸してもらってお化粧したり、椿油をつけ髪を梳かしたり、思いつく限りの逢引きの準備に念を入れた。
一目見るだけで、
『逃がしたら惜しい女子だな!!もうちょっとつきあってみるか』
って思ってくれるように、頑張った。
夜も更け、遠慮がちの三日月が、赤い細い光で闇天を飾り、溽暑の昼間を労うように、やっと涼しい風が室内に入り始めた。
文机に頬杖をつき、書を読みながら兄さまを待ち続けた。
さっきから文字を目で追っていても、内容が頭に入らず、何度も同じ個所を読み直す。
丑の刻(午前一時)を過ぎたかな?ぐらいで、几帳越しに硬くて低い声で
「伊予、私だ。入ってもいいか?」
ドキッ!!
鼓動が跳ね上がり、心臓がバクバクと激しく打ち、今にも口から飛び出しそう!
焦って上ずった声で
「は、はいっ!どうぞ、入ってください!」
文机を邪魔にならない端によけ、畳の上に兄さまの座る空間を用意した。
几帳をずらし、直衣姿の、背筋をまっすぐに伸ばした、凛とした公達が、私の目の前に、まるで優雅な舞のような動作で座り込んだ。
白檀の香しい香りと、偉丈夫の精悍な体臭が混ざった、官能を掻き立てられる匂いが、房を満たした。
ほのかな灯火に照らされ浮かぶ白い顔は墨絵にある男神のように、一寸の狂いもなく正しい場所に、整った目鼻口が配置されている。
軽く引き結んだ唇は薄いのにほんのりと赤く、墨絵の最後の仕上げに、絵師が自分の血を一滴落とし男神に魂を吹き込んだかのように、なまめかしく心をとらえた。
兄さまの一挙一動に目を奪われ、尽きない魅力に、限りなく心を惹きつけられた。
目が離せず、無意識に顔をジッと見つめていると、兄さまが呆れたようにフフッ!と声を漏らし口元を緩め、
「上皇と会ったついでに、例の『浄見』にも会ってきた。」
えぇ??
誰なの?
って、じゃあ私は何なの?これからどーーなるの??!!
「・・・・・・・」
下手に噛みついたりしないよう、勢いだけで発しそうな言葉を飲み込んだ。
兄さまは少し眉を上げ、意外だなという顔つきで私を見つめ
「上皇が言うには、彼女が本物の浄見で、すでに側室にしたからには、私の入る余地はないとのことだった。」
私が何も答えないので、続けてワザとらしくため息をつき
「いや~~、ホッとしたよ。
あの幼かった浄見が無事に成長し、上皇の妻のひとりとして立派に仕えてると思うと。
小さいころから何かと面倒を見て世話を焼き、慈しんで育てた甲斐があった。
可愛らしい印象からガラリと変わってすっかり魅力的な美女になってて、どこに出しても恥ずかしくない、上品な教養溢れた人に見えたな~~~~。」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、チラチラ私の様子をうかがってる。
からかわれてることにいい加減、気づいて、イラっとして
「じゃあもう、『あの』浄見は好きじゃないの?」
モソモソと座ったまま私に近づき、脚の間に私を入れるようにして、腰に両腕を回して引き寄せ、鼻が触れ合いそうなくらい顔を近づけ
「ああ。
私には伊予がいるから。
あの頃の浄見との思い出は、もう過去のことになった。
運命の恋人は、ここにいる伊予ただひとりだ。」
呟きながら、唇で唇を開き、熱い、長い、しなやかな舌を挿し込んだ。
舌を、唾液を、吸い尽くすように飲み込みながら、舌で中を、慈しむように掻きまわす。
「・・・んっふっっ」
無意識に快感の声が漏れ、恥ずかしくなって胸を押して唇を離した。
(その7へつづく)