EP477:伊予の物語「不勝の簪(ふしょうのかんざし)」 その4~伊予、作戦を実行に移す~
私はそそくさと立ち上がり、念のため閉めてた妻戸の閂を開ける。
妻戸を開けて、兄さまを迎え入れた。
あれから数日がたち、最後に見た時のような狼狽は影をひそめ、いつもの冷静沈着な兄さまに戻ってた。
ように見えたのに・・・・。
さっきまで私が座ってた畳の文机に広げてある書をチラ見し
「漢詩の得意な男に嫁ぐ準備をしてるろか?
ひとりで勝手に全てを決めれ・・・・・私は浄見ろ何だ?
夫じゃ・・・・らかったのか?」
足取りがフラフラしてて、呂律が回ってない。
白檀の匂いに混じって、強いお酒の匂いが鼻を突いた。
はぁ~~~~~~。
大分飲んでるみたいっ!!
今、作戦を全部、話してもムダ??明日には忘れるかも?!
ってことで、兄さまを塗籠の寝所に連れて行くべく、支えようと兄さまの腕に腕を絡め
「お疲れ様です。随分お酒を過ごされたようですね。こちらでお休みになれば?」
歩き出すと、
グイッ!
肩ごと抱きしめられ、というより、私に抱き着き、もたれかかり、お酒臭い息を吐きながら
「嫌だっ!浄見を他の男の妻になんてしたくないっ!
流罪になった方がマシだっ!!」
むずがる子供をなだめるように、背中に回した手でポンポン叩きながら
「大丈夫よ。ちゃんと考えてあるから!」
今にも眠ってしまいそうなぐらい酔っぱらってる兄さまを、塗籠の寝所へ歩かせることに成功すると、手早く直衣を脱がせ、冠を髷に留め付けていた簪を引き抜いて、冠を頭からぬがせた。
『渾て簪に勝えざらんと欲す(渾欲不勝簪)』
(まったく簪も挿せそうにない。)(*作者注:『春望』杜甫)
という句を思い出した。
『不勝簪』とは、『官吏でいることはできない』という意味。
そのまま、褥へ、崩れ落ちるように倒れ込んで、寝息を立てたはじめた兄さまを見つめながら
「兄さまは私が守る。絶対に破滅なんて、させないから!」
心に固く誓った。
次の日、ある方から待望の返事を受け取った私は、さっそく水干・括り袴のいつもの従者姿に、髷を結い、烏帽子を加えた男装姿に着替え、五条坊門小路と西洞院大路の交差点にある、通称『紅梅殿』を訪れた。
東門から中に入ると、東中門越しに見える立派な庭に、梅の木が何本も植えられてるのが見えた。
侍所で声をかけ、文を見せると、雑色が
「皆さん東の対の廊下で学んでいらっしゃいます。あなたもどうぞお越しになってください。」
と言ってくれたので、東中門廊から上がり、東の対の屋へ渡った。
そう!
私が文を出して『あるお願い』をしたのは、菅原道真様。
過去に
『いい就職先を見つけてあげるよ』
と言ってくださった言葉に甘え、
『もっと漢籍を学びたいので、「菅家廊下」と呼ばれる、ご高名な授業を一度、拝見させていただきたい。』
とお願いした。
快く『菅家廊下』に参加することを認めてくださるというので、今こうして意気揚々と乗り込んでるってワケ!
狙いは、もちろん、ここ『紅梅殿』こと『右大臣邸』で、間者をしてる女子と接触するため!!
へへっ!!
上手くやれば、泉丸の女間者に接触して、既にあるなら『右大臣失脚のための証拠』を入手できるかもしれないっ!!
そうすれば『右大臣失脚』を兄さまが企んだ物的証拠は無くなる。
ついでにその女間者を言いくるめて、こっちの味方につける手もある。
危険を冒してまで潜入する価値はある。
男性ばかりの中で浮かないように、男装までして潜り込んだけど、ここからが正念場っっ!!
東の対は、母屋と廊下の間に御簾がかかって区切られていて、見える範囲の南と東の廊下には、すでに色とりどりの水干姿の男性や、地味な灰色の水干姿、まれに狩衣姿の、若者が主で偶に中年の男性たちが、ギュウギュウに座ってた。
庭に落ちそうな廂端にまで、ニキビ面や無精ひげのむさ苦しい男性たちが、膝の触れ合いそうな距離で詰めて座ってるのを見て、
ゾッ!
とし、東中門廊から東の対の廊下に変わろうかという部分の、人が詰めかけていない部分、つまりかなり手前に座り込んだ。
母屋の中に教師がいて教えてくれるなら、大声を出してくれないと聞こえなさそうな距離だけど。
こんなに引っ込み思案じゃだめ?
もっとガンガンに攻めるべき?
迷ってるうちに、御簾が巻き上げられ、母屋の中に一度お会いしたことがある菅原道真様の立ち姿が見えた。
右大臣だからお忙しいはずだけど、聞いたところによると週に一度ぐらいは、こうして自宅で門下生に講義をなさってるらしい。
お忙しい時は弟子の官人や大学寮の役人に、講義をおまかせになることもあるみたい。
わぁ~~~~~っっ!!
どんな講義なの??!!
楽しみでテンションが上がりまくった。
噂で聞いてた授業の内容は、『漢詩や唐国古典を中心にした講義・詩文添削・詩作』で、参加者は『官人志望の若者や文章生』ってことだったけど、『論語』『詩経』『春秋左氏伝』『史記』など、経史子集の注釈と解釈を聞くだけ!なら私でも余裕っっ!!
だって、寝ててもいいんでしょ?!
(その5へつづく)