EP476:伊予の物語「不勝の簪(ふしょうのかんざし)」 その3~伊予、宮中から里下がりする~
私もつられて、ジワッと涙が滲んで
「う~~~~ん、誰かの妻になっても、たまに遊びに来る、とかはできると思います。
でも、今までのように一緒に過ごすことは、できないと思います。」
自分の言葉にますます悲しみがこみ上げ、たまった涙がこぼれ落ちそう。
チュッ!チュッ!
チュチュチュンッッ!!
庭で忙しそうに雀が鳴き交わす。
そばについている親雀に、子雀が羽をバタバタさせて、餌をねだってる。
見た目や大きさは親とほぼ同じなのに、まだ子供の特権を駆使して、親に甘えてる。
子雀も、そう遠くない将来、親雀と離れ離れになければならない。
『別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす(恨別鳥驚心)』
(別離を悲しんで鳥の囀りにも心は乱れる。)(*作者注:『春望』杜甫)
という漢詩の一節を思い出した。
翌日、茶々にもホントのことを話すと、ボロボロ涙を流しながら無言で
ギュッ!!
私を抱きしめ、
「結婚してもいつでも桐壺に会いに来てね!伊予の嫁入り先に私も遊びに行くから!一生のお別れじゃないわよね?!」
だから!『最悪の場合』だけど!?
結婚確定!じゃないけどっ!!
もし、私の考えている作戦が失敗したら、二度と宮中に戻ることはできない。
二度と、雷鳴壺で椛更衣や梢や影男さんと過ごすことはできない。
あっ!影男さん!
には何て話せばいい??
悩んでるうちに、梢が雷鳴壺にやってきたので、捕まえて全てを打ち明けた。
この先、護衛してもらうかどうかは悩んだけど、作戦実行中は一人で乗り込むので、護衛は頼まないことにした。
これで影男さんにも伝わる!
うん!
いよいよ、明日には、左大臣邸に引っ越す!ことになり、雷鳴壺の自分の房で、日用品や筆記用具・巻子本など身の回りの物を櫃に詰めたり、単、袿、袴などの衣を衣装箱に詰めて、牛車に乗せる準備を整えた。
そして、次の日、左大臣邸に無事、引っ越しを済ませた。
竹丸や綿丸といった、兄さまの一の従者?が牛車から荷物を運び入れてくれた。
以前、私の住まいとして兄さまが与えてくれた東北の対の屋には、この前来たときに見た、泉丸の豪華な衣や荷物は無くなってた。
私はいそいそと、棚に書を並べたり、衣を衣装箱から広げて衣掛けにかけたり、塗籠に置くものと出しておくものを整理したり、手箱や文箱の中身を整理したり、調度品や棚の埃を払ったり、床の雑巾がけをしたり、思いつく限りの整理整頓で、常に手を動かして忙しくしてた。
え?
年子様に挨拶したのかって?
まぁね~~~。それが一番、心の重荷だったりする。
荷物を運び入れたあと、枇杷と白湯を厨から調達して食べながら、私が床拭きしてるのを見守ってた竹丸がボソッと
「まずは女主人である、年子様に挨拶するのがフツーじゃないですか?」
ハイハイ。
「拭き掃除してからね~~~。まずは自分が過ごす場所を気持ちよくしたいしっ!!」
手を動かしながら言い訳を口にする。
動きやすいよう、単と袿は脱いで、引きずらない長さの袴と、たすき掛けして袖をくくり上げた小袖姿で掃除してると、
スッスッ!!
衣擦れの音がし、巻き上げた御簾越しの廊下に、誰かが現れた気配があった。
「あら、伊予は相変わらずお掃除が好きね?」
落ち着いた大人の女性の声。
ギクッ!
として雑巾を片手に素早く立ち上がり、深くお辞儀しながら
「年子様、ご無沙汰しております。
えっと、掃除を済ませてから、と思いまして、その、先にご挨拶に参りませんで、失礼しました。
あのっ、これから、しばらくまた、お世話になります。」
ドギマギしながら呟いた。
年子様には表向きの話として、『これからここに男性を通わせ、遅くともひと月以内には結婚して出ていく予定であること』を伝えた。
「ですが、それまでにしたいことがありますので、度々屋敷を留守にすると思います。
侍女として働くことができず、申し訳ないと思っています。」
ペコッと頭を下げた。
年子様は手をヒラヒラと振り
「いいのよっ!あなたの労働力なんて、初めから当てにしてないわ。
だけど・・・・」
言い淀み、私の真意を見抜こうとするかのように、ジッと見つめられた。
「ま、いいわ。好きになさい。」
ため息のように、吐き出すと、年子様はクルリと背を向けて立ち去った。
その夜、日中にすべきことを全て済ませ、あとはある方からの返事を待つだけ!という状態になった。
もし、作戦が実行できることになれば、忙しくなるっ!!
今から少しでも知識を蓄えようっ!!
宮中から持って帰った漢詩集を文机に開き、読み進める。
杜甫、李白、韓愈、白居易、柳宗元辺りの唐代詩文を押さえておけば大丈夫。
漢詩の形式(五言・七言、律詩・絶句)とか、対句・押韻の技法、典拠となる故事まで勉強すべき?
ムリ~~~~っっ!!!
頭がパンクしそうっっ!!
少し読み始めた段階で疲れ切って、
ゴロンッ!
手を広げて背中から後ろに倒れて、そのまま寝てしまいたくなった。
だって~~今日は引っ越しで疲れたし~~~!!
もう寝てもいいよね~~~~!!
あっ!でも灯りを消さなきゃっ!!
モゾモゾ起き上がると、妻戸越しに、低い声がした。
「伊予、私だ。入っていい?」
ドキッ!!!
期待してなかったと言えば、嘘になる。
(その4へつづく)