EP459:伊予の物語「追憶の扶桑樹(ついおくのふそうじゅ)」 その7~伊予、呪いの成就におびえる~
主殿の中にある護摩壇には、供物を燃やしたあとの灰が残っていた。
その護摩壇の前には水干・烏帽子姿の、夢で見たあの『痩せ衰えて萎びた五十前後の男』が座り、少し離れた場所に縛られたまま座らされた私の方を振り向き、しわがれた声で
「志茂岳という名前に聞き覚えがあるか?私のことだが。」
モチロン聞き覚えが無いのでブンブン首を横に振る。
ん?さっき竹丸が言ってたような気もする。
志茂岳は皺の多い顔で睨み付け
「藤原時平はお前の愛しい男だろ?
十年前、あいつから受けた仕打ちのせいで、私は今の惨めな境遇にまで落ちぶれた。」
ふ~~~ん。
ま、それは別に、今に始まったことじゃない。
私が平然としてるのを見て、怒りの火に燃料を追加したようで、志茂岳は興奮した真っ赤な顔、荒々しい声で怒鳴りつけた。
「あいつが主上に私の超能力がインチキだと告げ口したせいで、私は陰陽寮をクビになったんだっ!!
同じ地獄を味わせてやるっ!
あいつの命よりも大切なものを奪い、生きる気力を奪ってやるっ!!
愛する女子を痛めつけて殺せば、絶望に駆られ失意のどん底でのたうち回り、やがて左大臣の地位から転落するだろうっl!!
ハハハッ!!いい気味だっ!!ヒッヒッヒッヒッーーーー!」
ヨダレをたらしながら笑う姿を見て、『何をされるかわからない』狂人に相対したときような恐怖に襲われた。
ゾクッ!
狂気が常識を凌駕したように見え『痛めつけて殺す』という言葉に現実味を感じ、恐怖で体が震え始めた。
それにしても、『インチキを告げ口』って、自分が悪いのを認めてるじゃないっ!!
心の中で突っ込めるぐらいには、できるだけ自分を落ち着かせようとした。
「・・・ックックックッ!
バカなやつだっ!
ご丁寧に、警告の文を出してやったのにっ!
十年前の大晦日、更衣が疫神に攫われこの世から消え去ったように、お前の愛しい女子を誘拐してこの世から消し去ってやるとな。」
そういう意味だったの?
紛らわしいっ!!
心の中で毒づきながらも、怖さでガクガクと全身が震えるのを押さえられなくなっていた。
志茂岳が
「さぁ、余計なおしゃべりはここまでにして、仕事にとりかかろう。」
ゆっくりと立ち上がり、私のそばまでやってくると、萎びた手を頸にかけた。
グッ!!
指に力が入ったと思ったら、
ドンドンドンッ!
荒々しい足音をたて、蓬矢が志茂岳の横にやってきた。
「父上、お待ちください!私に考えがあるのです。この女子と二人で話をさせてください。」
志茂岳が蓬矢をチラッと見て、チッ!と舌打ちし苛立たしそうに
「何だ?そういうことか。お前も男だからな。しょうがない。少し待ってやる。」
は?物分かり良すぎるんだけどっっ!!
志茂岳が私と蓬矢だけを残して立ち去ると、蓬矢が私の猿ぐつわと手の拘束を解放した。
警戒しながらも、縛られてできた手首の擦り傷をさすっていると、
「伊予どの。嘘をついて悪かったな。
十年前の扶桑の御神木を祀る儀式に、私は参加していた。
まだ朝廷の陰陽師だったころの父上も一緒にな。
だがその後の人生は最悪だった。
当時の頭権中将・藤原時平のせいで失職した父上は呪いや祈祷を個人的に請け負う商売で食い扶持を得ようとしたが、ロクに稼げなかった。
他にも私の若気の至りのせいもあったが、我が家はたちまち困窮し、我々の人生は転落の一途をたどった。
その恨みを晴らすため、左大臣の恋人を誘拐するため、まずは『桑畑』の偽の恋文を持ち、全ての局を訪れ、ヤツの本命の恋人を探しだした。
お前が目標だと判明した後は、父上がこだわったあの『警告文』を更衣たちに届け、後宮を騒がせ、左大臣に噂が伝わったころ合いを見計らって、お前の誘拐を実行したんだ。」
蓬矢は私を見つめ、返事を待つ。
ええっと、聞きたいことは・・・
「じゃああの『今すぐ君と桑畑で喜びを分かち合いたい』はやっぱり『逢いたい』という意味の隠語か何かなの?」
蓬矢は馬鹿にしたように肩をすくめ、フフンと鼻で笑い
「無知だな。
知らないのか?
唐国の『詩経』にも引用されているように、『桑中之喜』の意味は、『桑畑の中で男女がひそかに会う楽しみ』のことだ。」
それを聞いた瞬間、あの扶桑の儀式の後に見た光景が遠い記憶の中からよみがえった。
あの儀式のあと、私はなぜか桑畑で迷子になっていた。
桑の木と木の間に黄土色の衣が見え、男性の低い話声が、途切れ途切れに聞こえる。
「・・・だから、それはできません。」
女性の微かな声で
「・・・あの子は彼との愛の証しです。
今すぐ私に返してください。
私は大任を果たしました。
これからの退屈な余生をあの子と平穏無事に暮らしたいと願って何が悪いのですか?」
声の主は、桑の木の幹に隠れて市女笠しか見えない。
男性が苛立ったように
「・・・あれは私の幸運の護符なのです。あなたが力を失った今、天命を知るには、あの子をそばに置き神託を受けるより他に方法は無い!」
「ウッウッ・・・・」
声を殺して女性がすすり泣く音がして、男性がなだめるように
「あなたの手元に置いたとしても、表立って子としては扱えず侍女とするだけでしょう?
私なら、隠し子とはいえ恵まれた環境で立派な姫として養育し、ゆくゆくは頼もしい高貴な貴族に嫁がせることができる。」
そのとき、不意に誰かに、肩に手を乗せられ、
「浄見、盗み聞きは行儀が悪いぞっ!」
低いくて硬い、艶やかな男性の声。
振り返ると兄さまが立ってた。
(その8へつづく)