EP449:伊予の物語「死出の田長(しでのほととぎす)」 その4~伊予、演劇を楽しむ~
兄さまが私の手を引っ張ったまま歩き、一番近くの十字路で曲がり、牛車から見えないところへ来ると、素早く腰に腕を回し、持ち上げるように荒々しく引き寄せた。
白壁の塀に、つま先立ちの私を押し付け、スッ!と顔を近づけ、
「影男の痕跡が無いかを、確認」
呟くと、奪うように、唇を重ねた。
しなやかな、熱い、長い、舌で、情熱的に、かき回される。
愛撫されているのは、口の中だけなのに、身体の奥から、快感の蜜が溢れ出る。
腰に感じる、腕、手のひら、指、が動くたびに、貪欲な官能の刺激を求め、感度が高まる。
頸にしがみついて、体を密着させ、全身で兄さまの感触をむさぼるように味わった。
「・・・・んっっ!」
唇が離れると、肉体が切り離されたような、寂しい寒さに襲われた。
「ふぅっ」
兄さまが息を吐き、親指で私の唇の周りを濡らした、唾液を拭った。
「こんなになってたら、バレるかな?何してたか。」
とろけそうな表情で、心配そうにつぶやく。
私もぼぉっとしながら
「紅はつけてないから、大丈夫だと思うけど。
唇が赤くなってる?
う~~ん、兄さまはもう大丈夫?かも。」
兄さまの薄い唇は、またもとの白っぽい桃色に戻っていた。
「私は?」
兄さまが、頬を両手で包み込み、
「ダメだ。浄見を、誰にも見せたくない。」
恥ずかしくなって凹みつつ
「変な顔になってる?」
シュンとしてると、両方のほっぺを摘まみ
「こんな色っぽい顔はダメ。影男が欲情する。」
恥ずかしいのと、自分にイラっとしたので、少し平静を取り戻し、ムッとした口調で
「もう大丈夫っ!!落ち着いたから、でしょ?」
兄さまが、マジマジといろんな角度から顔を眺め、頬から手を放し『よしっ!』と許可が出たところで、二人で牛車に戻った。
今度は私を奧に座らせ、兄さまは後ろに、影男さんと向かい合って座った。
目の前にいる泉丸と目が合うと、気まずくて思わず目が泳いでしまった。
妙な雰囲気に気づいたのか、泉丸がおずおずと
「あ・・・仲直り、したんだね?・・・よかった。」
沈んだ声で呟く。
兄さまが、驚いたような大げさな表情で
「まさかっ!伊予は私の傲慢な態度に愛想をつかしたといって、どれだけ懇願しても許してくれなかった!
今度こそ本当に、私は捨てられたんだ。」
ハキハキと話す。
言葉の割には凹む演技ができてないっっ!
もぅっ!!
もっと落ち込んでないとダメじゃないっっ!!
泉丸は疑わしげな、長い睫毛の縁取る瞳でジッと見つめると、兄さまは見つめ返しつつ扇で口元を隠した。
影男さんは、不機嫌そうな視線を私に送り、ドギマギして本心を見破られないように、私はまた目を逸らした。
兄さまの言葉通り、私たちの関係は終わったと思わせなきゃいけないのよね?
何か考えがあるのよね?
しばらく進むと、牛車が止まり、降りると、大きなお屋敷の前だった。
泉丸が先に立って案内してくれた。
「ここの主殿で催馬楽舞をすることになってる。
他にも、声をかけた知人たちが客として来てるから、遠慮せずくつろいでくれ。」
主殿に通されると、東西に長い母屋の北側に、畳を敷き詰めた場所があり、その上に琵琶、琴、龍笛、箏、笙、篳篥の演奏者と、笏拍子を持った歌い手が数人、三列に並んで座っている。
催馬楽の奏者たちは全員、狩衣・烏帽子姿。
その畳の南側には何もない空間があって、さらに南側の廂や、東西の廂には観客が詰めかけてる。
観客は狩衣姿の中年男性だったり、袿・単姿の女性だったり、ほぼ全員、裕福そうな身なりの人々で、水干姿の私たちは場違いでちょっと浮いてる気がした。
それなのに泉丸の案内で、南側の廂の真ん中に座る。
周囲の人々がチラチラみてコソコソ噂されてる?
気にしすぎかもしれないけど。
兄さまは私を一番端に座らせ、自分がその隣、次は泉丸で、影男さんは私の反対側の端っこに座らせた。
別れて気まずい・・・・ハズなのに、この配置は不自然だけど。
泉丸は主催者らしく、演奏者たちの目の前の、観客が見つめる舞台の中央に進み出て、咳払いし、
「えぇ~~~、皆さま、本日はこのような試みにお集まりいただきありがとうございます。
本来、『歌いもの』である催馬楽に舞はともないません。
庶民のあいだで歌われた民謡や風俗歌の歌詞に雅楽の楽器を伴奏として加え、詩情を楽しむものですが、その情景を舞いで表現し強化することでさらに情感を高めようと考えました。
公卿の方々の中には、宮廷での『御遊』に参加し、合奏や唱歌を奏じられた方もいらっしゃるかと存じます。
ですが今日は艶やかな舞姫たちの創り出す情景に耽溺し、感興を味わっていただきたいと考えています。
それでは早速始めましょう!」
サッと手を差し伸べ、舞台中央から去ると同時に、笏拍子を一定の調子で打つ音が響いた。
タンッ・・・タンッ・・・タンッ・・・タンッ・・・・・
笏拍子の調子に合わせて、よく響く男性の低い声が、和歌に音程をつけて歌いはじめた。
(その5へつづく)