EP437:伊予の物語「春雷の馬芹(しゅんらいのうまぜり)」 その1~伊予、春雷に翻弄される~
【あらすじ:轟音と閃光で地中から虫を呼び起こすという春雷。草木を芽吹かせる春の神様と崇められるかもしれないけど、時には人の命を奪うほどの怖ろしい力を持つことには変わりない。濁世の激流に、流されそうで、流されない、私は今日も踏ん張り続ける!】
今は、900年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見にとって『兄さま』こと左大臣・藤原時平様は、詳しく話せば長くなるけど、幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十七歳になった今の二人の関係は、一言で言えば『紆余曲折』の真っ最中。
原因は私の未熟さだったり、時平さまの独善的な態度だったり、宇多上皇という最大の障壁の存在だったり。
結婚だけが終着点じゃないって重々承知してるけど、今のままじゃ辿り着けるかどうかも危うい。
にわかに天が暗くなったと思ったら、ポツリと雨粒が落ちてきた。
ザァッ!と雨音が聞こえるかと思ったら、
ゴロゴロゴロゴロ・・・・
空が唸り声をあげ、ピカッ!と光ったあと
ドーーーーンッ!!
雷鳴が轟いた。
冬眠していた虫たちが雷鳴に驚いて目覚めるという意味から「虫出しの雷」ともいわれる春雷。
胸の奥底に潜んでいた不満の虫も、春雷に驚いて這い出してきたかのように、次々と疑念や不安が湧きおこり、モヤモヤとした不快感が胸に渦巻いた。
色仕掛けに流されて、またうやむやにして、兄さまを許してしまった。
私を計略に利用したことを。
『ちゃんと謝って欲しい!』
とか、
『代償として何かが欲しい!』
とかじゃなく、気が済むまで厳しい態度でいられなかったことが不満!
『私は怒ってるのよ!!』
という態度をとり続けられなかった自分にムカつく!!
そんなにも簡単に、篭絡されてしまうことに。
触れられただけで、舞い上がって、兄さまの見せてくれる、悦楽の頂点を期待してしまう自分に。
淫靡な魔力に絡めとられてしまう意志の弱さに。
いかがわしい快楽に溺れてしまう自分が嫌いだし、それを利用する兄さまにも嫌悪感を抱いた。
そういうとき、どうすれば冷静な自分を取り戻せるの?
触れられる前に、逃げればいいの?
理屈はそうよね?
でも逃げ切れないときはどうすればいいの?
欲望を制御したいのであって、いつもイヤ!ってワケじゃない。
もちろん、それは、その、私だって、素直に、したいっっ!!ってときもあるしっっ!!!!
「伊予っ!?聞いてる??ねぇってっ!!??」
ハッ!
雷鳴壺の私の房で向かい合って座る茶々が、目の前で手をヒラヒラさせ、ぼ~~っっとした夢想から私を引き戻した。
お使いにきた茶々を引き留め、二人でおしゃべりしてたんだった!
茶々が扁桃型の目を細め、ニヤケながら、毛先をクルクル指で回しつつ
「あのね~~~私ね~~~今ね~~~恋人探しぃ~~してるんだけどぉ~~、そこでね、いい人を見つけたのね~~~、で、告白するべき?だと思う??!!」
「えぇ?そうなの?でも、出会ってすぐ告白?はやめた方がいいんじゃない?
その、性格とかちゃんと見極めないと、後悔するかもよ!
私なんて十何年の付き合いだけど、知らなかったこととか予想外のこととかいっぱいあるし。
それでちょっと悩んでるし。」
煩悩?の力がこんなに強いとは思ってもみなかった!
あと、兄さまの魔力っ!!
茶々が目を丸くして興味津々に
「何っっ??何なの??
左大臣様に変な癖とかあるの?」
『真剣に怒りをぶつけたいのに、色仕掛けに負けて流されて、最後はうやむやに許してしまうのが不満!』
という最近の出来事の経緯をかいつまんで話した。
茶々は理解不可能という雰囲気で眉をひそめ、
「ふぅ~~~ん。好きなのに?イヤなの?何が?
・・・・よくわからないけど。」
あっ!!
『男性経験豊富マウント』だと思われたらマズいっっ!!と慌てて話題を変えるべく
「あの、藤原元佐さんがね、またこんど『漢文研究会』をしましょうって!お誘いがあったわ!
茶々が気まずいだろうから、只野さんは除いて、影男さんを誘おうって話になったの!」
茶々は思案顔になり、白湯をズズッとすすり、
「そういえば、そんなこともあったわね。
でも元佐さんの実家って遠くない?牛車を出さなきゃいけないし。
もっと近場でできればいいのにね!
内裏の近くで集まれればいいんだけど・・・・」
そんなおしゃべりをした 数日後のこと。
曇天の午後、雷鳴壺の自分の房で、杜甫の漢詩を書写してると、桜が
「伊予、お客様よ。源香泉様とおっしゃる方が。」
陰鬱な灰色の空が、
ゴロゴロゴロ・・・・・
不穏に唸った。
はぁっ??!!!
源香泉様って、泉丸??!!
何度殺されかけたことかっっ!!
怖くて痛かった苦痛の記憶が、昨日のことのように一瞬で脳裏によみがえり、ブルッ!と身震いする。
どうしよう?
居留守を使う?
でも、人気のないところで襲われるよりは会った方がマシ?
桜にも見られてるし、まさか、宮中で白昼堂々、襲ったりしないだろうけど、警戒しなくちゃ!
弱気になれば付け込まれるかもっ!!
グッ!とお腹に力を入れ、緊張しつつも冷静かつ強気になる。
御簾越しに、桜に
「お通ししてくれる?あっ!梢に、菓子を持ってくるように伝えてね!」
声をかけた。
サヤサヤと衣擦れの音に続いて泉丸が
「久しぶりだね、伊予?浄見と呼んだ方がいいのかな?」
と言いながら御簾を押して入ってくる。
(その2へつづく)