EP435:伊予の物語「呪禁の獣皮(じゅごんのじゅうひ)」 その5~伊予、左大臣を問い詰める~
元佐さんが顎に指を添え、ウ~~ンと少し考え
「そうですね、じゃあ、只野どのは除いて、茶々さんとあの、影男とかいう従者も一緒でいいですよ!四人でも!」
従者?
そうだけど、影男さんは一応、対策(官吏登用試験)を合格するほどの実力の持ち主。
内舎人だからまだ若い元佐さんよりは、詳しくは知らないけど多分、地位もあるはず。
ってことは言わないでおこう。
考えすぎて気を使いすぎても可哀想だし。
「わかった!じゃあ時間が合えばそうしようって伝えておく!
ありがとうございます!いろいろ気を使ってくれて!じゃあまたね!」
ペコッと頭を下げ、手を振り立ち去ろうと建礼門をくぐった。
ちょうどそのとき、内裏の中から、三人の随身を後ろにつけた、濃紺の直衣・冠姿の公卿と思われる男性とすれ違いそうになった。
身分的にも差がある私はすぐに道の端により、目を合わせないよう軽く俯き、目の前を貴人が通り過ぎるのを待った。
通り過ぎたと思って頭を上げ歩き出すと、後ろから
「伊予か?」
硬くて低い響く声。
振り向くと、険しい表情で兄さまがこちらを見てた。
随身がいるので、込み入った話をせず
「今夜、そちらへ行く。また、後で」
と言い残して立ち去った。
怒ってた?
元佐さんと一緒にいるところを見られた?
一瞬焦ったけど、ま、いっか。
嫉妬とか、恨まれることとか、何か、ぜ~~~んぶ、どうでもよくなった。
兄さまが、どれだけ愛してると言ってくれても、所詮、庶民のように、妻一人ってわけにはいかないし、その言葉を鵜呑みにはできない。
本当に愛してくれてても、利用されるときは利用されるし。
そんな人を好きになったのは、愛したのは、私。
自業自得。
今更、他の人の妻になる、なんて、考えられない。
時平様と別れる?
ことなんて、できない。
どれだけ非情な冷血漢でも。
温かい感情のない無共感人間でも。
一日の仕事を終え、雷鳴壺で、灯台の下、影男さんの巾着を作り直して、兄さまが来るのを待ってた。
巾着は片手にすっぽり収まるぐらい小さいから、縫う部分は少ない。
まずは布に刺繍をして、それから縫い合わせる。
やっぱり同じ山桜を刺繍して、あとは、真珠とか翡翠とか綺麗な玉をあしらって、望子ほどじゃないけど、それなりのいいものを作りたい。
お世話になってるし。
夜もすっかり更けて、今夜はもう来ないのかな?寝ようかな?と思い始めた頃、
キィッ!パタンッ!
妻戸の開いて閉じる音がして、衣擦れの音、そして訪れを告げる時平様の声。
「どうぞ」
答えると、壁代を押して、濃紺の直衣姿の、背筋の伸びた、嫋やかな、美しい佇まいの殿方が入ってきた。
香しい白檀の匂いを含んだ冷たい風が、兄さまの動きに合わせて漂う。
対面するように座り込みながら
「遅くまで針仕事?先に寝ててくれてよかったのに」
私の手元を見て
「巾着?今度は誰に送るの?子供たち・・・はもう無いだろうし、私?じゃないか。この前、小袖をくれたし。」
顔を上げず、針を進めながら素っ気無く、
「影男さんに。いつもお世話になってるから。前あげたのはボロボロになってたし」
答えると、兄さまは不機嫌そうに口をとがらせ、フンッ!横を向き
「元佐に、の間違いじゃないのか?さっき一緒にいただろ?どこへ行ってたんだ?」
大学寮で新入生が見つけた小箱の話を最初から全部、話した。
「でも、なぜ、呪禁博士・沙宅万首さんの箱を大学生が持ってたのかしら?」
兄さまが当たり前のように
「神護景雲二年七月(768年)に、無位から従五位下に叙せられた女孺・沙宅万福がいたということは、沙宅氏は帰化したのちも、朝廷に仕える意思を持ち続けてるということ。
地方から上京した学生は沙宅氏の子孫というだけさ。」
呟いた。
「ふぅん。そっか。」
呟きながらも、手をとめず、巾着の布に刺繍してる私を見て兄さまが
「何かあった?怒ってる?」
手をとめ、ふぅっと息を吐き、兄さまの目を見つめながら
「あのね、確認したいんだけど、女色に溺れて、無能を演じて、菅公を激怒させる作戦だったでしょ?」
兄さまは真剣な表情で見つめ返して、ウンと頷く。
「あれで、私が、左大臣をそそのかして、虜にして、ダメにした、悪女って周りに言われても、兄さまは平気?
臺与や恋人たちだけじゃなく、貴族や公卿のなかにも、私のことを『左大臣を堕落させた稀代の悪女』って思ってる人がいるでしょ?
そう言われても、そんな女子を妻ですって、胸を張って紹介できる?
それとも、結婚して妻にすれば、屋敷に閉じ込めてそれで終わりだから、私の評判はどうでもいいの?」
真剣に見つめると、兄さまは少し青ざめ、唇を噛んだ。
「そんなっ!あんな噂で、浄見の評判に傷がついたとは思わないし、そのつもりは無かった。
私だけが、無能だと言われるはずだった。
腑抜けのフリはしたが、浄見と朝まで過ごしたかったのは本当だ。
浄見に溺れた『フリ』をしたんじゃない!
自分の欲望に正直になっただけで、そこに嘘はない。」
それを聞いても何の感情も湧かず、抑揚のない声で、
「夢中になってるフリだって、簡単なんでしょ?
兄さまはこの先も私を利用するだろうって、ある人に言われた」
サッ!と表情が一変し、ギロっと睨みつけ
「誰に?影男か?」
「誰でもいいでしょ?!今夜は帰ってもらえますか?この巾着を仕上げたいので!」
言い放つと、膝立ちして近づいた兄さまが、
ガッ!
私の両腕を掴み、
「ダメだっ!浄見はもう私の妻だっ!他の男に贈り物なんて許さないっ!!」
(その6へつづく)