EP434:伊予の物語「呪禁の獣皮(じゅごんのじゅうひ)」 その4~小箱の中身の正体が判明する~
その紙は貴族が使うような高級な料紙ではなく、薄墨紙(一度使用した古紙を漉き返して再利用する薄い黒色の紙)?のように見えた。
それを摘まみだして広げると、文字が書いてあった。
それは
『日忙事牽身,
歸路月沈沈。
夢裡曾相見,
心中未解貧。
盼歸抱稚子,
憂寂夜難臥。
願饒餐飯飽,
笑語滿堂和。』
だった。
広げた紙を横から覗き込み、元佐さんが
「う~~~ん。五言律詩?風ですけど、偶数句目の最後の韻を踏んでませんし、対句にもなってませんね。」
「でも、漢詩よね?だって、意味は・・・」
私が言いかけると、エヘン!と胸を張った元佐さんが
「私が解釈します!こうですね!
『日々、忙事に身を牽かれ、
歸路に月は沈沈たり。
夢裡に曾て相見ゆれど、
心中に未だ貧を解せず。
歸るを盼みて稚子を抱かんと欲す、
憂寂にして夜臥し難し。
願わくは餐飯を饒にして飽かし、
笑語滿堂に和さん。』
意味は
『仕事に追われて日々が過ぎる、
帰る道には月も沈む。
夢の中で会うことはあるが、
心の中の貧しさは解けない。
帰りを待って幼い子を抱きしめたい、
寂しさに夜も安らかに眠れぬ。
願わくは、たっぷり食べさせてお腹を満たし、
笑い声が満ちた家で共に過ごしたい。』
でしょ?」
私もウンと頷き
「そうね!ということは、この獣の皮のようなものはきっと・・・アレよ!!!
わかった?」
ご機嫌になってニヤニヤしながら見つめると、元佐さんはキョトンとし、
「何ですか?子を思う漢詩ってことは分かりましたが、呪禁博士の沙宅万首氏が詠んだ漢詩ですか?
それにしては紙が新しいですよ!二百年以上前のものには見えません!」
ピンときてないのが楽しくなって
「う~~んじゃあね、手掛かりをあげる!
ある意味、生薬と言っていいわね!」
元佐さんが苛立ったように、ぷっくりした頬を膨らませ、口をとがらせ
「何ですか!勿体付けないでくださいっ!生薬ってことは獣の皮ですか?」
「それと、あと、『子を思う漢詩』も手掛かりね!」
「子・・・・子種・・・あっ!やっぱりマラの皮だっ!そうでしょ?!」
元佐さんが目を丸くしたあと、冷やかすように満面に笑みをたたえて唾を飛ばす。
私は何とも言えない、恥ずかしいような、気味が悪いような、複雑なうすら笑いにならざるを得なくなり、
ムゥッ!
とわざとしかめ面を作って睨み付けた。
「そんなものを見て我が子のことを考える?
その学生は、きっと生まれたばかりの子供を国に残して、地方から上京して、大学寮に入ったのよ!
試験に合格して京で官吏になって収入が安定したら、妻子を呼び寄せるつもりだとか、国司として赴任するつもりだとか、とにかくっ!!
それは、赤子の
『へその緒』
よっ!きっと!」
元佐さんが納得したようにポン!と手をうち
「へぇ~~~!なるほどっ!
確かに『紫河車』という生薬がありますね!あれは胎盤ですから、へその緒もその一部ですものね~~~!
で、生薬として使うためじゃなく、これを見て妻と子供を思い出すために持ってきたんですか!
そっかぁ~~~!そうですよねぇ~~~寂しいですよね~~!
恋しい人たちと遠く離れて一人で暮らすって。」
子と母をつなぐ『へその緒』。
もし、兄さまと私の間に、子ができたら、その学生のように、遠く離れていても、私たち母子のことを、いつも思ってくれる?
それとも、利用する時は利用して、愛情が薄れたら、あとは、放りだしてしまう?
時平様が、そんな冷たい人だとは、思いたくない!!
結局、元佐さんは、その大事な物を持ち主が取りに来るかもしれないと考えて、大学寮の総務部に預けることにした。
持ち主は、去年までその房を使ってた学生で、官吏登用試験に合格した官人かもしれない。
それなら大内裏に出勤してるだろうし、焦って今頃探し回ってるかも!
もし落第して国に帰ったなら、それはそれで妻子と再会できてよかった??!!
建礼門まで送ってくれた元佐さんが別れるとき、顔を真っ赤にしながら
「い、伊予さんっ!和歌は不得意なので、ま、また、今度、漢詩を贈りますっ!
だから、文を、交わしてもらえますかっ??!!
そ、その、結婚を前提として、その前段階の、こ、交際の一部としてっ!!」
意を決したように大声を出すので、建礼門の衛士にジロジロ見られて恥ずかしい。
断ろうと両手を横に振り
「あ、あのっ!結婚を前提としては無理です!
お友達としてなら喜んで文を交わしましょう!
漢詩を作ってっ!私も頑張って挑戦するからっ!!お互いに添削?しましょ!」
『もう左大臣の妻ですから』
って言葉が浮かんだけど、何だか空しくなって、口から出なかった。
無意識に凹んだ私の表情を見たのか、元佐さんが元気づけようと
「女房の仕事が辛いんですか?
じゃあ、気分転換になるし、漢文研究会を再開しましょうか?
長い間サボってました、私も勉強が忙しかったものですから!」
「ん?ありがとう!でも、茶々も只野さんと別れたみたいだし、あの参加者は気まずいでしょ?」
(その5へつづく)