EP430:伊予の物語「企みの胯下(たくらみのこか)」 その5~左大臣、股下をくぐる~
つまり、菅公は時平様のこのごろの態度を真っ向から批判したのね??!!
幼子が詠んだ和歌だって皮肉まで加えてっ!!
兄さまの自業自得だから仕方が無いけど、太政官の最上席に就く左大臣を公卿達の前で、あからさまに侮辱するなんて!!
自尊心の高い人なら耐えられないっ!!
カチン!ときて激怒するかも?!!
兄さまは大丈夫?
顔色をうかがうけど、少し青ざめたように見える、我関せずのような無表情。
菅公に突っかかるようなそぶりも無いのにホッとした。
判者が
「ゥオホンッ!!」
と咳払いし、ざわめきをねじ伏せるように、閉会の挨拶をのべ、『花見の歌合せ』は後味の悪い幕引きとなった。
雷鳴壺に戻る途中、茶々に呼び止められ
「ねぇ!最後のアレってどういうこと?」
応えようとすると、臺与が割って入り
「どうって、帝が寵愛する左大臣に花をお持たせになってということよ!
結果は明らかに右の勝ちだったのに、蔵人頭・藤原菅根さまが判者に耳打ちしたのを見たでしょ?
そうまでして帝と左大臣の結託を印象付けようとしたことに、右大臣様はご不快の念を示されたという事よ。」
茶々が
「でも!帝のご意向なら、右大臣様も納得なさってるでしょ?」
臺与が肩をすくめ
「さあ?お若い帝を左大臣が篭絡したという認識をもつ公卿達は、反発して右大臣側につくかも?
どちらにしても、帝と左大臣の結びつきが強調され、右大臣と対立する構図を周囲に知らしめたってことね。」
茶々が納得したようにうなずき
「ふぅん。そうか。じゃあ、右大臣様は公卿達に低姿勢でご機嫌取りをするとか、よっぽどのことをしなければ、今後、仲間外れにされるってことね?
今はそういう状況ってことが、この歌合せで、周囲に明らかになったのね?」
自尊心の高い道真様が、若い兄さまや帝のご機嫌取りなんてするかしら?
もし上皇に、対立の仲裁を頼んだりしたら、それこそまた、出自の高貴な公卿たちの反発を招くかも?
自分たちの位を飛び越して、上皇が道真様を権大納言に抜擢されたときみたいに。
道真様は苦しい状況に追い込まれてらっしゃる。
でも、兄さまはそれでいいの?
道真様の恨みを買ってもいいの?
数日後、兄さまが逢瀬にやってきたとき、その意図が明らかになった。
歌合せでの出来事の意味を訊ねると、兄さまはニヤッと口を歪めて笑い
「そう。臺与の言う通り。
私は『軽佻浮薄・傲岸不遜』などと公然と菅公に揶揄された。
そして『帝と結託し、正道の政を妨げている奸臣である』と公言され侮辱されたも同然。」
ん?
極端ね?
「そこまで仰って無いと思うけど、でも、それに何の意味があるの?」
兄さまは唇に指を当て、面白そうにほほ笑み
「あの菅公の発言があったおかげで、『左大臣は菅公に恨みを持って当然』と皆に印象付けることができた。」
ん?
首を傾げ
「どういうこと?」
兄さまはますます口を歪め、
「無能のフリをして菅公が私を侮辱するように仕向けた。
周囲には『胯下の辱(股下をくぐる屈辱)』に耐える姿を見せつけることで、将来、私が菅公に仕返ししたとしても、『韓信のように終に身をたて用を達した』と皆に認識されれば、作戦は成功なんだ。」
揺るぎない、確固たる口調で呟いた。
(*作者注:「胯下の辱〔史記、淮陰侯伝〕」韓信が股の下をくぐる屈辱に耐えたのち、戦功をあげ大きな成功を収めたという故事)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
菅原道真びいきの後世の歴史では、時平は天然の悪人なんでしょうけど。