EP425:伊予の物語「薹立ちの菘菜(とうだちのあおな)」 その4~伊予、勘違いに気づく~
兄さまが寝返り、私を見つめ
「上皇の権力が朝廷から一切無くなるまで。上皇の側近である菅公や、上皇側の公卿達を権力の中枢から一掃する。」
「ふ~~~ん。じゃあ、それまで結婚を公表しなくてもいいわ!今まで通り、宮中で伊予として過ごします。」
不機嫌そうに眉根を寄せ
「新妻に毎日会えないなんて、酷い話だな。」
尖らせた唇を摘まんでひっぱり
「ウソッ!そんなこと思ってないでしょ?
それに、上皇の権力が衰えるのを待つ、なんて、それこそ何十年もかかるんじゃない?お歳は確か三十四?五?で、まだお若いし。
でも、私のために無理やり危ない橋を渡る必要なんてないし、上皇だって兄さまとの結婚を発表すれば諦めるかも!
それほど私にこだわりは無いと思うけど。
どちらにしても、左大臣邸で年子様に気を使いながら新婚生活をおくるより、雷鳴壺で椛更衣と楽しく暮らします!
殿は宿直のたびに通ってくれるんでしょ?」
甘えるように上目遣いで見つめる。
上半身を起こし、覆いかぶさる兄さまの、高い体温のせいで、白檀と汗の混じった匂いが鼻孔を満たし、官能が刺激される。
硬い筋肉の鎧を奧に秘めた、しなやかで湿潤な胸元が、はだけた胸元の素肌に密着する。
そのあとの濃厚な口づけを思い出し、ひとりで赤面しつつも、
でも、今日初めてお目にかかった菅原道真様は、『教養ある』って私を褒めてくださったし、相手の地位によって接する態度を変えない、公平で実直なお方に見えた。
政も清廉で公平な理念を貫いておられていそう。
あの方を朝廷から排除することが、どう考えても正しいとは思えない。
兄さまは本気なのかしら?
『正式な妻になるのを急がない』ってもう一度ちゃんと兄さまに伝えよう!!
悪いことをしてまで、結婚したって嬉しくないし。
考え事をしながらも、いつの間にか、というか、やっと、三条大路に差し掛かった。
さっきから砂利や石を踏んで足が痛い!
履物が無い不便さを、身にしみて感じ始めたころ、後ろから近づく蹄の音に気づいた。
できるだけ路の端により、馬をやり過ごそうとすると、歩を緩めた気配がし
「家まで送ろうか?履物無しでは大変だろ?新妻さん?」
低くて硬い、身体の奥に響く声。
思わずニヤケながら振り向き
「ええ!ぜひお願いっ!」
一旦降りた兄さまが、私を馬の背に抱えあげてくれ、その後ろに鐙を踏んで乗る。
馬の腹を軽く蹴って合図し、馬を歩かせた。
兄さまが
「椛更衣が伊予を連れて里帰りしたというので、屋敷を訊ねると、四郎を見つけてね。
聞けば上皇が突然立ち寄ったという。
椛更衣はとっくに内裏に戻ったというから、伊予も一緒に帰ったのかと訊くと、『ひとりで歩いて帰った』というから、めぼしい路を何本か馬で行ったり来たりして探したんだ。」
へへへ!と頬が緩む。
「ありがとう!」
背中に感じる体温と逞しい体を意識して、胸が高鳴る。
この人の妻になったんだ!
って幸せをかみしめてた。
ハッ!と思いついて
「あっ!そうだ!年子様に一度ご挨拶した方がいいかしら?」
「なぜ?宮中にいることにしたんだろ?」
「だって・・・・、その、もし、こないだの、アレで、子供ができていたら、左大臣邸で出産することになるでしょ?
その前に、ちゃんと年子様にお世話になりますってお願いしなくちゃ!」
兄さまが後ろでふぅ~~~っとため息をついたような気がした。
「あのね、浄見、こないだの、アレでは子供はできないよ。」
「えっ??だって!なぜ?夫婦がすることをしたでしょ?」
「あぁ~~~、ええっとぉ~~~、その、子種をね、浄見の中で出してないから、ね?アレだけでは子はできないよ。」
勘違いにビックリして
「えぇっ???はぁ??!!そうなのっっ??」
気が抜けたような、安心したような、ガッカリしたような。
『やっぱり、私は本当の妻にはしてくれないの?』
馬の上で危ないけど、振り返って、声に出さず、恨めしげに、ジトッ!と兄さまを見つめてると、困ったようにボソボソと
「・・・あの、もし、今、浄見に子ができて、出産のときに浄見を失うようなことになれば、子が無事でも、私はきっとその子を恨んでしまう。
愛する女性を殺したと、我が子に八つ当たりするかもしれない。
それぐらい、万が一にも、浄見を失いたくないんだ。」
半信半疑!で口をとがらせ
「ふぅ~~~ん。じゃ、そういうことにしてあげる。」
兄さまがまた、ふぅっとため息をついた。
「わかってる。臆病で、利己的なだけだって。
母子ともに無事だったとしても、子を持てば浄見と過ごす時間が少なくなるだろ?
我が子に嫉妬なんてしたくないし。まだ早いと思う。」
「要するに、私を愛する時間がたっぷり欲しいのよね?
でも、兄さま、覚悟を決めて前に進むことは大切な事よ!」
兄さまにお説教!なんて滅多にない機会っ!!
ちょっと楽しくなった。
目を丸くしてキョトンとしてる兄さまに
「あのね、私もついこの間までは人生の変化を怖れて前に進めなかった。
でも、こう考えることにしたの!
菘菜は花が咲く前の菜っ葉も、咲いた花も、種になっても、収穫されて大事に使われて重宝されるでしょ?
そんなふうに、自分に自信が無くても、誰でも、いくつになっても、役割を見つけてくれ、望んでくれる人が、この世のどこかに必ずいる!って気づいたから、次の段階へ進むのが楽しみになったの!」
兄さまの目を見て、諭すように呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
白菜やキャベツなどのアブラナ科の野菜はすぐに交雑し、野生に返る気満々なのが、どことなく頼もしいですよね!