EP422:伊予の物語「薹立ちの菘菜(とうだちのあおな)」 その1~伊予、梅の木の下で見知らぬおじいさんと出会う~
【あらすじ:椛更衣の里帰り中に上皇と鉢合わせの危機!で、隠れるように素早く逃げ出すことにした。梅好きで有名で、周囲から孤立してるって噂のあの方と初めてお会いしたけど、おべっかが嫌いで徳義に厚い忠臣!って感じで、悪人ではなさそう!すっかり新妻気分の私は、今日も勘違いで早とちりする!】
今は、900年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見にとって『兄さま』こと左大臣・藤原時平様は、詳しく話せば長くなるけど、幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十七歳になった今の二人の関係は、一言で言えば『紆余曲折』の真っ最中。
原因は私の未熟さだったり、時平さまの独善的な態度だったり、宇多上皇という最大の障壁の存在だったり。
結婚だけが終着点じゃないって重々承知してるけど、今のままじゃ辿り着けるかどうかも危うい。
あの夜から数日がたち、自分の中で何かが大きく変わりつつある気がした。
蕪や菘菜が茎立し、ほのかに黄色い蕾をたくさんつけてる。
もうすぐ一斉に菜の花を咲かせ、景色を一面、黄色に一変させてしまうだろう。
路沿いの畑にそんな光景を見かけると、身近な木々や草花や虫や鳥たちが、次の季節へ進む準備を、滞りなく終えた気がして親しみを覚えた。
寒の戻りで冷え込んだある日、椛更衣が体調不良を理由に実家へ里帰りされることになった。
私もお伴して実家の源昇様のお屋敷を訪れた。
椛更衣は体調不良と言っても、退屈で気鬱ぐらいの症状なので、里帰りで弟君や父君や乳母にお会いになったり、庭を散歩されたりすると、途端にお元気になった。
私にとっても勝手知ったるお屋敷なので、昼間、遅咲きの立派な梅に、メジロや鵯が集まってくる様子を見て、一人でくつろいでた。
メジロって、遊びなのか、テンションが上がりすぎてるのか、真っ直ぐ飛んできたと思ったら、空中で急停止して、一回転しそうな勢いで急上昇とか急旋回するよね?
アレって
「急にどしたっっ??!!」
ってビックリする!
あと、チロチロピロピロいつも忙しそう!
小さくて黄緑色で目の周り白くてカワイイけど。
主殿の南庭にある、池に沿って植えられている梅を見るには、西透廊から眺めるのが最適!
というわけで西透廊でボンヤリ梅を見てると、庭を横切って東から、こちらへ歩いてくる狩衣姿の男性が目に入った。
烏帽子の下の鬢に白いものが半分ほど混じった初老の男性で、顎と鼻の下に蓄えた髭も灰色だった。
やせ型で、皺の多い顔は難しそうな表情。
立派な梅が目当てのようで、私のことが目に入ってないらしく、梅の近くまで来ると立ち止まって徐に花を見上げた。
物思いにふけるように、ジッと梅の花を見つめ、独り言のように
「月耀如晴雪、
梅花似照星、
可憐金鏡轉、
庭上玉房馨」
と呟いた。
それを聞いて、
アレ?どこかで聞いたことがある!
ユエが月、シュエが雪、メイファが梅花、シンが星だから・・・ええっと、確か、
あっ!アレだっ!!
「『月の耀くは晴れたる雪の如し、(かがやく月の光は晴れた日の雪のようだ)
梅花は照れる星に似たり、(梅の花は夜空に輝く星に似ている)
憐れぶ可し金鏡の轉きて、(可憐な金鏡のような月がきらめき)
庭上に玉房の馨れることを(庭は、香りを閉じ込めた宝石の房のようだ)』
ですね!」
思い出せたのが嬉しくなって思わず話しかけてしまった。
初老の男性が私の存在にたった今、気づいたようにハッと!し、こちらを見た。
唐語の漢詩を知ってたのが私のような若い女子だったことに、二度驚いたように、目を丸くし、灰色の眉を上げた。
ニッコリ微笑むと、そのおじいさんが口元にわずかに笑みを浮かべ
「お前さんは勘解由長官殿に仕えている侍女かね?若く見えるが、ここに勤めて長いのかい?」
「いいえ!私は椛・・・じゃなくて、三の姫様の侍女でございます。」
芳子様が帝の嬪であることを、見知らぬ男性にみだりに話すべきではないかな?と用心した。
でも堂々と屋敷内を歩くってことは、卑しい身分の方ではなさそう。
狩衣・烏帽子も高級そうだし。
おじいさんは『ウム!』と感心したようにうなずき
「ということは椛更衣様が里帰りなさっているのか!これは間が悪くてお気の毒だな。ほら、見てごらん、お前を呼びに来たようだよ!」
指さす方を見ると、透廊を主殿の方から雑色が慌てて渡ってきて、私に
「三の姫様がお呼びです。至急、内裏へ戻る準備をなされるようにとの事です。」
耳打ちする。
は?
さっき来たばかりなのに?
今日は一泊する予定だったのに、もう内裏へ戻るの?
何かあったのかしら?
私もあわてて立ち上がり、おじいさんにペコリと会釈しつつ
「では、失礼いたします。」
立ち去る失礼を詫びた。
廊下を渡りながら
あれ?でも『間が悪くてお気の毒』ってことは、あのおじいさん何か知ってるの?
誰?
疑問に思いつつ、椛更衣と合流し、慌てて帰り支度を整えた。
椛更衣が
「伊予!父上が仰るには、上皇がxx寺を御参詣なさるとのことで、その途中、突然、思い付きでご休憩に、我が家へお立ち寄りになると仰ったらしいの!
父上も先触れのお方が訪れになって初めてお聞きして、ビックリなさって、屋敷中が上を下への大騒ぎらしいの!
私たちも早く支度して内裏へ戻りましょっ!!鉢合わせになったら大変っ!!」
ええっっーーーーー!!!
そりゃ大変っ!!
上皇???!!!
絶対会いたくないランキングぶっちぎり一位の人っっ!!
テキパキと素早く帰り支度を終え、牛車を東中門廊の車寄せにつけてもらい、椛更衣と一緒に乗り込もうとすると
「伊予どのっ!お待ちをっ!」
雑色が慌てて廊下を渡ってきて引き留めた。
(その2へつづく)