EP417:伊予の物語「絶壁の親鶫(ぜっぺきのおやつぐみ)」 その1~伊予、結婚後の人間関係を思案する~
【あらすじ:時平様の三人目の妻になるため、円満な人間関係を築くため、二人の奥様の若君・姫君方に心を込めた贈り物を準備した。全財産をつぎ込んだり、丹精込めて作った品なのに、不吉な事態を引き起こしたみたい!制御できない予知能力のせいで決めつけられた怖ろしい言いがかりが、これまでに溜まった嫉妬のうっぷんを晴らすために使われ、さんざん責められギリギリの精神状態。私は今日も人の形をした鬼に、絶壁にまで追い詰められる!】
今は、900年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見にとって『兄さま』こと左大臣・藤原時平様は、詳しく話せば長くなるけど、幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十七歳になった今の二人の関係は、一言で言えば『紆余曲折』の真っ最中。
原因は私の未熟さだったり、時平さまの独善的な態度だったり、宇多上皇という最大の障壁の存在だったり。
結婚だけが終着点じゃないって重々承知してるけど、今のままじゃ辿り着けるかどうかも危うい。
鶫が仲間を呼んでいるような
「ピピィッッッ!!」
という声が、枯野に響き渡る。
影男さんの屋敷から内裏へ帰る途中、路ぞいの枯野に差し掛かったあたりで
屋敷での先ほどの出来事を思いかえした。
別れを告げに訪れたはずなのに、また流されそうになった私の背中に、望子が投げつけた巾着。
薄汚れて惨めな刺繍の、私の巾着。
望子がつくった、精細な刺繍と、華麗な赤い玉飾り・房飾りのついた巾着とは比べ物にならない。
まるで今の自分のよう。
時平様という一番好きな恋人がいるのに、他の男性に心が動き、流されて、口づけを許す。
多淫で多情で、男なら誰にでも体を許すような、貞操観念の低い、卑しい、女子。
華やかで豪華な帯飾りのように、望子が価値のある女子だとしたら、稚拙な技量の薄汚れた巾着のように、自分は男性に愛される価値のない女子のように思えた。
この罪悪感や劣等感から何とか立ち直りたい!!
払拭するためには何かしなくちゃ!!
何かに没頭すれば、余計な事を考えずに済むかも?って考えて、何かを作ることにした。
将来、兄さまと結婚できた時に、良好な関係を築きたいので、廉子様や年子様に丁寧に手作りした何かを贈るってのはどう?
上手にできれば、三人目の妻として認めてもらえるかも?!
日々、一生懸命、裁縫の仕事はこなしてきたので、腕は上がったはず!!頑張ればそれなりのものはできると思う!!
悩みに悩んで、ついに、
「う~~ん、手作りのものを、左大臣様の奥様方に贈ろうと思うんだけど、何がいいかな~~?何がいいと思う?」
雷鳴壺に帰って、そばにいた梢に話しかけると、間隔のあいた小さいつぶらな目を輝かせて
「奥様方へ贈るより、若君・姫君方に贈ればいいんじゃないですか?!!子供の衣なら布が少ないし、縫う部分も少なくて済みますし、あんまり細かく審査されないかもです!」
フムッ!!
なるほどっ!!
「いい考えっ!そうね!じゃあ年子様の若君は確か二歳?だから、小袖を縫う事にして、廉子様の若君は十歳で姫君は三歳、だから・・・・」
でも、廉子様って審査が厳しそうっっ!!
一度お会いしたことがあったけど、忠平様がいなければひと言も口をきいてくれなかったし。
あのまま、向かい合ったまま、ずっと無言で何時間でも座ってそうだった。
それくらい私に腹を立ててらっしゃると思う。
糸毛車の女子の事件もあったし。
多分目の敵にされてるから、下手な物を贈ることはできない。
その点、年子様は大納言邸で侍女として仕えてたことがあったし、サッパリしてらっしゃるから、さほど?嫌われてはいないと思う。
梢が
「どうしたんですか?廉子様は厳しい方なんですか?」
「うん。だから、若君には『三国志』のなかの『赤壁の戦ひ』(*作者注:三國志卷五十四/吳書九/周瑜魯肅呂蒙傳第九)とか、面白そうな部分を抜き書きした漢文の小冊子を贈ることにして、姫君には、思い切って、今までの女房の給金全てをつぎ込んで、豪華な『貝合わせ』を購入して贈ることにする!!」
梢が驚き
「ええーーーーっっ!!金箔や極彩色仕上げならお値段が張りますよぉ~~~!」
「え?まぁ、だから、割と地味めなのを買う事にする。内匠寮に詳しく尋ねてみる!」
それとも姫君には薫物の方がいいかしら?
でも、匂いは自分で調合したり、こだわりがある方が多いし、三歳の姫君には早いかな?
薫物・・・・で思い出したけど、廉子様が焚き染めてらっしゃった匂いは『荷葉(はすの花の香に近い)』の中に含まれてる安息香(バニラのような甘い香り)をより強くしたような、独特の匂いだったなぁ。
ご自分で調合されたに違いないっ!!!
となると、姫君に贈った薫物が、お気に召さない可能性が高い!!
やっぱり無難に『貝合わせ』を注文しよう!!
将来を見据えた、『贈り物で円満な人間関係作戦』って『いい考え!』だと思ったのに、これが、思わぬ不幸の引き金になったのだった。
年子様と廉子様の御子様方にそれぞれの贈り物をした約一週間後、兄さまが雷鳴壺を訪れた。
兄さまはいつもの、白皙の頬に筆で引いたような美しい目元だったけど、肌に張りが無く目の下に隈ができ、カラカラに乾いた薄い唇で、何日もゆっくり休めていないような疲労感がにじみ出ていた。
私の房で、対面して座り、白湯を注いだ碗を飲み干すと、扇を顎に当て、ジッと考え込んだ。
しばらく黙り込んでいるので
「どうしたの?」
しびれを切らすと、ふぅっとため息をつき、やっと、次のように話し始めた。
(その2へつづく)