EP404:伊予の物語「白頭老の雪里(はくとうろうのせつり)」 その7~雪が作り出した世界で、幻想に酔う~
雷鳴壺の廊下から梅壺を見ると、衝立や几帳が並べてあってよく見通せない。
まだ来てないよね?
きっと真夜中だよね?
うっすらと雪が降り積もった庭は真っ白に光り、夜更けとは思えない明るさが、普段とは違う、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
ブルルッ!!
冷気が足元から這い上がる。
ジッと座ってるなんて、寒くて凍えるかもっっ!!
という不安と、
せっかく主導権が握れたのに、ここでノコノコ会いに行けば、また元の木阿弥よっ!!
という意地がせめぎ合ってる。
それに、『二人で雪見ができるのも、これが最後かもしれない』?って何?
宿毛様の『対戦はすでに終わっていた』という言葉を思い出した。
もしかして、私と時平様はとっくに終わったの?
気づいていないのは私だけ?
便利な女子として彼の役に立って、臺与のように、どれだけ一夜の逢瀬を重ねても、結局、妻にはなれないの?
もう、特別な関係には戻れないの?
そうかもしれない。
私が選んだのはその道。
特別な『妹』より、仕事のご褒美に、逢瀬を与えてくれる『都合のいい女子』になることを選んだ。
現に、ずっと無視されてたのに、今、兄さまは逢おうとしてくれてる。
もう少し待って、夜が更けてから会いに行こうと思った。
房でジッとしてると、寒さで震える兄さまの姿が目に浮かんだ。
『私の言う通りに、逢瀬の日をあわせてくれない!』という不満も、今はすっかり消え失せ、『これが最後かもしれない』とか『すでに終わってる』とか、不吉な事ばかり頭に浮かんだ。
居てもたってもいられず、梅壺へ行こうとして、妻戸を押して廊下に出る。
あっ!綿入りの単を持っていこう!
寒さ対策を思いついて、引き返して、衾として使ってる綿入りの単を持っていく。
渡殿を渡り、すぐそこの梅壺に入ると、キョロキョロ辺りを見回し、姿を探した。
母屋の中には几帳や衝立が並べてあり、いちいちその陰に隠れていないかを調べて歩く。
そうして南廂に差し掛かると、そこに、庭の梅の木を見つめながら、座る後姿を見つけた。
釣灯篭と積もった雪の明るさを反射し、ほぼ黒のはずの直衣が、明るい灰色に見えた。
そっと背中に近づき、綿入りの単を肩から全身を包むように着せた。
振り向いて微笑み
「ありがとう。浄見は?寒くない?」
細めた目が筆で引いたように美しい線を描く。
大好きな顎の鋭い線も、透き通るような白皙の肌も、真っ直ぐな背筋も、一生、これ以上近づけないと思うと、言葉を交わすのすら怖気づいた。
ウンと黙ってうなずく。
利用しあう関係だと、甘えた瞬間、終わりになるかもしれない。
都合が良くても、やっかいな女子とは終わりにしたくなるかもしれない。
ぼぉっと突っ立ったままでいると、
グイッ!
腕を引っ張られ、胡坐の足の上に抱き留められた。
モゾモゾして脚の間にお尻を置き、横向きになり、腿の上に両脚をそろえて乗せた。
からだをひねって、兄さまと目を合わす。
兄さまが腕を私の腰に回し、ギュッと抱きしめた。
肩にかかった綿入りの単を引っ張り、半分私の膝にかけてくれて
「どう?温かい?大丈夫?」
心配そうに見つめる。
嬉しくて胸が苦しい。
涙がこみ上げ、顔を見られないように庭を見た。
「『雪を二人で見るのは今日が最後』って、やっぱり私を誰かに嫁がせるから?」
腰に回した腕から、ぬくもりが伝わる。
寒くないようにと、背中や脇腹をさすって温めてくれる。
「ん?誰かに嫁ぎたいの?」
慌てて、ウウンと首を横に振る。
「雪はめったに積もらないだろ?こんなに幻想的で素敵な風景が見られるのは、今日が最後かもしれない。
それを浄見と二人で見たかったんだ。
こうしてみるといつもの世界とはすっかり違って、二人で異世界に来たみたいだし。
このまま、二人きりで、ずっとこの世界に閉じ込められても、悔いはないな。」
振り向き、目を見つめ
「このまま死んでもいいの?」
兄さまは目を細め
「いいよ。二人で死ぬのも楽しそうだ。あの世で一緒にいられたらこんなに嬉しい事は無い。」
胸に顔を埋め
「好きよ。兄さま。大好き。ずっとそばにいたい。」
子供のころから何十回も繰り返した、幼い、陳腐な、ありふれた言葉なのに、呟いた途端、涙がこぼれた。
庭の、梅の、微かな蕾を蓄えた枝に、容赦なく雪が積もる。
茶色い枝が、白い枝に変わっていく。
見渡す限りの屋根にも、庭にも、塀にも、雪が積もり、見た事のない景色が広がった。
暖かい腕と、胸と、脚から伝わる体温が、子供の頃の心地いい記憶を呼び覚ます。
絶対に守られているという安堵。
大好きな人と、他に誰もいない、真っ白な異世界で、ゆっくりと眠りにつく。
ウトウト眠くなり、目を閉じ、本当に寝てしまいそうになったその時、
「浄見、私はもう、浄見を特別視しないことにした。」
「え?」
「普通の女子として扱う」
「どういう意味?今までと何が違うの?というか、女子?妹じゃなく?」
ドキッ!として目が覚め、身をおこし、マジマジと目を見つめた。
「そう。だから、浄見さえ嫌でなければ、前に進むことにした。恋人として。」
「どういう意味?」
目を丸くして見つめてると、じれったそうに顎を摘まみ、クイッ!と持ち上げ
「だからっ」
言いながら、唇を奪った。
長い口づけのあと、
「もう二度と、浄見のことを妹とは思わない。
浄見はこれから一生、私の女子だ。」
キッパリと呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
蒅の発明の時代は正確ではありませんが、いつの時代も発明は便利のレベルを格段に上げるのですごいですよね!