EP393:伊予の物語「回生の粉飾(かいせいのふんしょく)」 その3~別人になった伊予、宿直中に泥酔する左大臣と会う~
兄さまが
「橘公紀の不祥事に関わっていればの話だが。疑惑だけでも、今の菅公は公卿の中で孤立しているから上手くいけば辞任に追い込めるかもしれない。
でも・・・・どのみち、もう、それほど急いでない。上皇の勢力を排除するのはもっと先でもいい」
ふぅっとため息をつくのが聞こえた。
胸の真ん中がチクチク痛い。
ギュッ!
と苦しくなってそこからジンジンと痛みが広がる。
私のせい?
でも、臺与とは内密な仕事の話をするのね?
私にはほとんど話してくれなかった。
臺与の方がよっぽど頼りになるから?
私も頼られるような女子になりたいっ!!
どうすればいいの?
ゴソゴソッ!カサカサッ!
衣擦れと、何かが畳にあたる音がしばらく続き、
「本当に、お元気がないのね?他の女子ともご無沙汰なんですの?」
臺与のガッカリしたような声が聞こえた。
兄さまが低い、冷たい、沈んだ声で
「その気にならないんだ。わかっただろ、用が済んだらもう帰れ。」
「では、また、何かあったら声をかけてくださいませ」
臺与が立ち上がる気配がしたので、焦って、衝立から妻戸への動線の途中にあった几帳を前にずらし、その後ろに隠れた。
スッスッスッ!
衣擦れの音とともに臺与が衝立の向こうから姿を現し、妻戸へ向かって歩くと、キッ!と妻戸を開けて出ていった。
ふぅ~~~~っっ!!!
焦った~~~~~~!
見つかるかと思ったぁ~~~~!!!
さて?これからどうしよう??
あっ!!
衝立の後ろに酔い覚ましの煎じ薬を置きっぱなしだった!!
几帳の後ろから慌てて出ていくと、気配を察したのか鋭い声で
「誰だっ!!そこにいるのはっ!!出てこいっ!!」
ビクッッ!!
としたけど、目的は兄さまに会うためだったと思い出し、意を決して盆を持ち上げ、衝立を避けて兄さまの前に歩み出た。
そうっ!私は別人!浄見じゃない!内侍司の女儒よっ!!
バレないように怖い顔を作り、兄さまの前に座り、盆をおろし、手をついて頭を下げた。
「内侍司から参りました、阿波と申します。左大臣さまのお体をご心配された、さる高貴なお方が、酔い覚ましの煎じ薬をお持ちするようにとお命じになりまして、お持ちしました。」
ドキドキしながら、何とか言い終えて頭を上げる。
脇息に肘を置き頬杖をついて、片手には盃を持つ兄さまの胡坐をかいた姿が、目の前にあった。
兄さまは一段高くなった畳に座り、その前の手が届く場所には瓶子ののった盆が置いてある。
色白な肌が全体に赤く染まり、一間(1.8m)ほど離れたここまでお酒の匂いが漂ってくる。
一目見るだけで泥酔してるのがわかる。
私の方を見ず、ボンヤリと一点を見つめ盃を口に運びながら
「ありがとう。そこに置いれってくれ。後で飲むから」
衝立越しに声だけを聞いた時より、呂律があやしい。
あぁ~~~っ!!!
メチャクチャ酔っぱらってる!!
マトモな会話もできなさそうっ!!
でも、ここでスゴスゴ引き下がったら、『もう一度出会いなおす!』計画が台無しっ!!
どうしよ~~!!
すぐに腰を上げず、グズグズしてる私を、兄さまがトロンとした目で見て
「ん?他に何か用があるのか?」
よしっ!!
一か八かっ!!
できるだけ、元の声からかけ離れた低い声で
「あのぉ、先ほどつい耳にしてしまったんですけど、教え子の不祥事で教師が責任をとる必要ってあるんですか?そんなことしてたら教師になる人がいなくなりません?」
兄さまが無理やり眠そうな目をグッと開いたように見えた。
「教え子が不正に得た利益の一部を、教師が受け取っていたら有罪だな。そうでないなら弾劾できないな。」
私を食い入るように見つめるので、
ハッ!!ヤバッ!!!
気づかれたっ??!!!
焦っていると
「お前の名は?内侍司の女儒だな?歳は?父親の名は?」
えぇ??
バレてないけど、怪しまれてるっ??!!
ヤバッ!
父親の名まで考えてなかった!
どーしよっ!!
テキトーに答えよっ!!
「あ、阿波と申します。はい、内侍司の女儒で、歳は二十歳です。父親の名は、ええと、島田徳男と申します。父は無位無官の貴族ですので、ご存じないかと思います。」
ウソがばれないように、目力で何とかしようと、兄さまを瞬きせずジッと見つめ返した。
いつもは透けるほど白い肌が、酔って赤みが混じった桃色になり、額に落ちた後れ毛や、濡れた唇が艶っぽい。
だらしなく酔っぱらっているのに、背筋はまっすぐで、ピンと一本芯が通ったような、高貴な品を身に纏っている。
グニャグニャに崩れ落ちたりしていない。
いつも、お酒をたくさん飲んでも、緊張を解ききれないんだろうなぁ。
どれだけ飲んでもどこかは張り詰めていないと、要職は務まらないのかな?
大変だなぁ~~~!
しみじみ思いながら、ジロジロ見つめる不躾な視線を怪しまれないように、目を逸らした。
キリッ!と顎を上げて『切れ者風女儒』の佇まいを取り戻す。
ガシャンッ!!
兄さまがフラフラしながら、荒々しいしぐさで、盆に盃を置き、それと瓶子ののった盆ごと横に押しのけた。
その空いた部分の畳をトントンと指さし
「ここへ来い!」
ひゃ~~~っ!!
何されるの?
酔っぱらった権力者の横暴?って初めてっ!!
怖っっ!!
(その4へつづく)